座談会:「海のトリトン」の音楽を語る

「トリトン」は70年代アニメ劇伴のルーツ!?

('99/3/21収録)

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トリトン特集の一環として、「海のトリトン」の音楽を語る座談会を開催。例によって濃い話続出の内容となりました。RYO-3さんの"大ぶろしき仮説"に注目!

参加者
腹巻猫。劇伴倶楽部の主。
R3RYO-3。ジャズ研出身。バッタもんコレクター。
仙道B佳。アニソンサイトに出没する現役同人誌ライター。
アキバ。メールマガジン「空想音楽堂かわら版」編集長。
烈神我尊。メールマガジン「空想音楽堂かわら版」副編集長。
にゃろんぱす。菊池俊輔HPの主。今回は最後の方にちょっとだけ登場。


「トリトン」とアニメファン

「トリトン」が出てきた頃の背景の話をすると、「トリトン」の放映開始が'72年4月なんですけど、ほぼ同時期が「人造人間キカイダー(1972.07)」なんですよね。ちょっとして、「マジンガーZ(1972.12)」、渡辺宙明のアニソン・デビューですし、その前の年が菊池俊輔の「仮面ライダー(1971)」で、ちょうど、アニソンががらっと変わる時期、音楽的にかっこよくなる時期にはまっている。あと三沢郷の「デビルマン(1972.07)」も同じ年。それから「快傑ライオン丸(1972.04)」とか、小林亜星のカッコいい路線もこの年から始まるんです。
「トリトン」の音楽がすごい新鮮だったのは、曲がいわゆる背景音楽ではなくて、曲自体として完成している。ちゃんと頭とまん中と終わりがある1つの曲になっているっていうのが今までなかった。番組の魅力で人気が出始めたんですけど、そういう音楽的な完成度もあって、劇伴だけ聴きたいってファンが言い出したのも「トリトン」からなんです。あと、テレビアニメのファンクラブができ始めたのが、やっぱり「トリトン」から。ちょっとして「科学忍者隊ガッチャマン(1972.10)」が出てきて、「トリトン」「ガッチャマン」っていうのが、この頃女の子のファンがつく2大作品だった。はしりです。で、'74年に「宇宙戦艦ヤマト(1974.10)」ですよね。「ヤマト」も音楽が注目されたんですけれども、その先駈けになったっていうのが「トリトン」「ガッチャマン」だったんですよ。当時「トリトン」のファンクラブの間で、ダビング用のテープ(※BGMを放送用に編集したテープ)からコピーした「トリトン」のBGMのテープが出回っていたらしい。ぼく、聴いたことあるんですけど(笑)。
R3 ブートレグ(海賊盤)ですね。すごい(笑)。
そういう、テレビアニメのセルを集めたり、設定書を集めたり、音楽のマスターテープが出回ったりとかっていうのも、「トリトン」から始まったみたい。
アニメ関連の周辺アイテムが求められるのが珍しい時代だったんですね。
そうそう。
今だと絶対管理してるでしょうし。そんな人がいるのか?っていう時代ですね。
制作者側も全然そういうものに価値があるとは思ってなかった。セルなんて捨てていたわけだから。
あとに残るものとは思ってなかったんですね。
制作会社に行ったら、セルとか設定書なんて、いくらでもタダでもらえたそうだから。今では考えられないことですね。結構、「トリトン」でテレビアニメにはまって、そのままこういう業界に入ったって人は多い。いまだに活躍している。というのが背景ですかね。仙道さんは、リアルタイムで見ていた?
いや、私も再放送ですね。どっちかというとトリトンの同人関係をリアルタイムですごした。
ああ、やっぱり(笑)。
