●バップ入社から<ミュージックファイルシリーズ>スタートまでの道のり
猫 バップに入るときは、サントラの仕事をするとは思ってなかったんですか? 高 ないです。サントラはもう趣味だけだと思ってました。 猫 バップでは映像の方の仕事で入ったんですか? 高 いや、最初に音楽の方で入って、アーティストの宣伝をやってたんです。ラ・ムーのときが1年目の最後の方で、「菊池桃子がラ・ムーってロックバンド組みまして」って音楽雑誌に宣伝して歩いていました。「インタビューお願いしたいんですけど」「1ページぐらい取材入れてもらえるとありがたいんですけど」とか言いながら(笑)。ぼくが入った頃のバップは、杉山清貴&オメガトライブは解散して、桃子も過渡期だし、一番苦しい時期だったんです。さっきも言いましたけど、僕はそのうち本物のロックバンドを育てたいと思ってました。なんでそう思ったかというと、ファンハウスでアルバイトしていたときに、舘ひろしの「泣かないで」がヒットしたんですよ。出した当初は「売れるの?」と学生心に思ってましたが、宣伝マンの皆さんが夜中も体張って頑張って、お金(宣伝費)も使ったんでしょうけど、グイグイとヒットチャートを上がっていって、最後に紅白まで行っちゃった。そういうサクセスストーリーを間近で見ていて、新人のロックバンドでこういうのやれたらいいなぁと思って。それもあるし特に浜田省吾とかハウンドドッグ、矢沢永吉とかが自分の中の<ロック三本柱>として好きなんですよ、日本人アーティストでは。洋楽はローリング・ストーンズ、ブライアン・アダムスとか、ボン・ジョヴィ、アイアン・メイデン等々、ちょっと偏りがあるんですけど(笑)。ほんとはロックビジネスをやりたかったんですよ。
入社当時は『ジャングル』の主題歌を歌っていたジャッキー・リン・アンド・パラビオンが新人で出ていて、営業ライヴでは楽器運ばされたりしましたよ。「新入社員は来い」なんて言われて。あとその頃いたのは森川美穂とか……。『ジャングル』のサントラ盤は当時、ウチから出たんですよね。僕も、ちょっとだけ(番組は)見ていたんですよ。日テレの社食とかでね、晩飯食べながら。で、「あっ、あの追跡の曲カッコいいな」とか思うわけ。それがサントラ盤になったときに、(その曲に)歌詞があるんですよ。「こんなもんレコードに入れるなよ、インストを入れてくれよ」なんて思って、横目で見ていたんですけどね。烈 当時は関わられてはいない。 高 そうです。新入社員なんで発言権ないですから。僕自身としては、過去にサントラの仕事をやっていたというのを一度忘れて会社の仕事に入るしかないと思っていたから。じゃないと、やっぱり新入社員務まらないんで。そういう変なプライドみたいなもの持っちゃうとね。それがいろいろと精神的にも人間関係的にも邪魔になるというか……。 烈 なんとなく、横目で見ていたという程度。 高 そうです。主張もできないし、新人刑事としての任務を全うしていくしかない(笑)。当時ウチの会社には、ビデオの宣伝セクションが無くて、外部の代理店がやっていたんです。それを仕切っている人は社内にいるんですけれど。『前略おふくろ様』(のビデオ)が出るようになり、『熱中時代』といった名作ドラマもビデオで出るようになったんだけれど、「なんで自社に宣伝のセクションがないんだろう」と思っていて、ある日ちょっとしたきっかけがあって、その時の上司に「アーティストを持たない(担当しない)で、ビデオ宣伝の専任にさせてください」って言ったんです。僕は雑誌の編集部を回って記事をとる宣伝の仕事をやっていたんですけれど、ビデオの記事って雑誌がメインですから、その記事取りも手伝っていたんですよ。雑誌を買うと、ビデオの記事とかCDの記事とか載っていますよね。そういうのを載せてもらうのは宣伝マンの仕事なんです。宣伝マンが、サンプルビデオやジャケット写真を編集部に持っていって「載せて下さい」ってお願いする。そういうことをやっていたんで、僕はビデオの宣伝をやりたいなと思って、入社2年目の後半から専任にさせてもらった。で、3年目にビデオ推進部っていうセクションができたんです。ビデオの販売促進の宣伝担当が一緒になったセクションだったんですけど、そこの配属期間が長くて1995年までいました。そこで未公開映画のビデオや洋楽ビデオの宣伝をやっている間に、『傷だらけの天使』や『俺たちの勲章』がビデオ化されて、その宣伝のために駅貼りポスターやったり。
