劇伴倶楽部座談会 第6弾

こんな音盤を出したい

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思い出の企画

早川さんが今まで手がけた中で、特に思い入れのある企画っていうと何ですか。
それはいっぱいありすぎて…。あえて上げると、「円谷15枚組」(1992)。まだ、やり残していることがいっぱいありますけれども、あの時点では入魂だったんです。今までずっと音源を探してきた円谷サウンドに関しての、あの時点での集大成にはなったかなあと。見つけきれなかった曲もあるんですけどね。
※円谷15枚組:日本コロムビア発売『TSUBURAYA PRODUCTION HISTORY OF MUSIC』(1992)。CD15枚の豪華なCDセット。
『帰ってきたウルトラマン』NG主題歌「戦え!ウルトラマン」フルコーラスとかは、15枚組が初出ですよね。
そうそう。「ウルトラA」とか「隼」とか。存在を知っていても出す機会のなかったものとか。「怪奇大作戦」のオリジナル音源も、あのとき偶然見つけられたんです。
※「ウルトラA」:『ウルトラマンA』主題歌のNGテイク。ヒーロー名がまだ「ウルトラA」だったときに録音された。
※「隼」:冬木透が音楽を書いた、掃除機のCM。
あれは、どのくらいの期間をかけて作られたんですか。
どのくらいでしょう、半年ぐらい。
半年ですか? 実際に作ったのが?
作り始めてから出るまで、半年ぐらいですかね。
それはびっくりだ。
音源を探したりとかは、もっと前からやっていたんですか?
探すのは「15枚組」のためではなくて、以前から、これはあそこにあるんだろうなとかわかっていたんで。
じゃあ、Goがかかってから半年で作ったっていうことですか。
そういう感じですねえ。
1年くらいはかけているかと思っていました。
半年かかってないかもしれないです。言い出してから半年っていう感じですかねえ。もうちょっと早くできるかなと思っていたら、結構長くなって。
でも、ああいう15枚組なんて商品は、もう出ないでしょうね。
あれはほんとに思い出深いです。「怪獣王」(1994)も思い出深いですけど。ただ、「怪獣王」は音源を探す大変さは円谷15枚組ほどではなかったんです。東宝ミュージックのプロデューサーの方がきめ細かく動いてくださいましたし、それに映画の音は、大体ライブラリ化されている。むしろ、たとえ1社といえども、テレビの音源を探す方がはるかに大変ですね。ほんとに考古学的な(笑)。
※「怪獣王」:キングレコード発売『日本SF・幻想映画音楽体系 怪獣王』(1994)。CD10枚組の業かなCDセット。日本レコード大賞企画賞を受賞した。

音源探索の苦労と楽しみ

今でもマスター探すのっていうのは苦労されているんですか?
それはしますよ。
映画の場合は映画会社が大体持っているんですか?
今までの経験で、どの作品は残っている、どの作品はないっていうのは、大手5社に関しては、ある程度把握しているんです。
じゃあ、今回「魔女っ子サンプラー」で『さるとびエッちゃん』の音源がないとかいうのは…。
あれはやっぱり、テレビは難しいんですよ。
テレビの場合はどこが持っているかもわからない。
わからないこともあるし。
じゃあ、これから探すのにまた苦労されると。
そうですね。「魔女っ子」のときは、『さるとびエッちゃん』のリール3以降と『魔法のマコちゃん』の第2回、第3回録音がなかったんです。もう少し探したら出てきたかもしれませんけど。
大体製作会社にあるものなんですか。
東映動画さんの場合は、タバックさんに委託して保管して置いてある。
その倉庫に行って探すと。
そういう場合もあります。
タバックさんというと、音響製作のところにあるわけですか。
音響製作ですね、テレビの場合は。
そこに頼んだり、自分で探しに行ったり。
あとは作曲家の先生がお持ちで、お借りしたりすることもあります。それも、ちゃんと保管されている方と、いろんなところに分散されている方とか、さまざまですね。その場合は、お宅を片づけつつ(笑)。それは楽しいですよ。いろんな話を聞きつつ、お掃除しつつ。ここにテープがありますね、とか(笑)。音源を探しながら、現場の方とお近付きになるのは楽しいですね。東映さんでも、大泉(撮影所)では、テレビの音を探すのにお手伝いしつつ探したり。本棚の本が倒れないようにブックスタンドにされているテープとかあるんですよ。「あ、これは冨田勲さんのなんとかじゃないですか」とか言って(笑)。