同人関係で思い出話っていうと、その頃って、自画像を描くのに、自分の顔にキャラクターの格好をさせてみたりとか、そういうのがはやってたんですよ。私もそうしていて、いまだに自分の自画像描くのに、今は髪短いんですけど、ふわふわって長い髪描くんですよ。なぜかっていうと、(「サイボーグ009」の)003にトリトンの格好させたのを自画像に使っていたんです(笑)。そのうちトリトンの格好ははずして、髪型だけ003になって、それもだんだんなくなって、髪型だけふわふわふわっという感じになっちゃたんですけど。あと、以前、娘と同じクラスの子のお母さんと話していて、その人が、「私、昔同人やってたのよ」っていうんですよ(笑)「私、ペンネームが"空のトリトン"っていう名前だったのよ」って(笑)。トリトン関係は、そんな風にキャラクターにキャーキャーっていう感じの、女の子のファンクラブが多かったですね。
作品についていうと、結婚してから通して1回見たんですけど、子どもの頃すごい印象に残っていたのが、結構なぞ解きが多い、なぞ解きのロードアニメっていう感じで、そのなぞ解きがすごい好きだったんですよ。で、色的にすごいきれいじゃないですか。青に白に赤、それに緑の髪。だから、絵的にもよかったし、なぞ解きっぽいところがまた、なんとも言えなかったと。
「トリトン」って全話LDが出始めた頃のかなり最初の時期に出ましたよね。
一番最初の頃。
あれでびっくりしたんですよ。なんで「トリトン」がこんなに早く出るんだろうと。あんまりメジャーじゃないよなあ、自分らの世代やったら。
え、そうなの?
世代的には、再放送で見る機会もあまりなかったんですよ。
ぼくも大阪で1回しかやったの見たことない。
やっぱり30代後半くらいじゃないとわからないよね。
あの頃の購買層って「トリトン」の世代じゃないですか。
そうそう。そんなBOXとかいっぱい出ると思ってなかったし。
「うる星やつら」が最初にドンと出て、それから間があいて「シルバー仮面」が「トリトン」と同じ頃でしたっけ。あの頃からなぜ「シルバー仮面」?とか思って。
※初期のアニメ・特撮LD-BOXのラインナップ。(猫)
  • 「うる星やつら TVシリーズ完全収録版(通販商品)」(◎LD:キティ:1987)
  • 「シルバー仮面 パーフェクトコレクション」(◎LD:東宝:1990.02)
  • 「うる星やつら TVシリーズ完全収録版(再発)」(◎LD:キティ:1990.07)
  • 「アイアンキング パーフェクトコレクション」(◎LD:東宝:1990.09)
  • 「海のトリトン パーフェクトコレクション」(◎LD:バンダイ:1990.12)
まさにファンのために出してるってやつですよね。(今ほど)大きい商売じゃなかったんでしょうね。
だって、コミケとかいくとメジャーだったもん。
ファン活動やってる人には、「トリトン」って根強い。
大ジャンルだもの、昔は(笑)。
結構しにせっていうか、古いから、「トリトン」やってましたっていうと一目おかれるっていうところがある(笑)。
全世代(に認知度がある)っていう作品ではないですよね。やはり再放送が頻繁にあったわけではないですから。
まあ、一般受けするようなものじゃないしね。
トリトンって、実際に"海のトリトン"になるのっていつぐらいからでしたっけ。
第1話から。もう1話で「おまえは実はわしの子じゃない」っていう話で、一番最後でトリトンのあのコスチュームになる。
R3 名前聞きゃわかるだろう、日本人じゃないよ(笑)。
髪が緑色だからっていじめられてるの、最初は。
R3 思いっきり日本の漁村なのに、「トリト〜ン」(笑)。名前違うじゃん(笑)。なのに「わしの子じゃ」って言い張っている。それが面白かった。
これは富野アニメのエッセンスが全部入っている。やっぱり、ルーツだから。とにかく、旅をして戦いながら、どこかへ向うっていう。どんでん返しがあるとか。
最後のどんでん返しとか、原点ですよね。
心理描写が妙にリアルだとかね。
きのう私がたまたま見たのが「カミーラ」の話だったんですけど、あれなんかも、まさに富野アニメって感じでしたね。