『傷だらけの天使』は、1巻あたり1万2千円のビデオが、池袋のパルコで30セットぐらい全巻予約が入ったんですよ。僕は『テレビジョンドラマ』というドラマのマニア向けの雑誌の読者だったし、自分も<ドラマニア>だったから、それだけ購買意欲をそそる商品であり、またドラマニアみたいな人たちがいるっていうことはわかっていたんですけど、(そういうドラマの商品が)まだ会社の仕事として成り立つ時期じゃなかったし、僕の方も力が無かった。『テレビジョンドラマ』の『熱中時代』や『傷だらけの天使』と『俺たちの勲章』のカップリング特集も、編集長と相談して作ってもらったんですよ。「後ろ(裏表紙)に広告入れますから」って言って。で、『傷天』をやって『勲章』をやって、いよいよ『太陽にほえろ!』(のビデオが)出せるかもしれないよって言われていて、作品セレクトを下準備し始めたのが 1990年ですね。その頃から、ジャケットのデザインにも僭越ながら口を出し始めて、『太陽にほえろ!』は現在もですけどジャケットに使う写真選びや解説原稿までやらしてもらってます。最初はデザイナーにお任せだったんですけれど。『勲章』のときも、松田優作と中村雅俊の横顔が背中合わせになっているキー・ビジュアルを考えたりしましたね。
そういう仕事をやっているうちに<ミュージックファイルシリーズ>が立ち上がるんですが、その頃はまだ、<ミュージックファイルシリーズ>っていう名前ではなかったんですよ。いろいろカタログが増えていく過程で、社内で勝手にそういう名前がついちゃったんですよ。業務的に<MF>とか。最初僕は<伝説のアクションドラマ音楽全集>っていうシリーズだと考えていたんです。企画の発端は『俺たちの勲章』のサントラ盤を作ろうと思っていたんですけど、営業担当の人間や他のディレクターに相談してみたら「1枚だけの発売じゃ商品として弱いよね。1枚だけぽーんと出ても、いつの間にか出て、いつの間にかなくなっちゃうし、店の中で埋もれて終わっちゃう」ってことを言われまして、「じゃあ、何枚あればいいですか?」って尋ねてみたら、「最初は5枚から10枚あった方がいいよね。知名度はある作品だから置いてくれる店ではコーナーが作りやすい」って言われたんです。じゃあ、手始めに日テレのドラマだけで、フィルムもの(テレビ映画)で10枚分ラインナップしてみようと、企画書を作ったんです。ほんとは『俺たちの旅』も入っていたんですけれど、テイチクさんからLPが出ているっていう関係で、当局からストップがかかった。じゃあ、アクションものだけでやろうと、『ジャングル』『プロハンター』も入れて出したんです。これが当時はそこそこ採算とれるだけ売れたんで、次々となりました。猫 CDを出そうと言い出したのは高島さんですか? 高 そうです。選曲やったりライナー付けるノウハウは、もう学生のときに持っていたから。その段階で、入社6年目にしてやっと過去の経験が生きたわけ。社内でも「実は昔こういうことやってまして」って自分が解説書も書いたレコードを見せて、「ノウハウはあるから、制作会社を使わなくてもお金かからずにできますよ」って話をしました。初回出荷は1000枚そこそこだったんですが、おかげさまでバックオーダー(追加注文)がお店から途切れず来たんで、売り上げが伸びているうちに、どんどん次の企画持って来ていいよって話になりました。その頃は、ぼくはビデオの宣伝マンが本職ですから、ちゃんとCD制作のディレクターに付いてもらって、予算組みからお願いしてしまっていたんですけどね。 猫 これが出せるって決まったときはどういう気持ちでした? 高 早くマスターテープ聴きたいな、と(笑)。特に『探偵物語』かね。当時は優作ブームが来るなんて誰も思っていませんから、「なんで今ごろ『探偵物語』出すの?」って、他のメーカーの友だちにも言われたんですけど、「好きだから」としか言えなかった(笑)。1997年に「松田優作クロニクル」っていうのを優作作品としては最後にやりましたけれど、あの企画を考えたのは、優作ブームになる年の年明けすぐなんですよね。セントラルアーツの黒澤満さんのところに、「最後にもう一度だけ優作さんのCD作りたいんですけど」って企画書持って行ったんです。その年の夏に、例の<JACK>っていう缶コーヒーのCMで松田優作がキャラクターとして使われる事が決まったという話が新聞に載ったんです。そういう話になるとは知らずに、発売を11月の命日に合わせて、オムニバスを作るとなると権利処理や資料作成も含めて時間かかるだろうと思って、年明けから作業を始めていたんですよ。発売時期が時期だっただけに、「ブームに便乗して出したんだろう」っていう人もいましたけど、こっちは先にやっているから、複雑な心境でしたね。あんまりブームになってしまうと、すたれてきたときに、まだやってるの?っていう風にもなっちゃうんで。
<ミュージックファイルシリーズ>が続いてきたのは、やっぱり営業担当の販売促進の人間とかの後押しとか社内の理解も大きいですね。新譜が続けて出るっていうことは、旧譜(の売り上げ)にも跳ね返ってきますから、続けて出そうっていう話になって、幸いなことに続けられているんですよ。