テレビ・オリジナル劇伴集という文化

早川さん、今のお仕事、楽しくてしかたないでしょう(笑)。
いや、そんなことないですよ。やっぱり、仕事となると…。終ったあとは楽しい思い出になるんですが、やっている最中というのは、辛い思いをする方が多いですね。でも、円谷15枚組のときは、楽しかったかもしれない。円谷作品が、一番思い入れがあるかもしれませんね。
劇伴って聴きはじめたのがやっぱり円谷作品からですからね。キングの「ウルトラBGMシリーズ」が大きい。
あれが出たときは、ちょっとびっくりしましたよね。
「サウンド・ウルトラマン」(1978)から始まるんだけど。ワンダバが音盤化されて。
※「サウンド・ウルトラマン」:キングレコード発売『ウルトラマン大百科 part2 サウンド・ウルトラマン』(1978)。『帰ってきたウルトラマン』のオリジナルBGMをはじめて商品化した。これが、のちの「ウルトラ・オリジナルBGMコレクション・シリーズ」につながる。
あのレコード、うちに、物心ついたときになぜかありました。
それもすごい(笑)。
『ウルトラQ』とかもあれで知ったんですよ。
あれがなかったら、今はないね。
「サウンド・ウルトラマン」が出るっていう告知を見たときは、すごい期待して、勝手に構成も頭の中でして(笑)。『ウルトラQ』はあの曲とあの曲と、『ウルトラマン』はこの曲という風に。そしたら、出たら、"オリジナルBGM"としては2曲しか入ってなかった(笑)。
そのLPを選曲・構成したのはどなたなんですか。
竹内博さんと西脇博光さん。
東宝レコードの「オリジナル・サウンドトラック ゴジラ」(1978)とか構成された方。
竹内さんは東宝の怪獣映画とかをずっと研究されて、こういうオタク文化を作った方のひとりですね。
音盤の構成とかを最初にはじめた人ですよね。
こういうのが職業になったのは誰から?
専門職にしたのは、ぼくが最初かもしれないですね。ぼくは、ほとんどCDの構成がメインなんですよ。
不思議な職業だなあと、前々から思っていました。
音楽だけを構成して生きてきたのは、日本ではぼくが最初かもしれない。
早川さんがそういうのを職業にされているから、ぼくもやりたいという人が、続々と出てきているんじゃないかと思うんですけど。
弟子にしてくださいと言ってくる人とかいないですか。
いないですよ(笑)。
なかなか仕事としては成り立たないよなあ。
だから、よくぞ成り立ったなあと思って。
ちょうどCDの切り替え時期だったからよかったんですよ。LPからの買い替え需要があって、ぼくが映像音楽ならなんでも好きだったんで、前にLPを構成したみなさんが、もうLPをやったからいいや、っていうところをなんでもやってしまった。
いろんな作品や作曲家に興味があるってこともよかったんですね。
こういうテレビのオリジナル劇伴集なんかを商品として出し始めたのは、早川さんが最初なんですか。
いや、竹内博さんや西脇博光さんとか、もっと先駆者の方はいらっしゃいますよ。それをレコード化しようとした方たちですよね。まあ、その発想はもともと舞台音楽から来ていて、「ペールギュント」とか、舞台のために作曲した曲を、もったいないからまとめて組曲にして出版して、演奏できるようにしたわけですよね。その発想は変わらないと思う。
大体それは、海外が最初ですか。アメリカでテレビの音源をいっぱい集めて出したっていうのがありましたよね。
「テレビジョン・グレーテスト・ヒッツ」。
ああいう発想は、日本にはなかったんですよね。
いや、日本の方が早いですよ。そういう音楽を商品化したのは。彼らが「テレビジョン・グレーテスト・ヒッツ」を出した頃は、もう「サウンド・ウルトラマン」とかもあったわけだから。そういう、レコード化を前提としていない音楽を商品化したのは、日本の方が早いです。それは誇っていいんじゃないでしょうか。
日本のファンのしつこさの表れというか。
とにかく作品が限られているから、作品に関するものは、なんでも手に入れてやろうという考え方ですよね。
貪欲さが違うんですね。
やっぱり特撮ファンはね、愛好する作品が限られているわけですよ。だから同じものを繰り返し見るし、ひとつの作品を骨の髄までしゃぶりつくす(笑)。そのスタンスがこういう文化を作ったいうか、作品中の音楽を商品化して聴きたいというところにつながっていくんじゃないでしょうか。
じゃあ、こういうのは日本独特の文化?
それが逆にアメリカなんかに飛び火していますね。だって、「テレビジョン・グレーテスト・ヒッツ」の発想は、絶対、日本の方が先だったでしょう。
日本にあるのを知って作ったとか?
同時多発的なものもあると思いますけど、日本の方が先ですよ。「ゴジラ」なんかのLPを見て作ろうと思ったのかもしれないし。日本語読めないけれど、解説見たらMナンバーとかも載ってるじゃん、と思ったのかもしれない。
「ゴジラ」は画期的でしたね。あれはサントラだけれども、LPとして1個のストーリィをつけて、曲はいろんなゴジラ映画から取ってきて再構成している。別に年代順っていうわけじゃくて、音楽的に考えて作っているんです。
あれは画期的、すごいですね。やっぱりエポックですね。
すばらしいです。何度も聴きました。
あのときにつけられた題名が今でも使われているし。「黒部谷のテーマ」とか「シーホーク号SOS」とか、全部タイトルが残っているぐらい、われわれの世代には印象深いですね。

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