「トリトン」の作曲家・鈴木宏昌

R3 「トリトン」の音楽が今までにない新しさを持っていた背景には、絶対西崎プロデューサーの影響があると思うんですよ。あの人、ことあるごとに「私は音楽畑、音楽畑」って言いますよね。西崎さんのプロフィールっていうのは、猫さん把握されてますか?
いや、詳しくは。
「ワンサくん」ていつなんですか?
あれは「ヤマト」の直前。
じゃ「トリトン」よりあと。
あとですね。
※「ワンサくん」は1973年4月、「宇宙戦艦ヤマト」は1974年10月放映開始。
RYO-3さんは、西崎さんのプロフィールをご存知なんですか?
R3 私も詳しくはわからないんですよね。
ショーとかレビューとかのプロデュースをやっていたらしい。
R3 そう。で、やっぱりね、ショービジネス系のミュージシャンの人脈があったと思うんですよね。
「ワンサくん」のときにはミュージカルをやってみたかったって、「ヤマト」のライナーに書いてありましたね。
R3 やっぱり西崎さんがジャズ人脈があったからこそ、コルゲンさんを呼んできたんだろうなって予想はつくんですけどね。西崎さんがどういうところにいて、なんでアニメにやってきたのかっていうところがわからないと、この音楽ができてきた背景っていうのはちょっとつかみきれないですね。
鈴木宏昌のそれまでの仕事っていうのは、どうなんですか?
R3 鈴木宏昌はもともと慶応のライトミュージックっていう、超名門中の名門のジャズ研出身で、ここからは有名な人がいっぱい出ているんですよ。在学中から3人の名物鍵盤奏者が慶応にいて、それが、鈴木宏昌と大野雄二と佐藤允彦なんですよ。完全に3羽ガラス、3巨頭ですよね。それがイコール、慶応の中だけの話じゃなくて、その後の1968年ぐらいからの日本のジャズピアニストの中で、いわゆるフォービートじゃない新しいジャズをやろうとし始める先鋭的なピアニスト3羽ガラスでもあるんですよね。その3人が、3人3様の道を歩いていくことになる。
佐藤允彦は留学しちゃうんですよね、'67,8年頃に。で、帰ってきたらアブなくなってて(笑)、かなり前衛的なフリージャズとか、プログレとか、そういう方にハマっていく。普通の人が聴いて面白いっていうよりは、かなりアングラな方向にガーッと入っていく。
で、大野雄二は、しばたはつみとか、笠井紀美子とか、女性ボーカリストのプロデュースとバックミュージシャンという形で、フォービートじゃないポップス系のプロデュースをし始めるんですけど、例の「犬神家の一族('76)」や「ルパン三世('77)」をきっかけに、だんだん劇伴やCMなんかのコマーシャルな方向に行って、サウンド的にもフュージョン色を帯びていく。一番ポップス寄りなのが大野雄二ですね。
では、鈴木宏昌はなにかっていうと、前衛・ポップのふたりに対して、かなりロックなりファンクなり、もっと泥臭い方向、アメリカな感じですね、黒人系のビートの方に突っ込んでいくというのが背景としてありますね。
これ、日野皓正クインテットの「ハイノロジー」(◎LP:コロムビア:1969.07)っていうレコードで、鈴木宏昌の名前がバンと出始めたころの音盤です。デビューはもっと昔ですけど。この頃っていうのがヒノテル大ブームで、ヒノテルが一番かっこよかった時期なんですよね。で、このときすでに鈴木宏昌はエレピなんですよ。アコースティック・ピアノよりもエレピを弾いてかっこいい人なんですよ。
この3羽ガラス、3人ともアニメ劇伴にかかわってきますね。まあ、佐藤允彦は「パンダ・コパンダ」ぐらいしかないんですけど。
この頃のエレキピアノってどんなんですか? シンセとは違うんですよね。
R3 シンセじゃなくて、実際に弦が張ってあるんです。それをギターみたいにピックアップで拾って増幅している。
あ、電気的に。そういうのなんだ。
R3 この時点でかなりロック寄りなんですよ。これ曲名が「LIKE MILES」っていうんですけど、当時のマイルス・デイヴィスっていうのが、やっぱりフォービートを突然やめちゃって、こういう8ビートの音楽を始めて、もとからのファンはなんだロックに迎合しやがってって感じで、「もうマイルスは死んだ」って言われ始めるんですけど、若い人たちは、むしろこっちの方が新しくってかっこいいってファンがくいついて行く。ヒノテルもまだ若い時期ですから、マイルスのようにおれはやりたい....だから「LIKE MILES」....っていうんで8ビートを取り入れ始めてる。ちょうどその頃の曲ですね。
「トリトン」の音楽も、いわゆるジャズじゃないですよね。
R3 いわゆるフォービートのジャズではないですね。ただ、ベースにあるのはやっぱりジャズです。この盤の音にはかなりそういう雰囲気の片鱗があります。
似てますね。
R3 これもライブ録音なんですよ。譜面で書いて....っていうのじゃなくて、完全にセッションで作っていくっていうタイプですね。
コマーシャルなんかの仕事をやるのは、もっとあとなんですか?
R3 もうちょっとあとだと思います。この頃はジャズプレイヤーとして、まだまだ忙しい、やっていくぞっていうところだったと思いますけど。
'72年で「トリトン」の劇伴をやるっていうのも、結構意外なところかもしれないですね。
誰が引っ張ってきたかが、ほんと重要になりますね。
アニメーションスタッフルームの社長さんから電話があったって、再録版のライナーに書いてありましたけど。蛙プロダクションに電話があって、テレビアニメのテーマをコルゲンさんに書いてほしい、という話だったと。
スタッフルームっていうのは「トリトン」の製作プロダクションなんですけど、どういう経緯でできたかはよくわからないんですよ。虫プロ関連・・・でもないみたいなんですね。西崎さんは虫プロにいたんだけど、手塚治虫で虫プロじゃないっていうのも珍しいんですよ。手塚治虫がOKするときに、それなら全然別のキャラクターでっていうのも話を通して、だから原作とは別のものになっている。
※アニメーションスタッフルームは、虫プロ商事にいたメンバーが中心になって設立されたが、本家虫プロとは縁が薄く、アニメーターは虫プロ系のスタッフではなく、羽根章悦はじめ、東映系のスタッフが参加している。(猫)
全然別のものですね。
キャラクターも違うし、話も違うし。

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