サントラが売れないとか、BGM集は売れないとか、頑なに思っている人が他のメーカーにもいるんですけど、「ウチは売れてますよ」って言ってるんです。「だから**のCDもやってくださいよ」って。ウチはある程度(注文の)数が来れば、必ず再プレスしているし……。BGM集は売れないっていう考え方もわかるんですよ。その<売れる>っていう基準が違うと思うんです。何万枚っていうことを考えている人から見ると、そりゃ売れてませんよ。2千枚、3千枚の世界ですから。それでも利益を出せれば、会社としてはオッケーじゃないですか。ペイできれば。ラインナップし続けることによって万化け(1万枚以上売れること)になる企画だって出てくるんですよ。そこがおわかりいただけない方が多くて……。半年に1枚ぐらいバラバラと出ても、お客さんにとっても「いつの間にか出て、お店行ってもなくて、いつの間にか廃盤になってる」じゃ寂しいじゃないですか。猫 継続してコンスタントに出てるっていうのは強いですね。 高 れから先は妄想の話ですけど……。ゴーマンに聞こえて「お前はナニ様だ!」と思われてしまったら申し訳無いのですが、あくまでも一サントラ・ファンとしての高島のささやかな妄想(笑)。サッカーのJリーグみたいに「もしも(ディレクターの)レンタル移籍制度があったら……」ってよく冗談で言うんですけどね。例えば、ぼくがコロムビアさんに貸し出しで行ったとしましょう。上の方が企画さえ通していただけるのであれば、コロムビアから以前出ていた<テレビオリジナルBGMコレクション>をはじめ<テーマ音楽集>ものとか、<ジャムトリップシリーズ>とか、<デジタルトリップシリーズ>とか、ああいうのを全部ひっくるめて権利的に許される限り系統的に<ANIMEX名盤コレクション>とか聴きやすいコンピ盤を作りたいですね。それを半年に20枚、年間で40枚、「もし企画が通るなら作れるよ」って感じです(笑)。元バイトですから旧譜のカタログの知識はありますしね。アレらは倉庫にテープを眠らせたままでは本当にもったいないって……。例えばキングさんだったら、サンライズもの、『イデオン』とか『ザンボット3』『最強ロボ・ダイオージャ』とか『無敵ロボ・トライダーG7』とか、あとはあだち充の『ナイン』も3枚ありますね、アルバムが……あの時代のLPを全部復刻するだけでもちゃんとラインナップできるなぁと思うし……。これは<スターチャイルド・メモリアルコレクション>というシリーズタイトルで。ビクターさんはいいですよね〜。1980年代のアニメのアルバムを2in1方式で出した<殿堂TWIN>でしたっけ?あの(売り上げ)数字がいいらしいんでね。ビクターの人に聞いても「あれ売れてますよ」って言うんです。アレも、バーンと一度に出したじゃないですか。その波状効果というのもありますよね。でも<タイムボカンシリーズ>のBGM集が今だに出ていないですね。出して欲しいです。ビクターさんしか出せないんだから……。限定盤の『ぶたBOX』も買いましたけど、アレは過去のアルバムの復刻盤セットなんですね。それもいいんですけど、やっぱりBGM集を出して欲しい。ウチの会社で『タイムボカン ミュージックファイル』とか『ヤッターマン ミュージックファイル』なんか出せたらそれこそ「ヤッタ〜」なんですが……。権利的にはムリだと思います。ここまで言ってしまうと、バップを辞めちゃうんじゃないかって誤解されてしまうと困りますけど…。一ファンとしてはそういうCDを作って下さいという要望もこめて、ということで…。まあ、ほんと、こんなマニアックなCDを作っていることを良しとしていただいている環境なので、社内の方々にはほんと感謝しています。この間、会社の後輩から「MFがあるから入った」って言って頂いて、涙出そうになりましたね、ウルウルと。「スクールウォーズ」の先生みたいな精神構造してますから…。ほんとやっててよかったです。
こういう旧作のBGM集をメーカーのビジネスとしてちゃんと成立させるためには、出来れば向こう半年間のラインナップをまず決めて、ユーザー側には<半年間これだけ出るから、どれとどれを買うのか購入計画を立ててね>という意味でちゃんと事前に告知してあげるのが親切じゃないですかって思います。僕は『宇宙船』には必ず裏表紙に広告入れて、決まり次第出せる限りは情報を出す、っていうことをやっているんです。そうやっていかないと、購入するお客さんにとっても、ビジネスとしてやるメーカーにとっても、デメリットが多いと思うんですよ。告知しても売れるとは限りませんが、「宣伝しないものは存在しないことと一緒」と言った人もいますけど…。少しでも売れる可能性は追って行きたいと考えてはいるんですよ、これでも……。猫 お忙しいところ、ありがとうございました。 (2000/4/22収録:新宿にて)
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