<ミュージックファイルシリーズ>200タイトル突破記念企画

バップ・高島幹雄氏 ロング・インタビュー

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どんな音楽を聴いて、こんな大人になったのか?

子供の頃聴いていた音楽の話などをうかがいたいんですが。
子供の頃、初めてBGMっていうのを意識したのが最初の『ウルトラマン』の戦いの曲(M5)なんですよ。何故かっていうと、幼稚園で<ウルトラマンごっこ>やっていたときに、友達がウルトラマンの役をやりながら自分で歌っているんですよね。主題歌じゃなくて、劇中曲の方を口ずさんでいる。『タイガーマスク』の歌も好きでしたね。戦いにシーンはカラオケでしたよね?やっぱり結果論ですけれど、宮内國郎、冬木透、菊池俊輔、渡辺宙明っていうのを聴いているんですよね、自然に。<仮面ライダーごっこ>やっていても、間奏歌う奴がいる(笑)。子供の頃にテレビまんがのレコードってあまり買ってもらえなかったんで、小学校も頃、友達の家でレコードを聞かせてもらって、間奏はこうなってるのかと思いました。子供の時に親に買ってもらった唯一のテレビまんがのレコードっていうのが『ミラーマン』なんですよ。
渋いですね(笑)。
レコード屋さんでなぜか『ミラーマン』を選んじゃったんですよ。コロムビア盤のやつ。それでレーベルに書いてある<作曲・冬木透>の名前が何回も目に入ってきたからず〜っと覚えていた。なんか季節みたいな名前だなあと。『ミラーマン』もやっぱりメロオケがいいじゃないですか。だから間奏ばっかりかけていて、そこだけ傷がついたり擦り減っちゃった。ほんとに、小学校の頃はテレビから聴いたものばかりでしたね。ちょっと知らないと友達から「遅れてるうッ〜」攻撃入りますから、負けないようについていく。小学生の時はなんでも好きでしたね。ドリフターズも好きだったし、テレビまんがも好きだったし、<太陽にほえろ! ごっこ>もするようになるし。僕らの小学校時代(ちなみに1971年から1976年)って、み んな<ごっこ>から始まっているんですよ。まず<ウルトラマンごっこ>があって、<仮面ライダーごっこ>があって、『超人バロム・1』で<バロムクロス>やって。「友情のバロムクロス」の間奏も好きでしたね。戦いのシーンに流れるのを聞いて「なんかこの音楽カッコいい」と思って。
子供の頃から劇伴がお好きだった。
自然に好きでしたね。ごっこでBGMを歌ったりしてるから染みつくんじゃないですか?小学3年になると『仮面ライダーV3』。カニレーザーの戦いのときとかに流れる「仮面ライダー賛歌」のメロオケ(当時はメロオケなんて言葉はもちろん未使用)、あれを口ずさみながら<V3ごっこ>をやってましたね。「V3アクション」とか。友だちもそう、周りがそういう環境でした。その頃は麻丘めぐみや、浅田美代子などの歌手も好きでしたね。そのうち『8時だヨ! 全員集合!!』からキャンディーズがデビューして、いまだに1970年代における僕の中の<カリスマアイド ル>はキャンディーズなんです。一昨年にソニーから出た6枚組CDボックスを2つ買いましたよ。1セットはいつでも聴けるように箱から出しっぱなし、もう1個は保存用で封も開けない(笑)。とりあえず、その頃テレビでやってたものは殆ど見てましたね。ここですべてを語ると一晩あっても足りない……。
大人もの子どももの問わず。
問わず見てましたね。周りの友達もみんなそうだったし。今から考えるといい時期に小学生だったなと思って……。小学校5年になると、子供番組を見続けるのか、離れていくかのボーダーですね。僕も離れてしまって、『秘密戦隊ゴレンジャー』は1クール見てないんですよ。『がんばれ! ロボコン』もロビンちゃん好きでしたけどロボット学校の3期生からはもう見てない。まず、「テレビマガジン」とか「テレビランド」を買い逃しても平気になる(笑)。
小学校も高学年になってからは、どっちかというとアクションものとか。
青春ドラマやアクションものに行きましたね。『俺たちの旅』見て、大学生っていいなって憧れたり。『太陽にほえろ!』では、勝野洋がやってたテキサス刑事の後に沖雅也のスコッチ刑事が出てきて、なんかや〜な奴だな〜と思ったり(笑)。子供なんで、過去のトラウマの影響で七曲署の仲間と打ち解けないとかそういう深い設定が呑み込めませんから。音楽バラエティでは、せんだみつおが司会で TBSで夕方やってた『ぎんざNOW!』とか見てましたよ。歌謡曲好きでしたね。そこにゲストで出ていた宇崎竜堂のダウンタウン・ブギウギ・バンドとか太田裕美とかも好きでしたね。丁度その頃、友だちの家に遊びに行ったら、彼のお兄さんのレコードがずら〜っと並んでいるんですよ。まずビートルズは全部持っている。そこにテレビテーマのレコードもあって「太陽にほえろ! 」を聴かされて、「こういう<演奏のもの>がレコードになっているのか」って思ったのがはじめてのサントラ体験。それが「太陽にほえろ!」そのものも好きになってしまったきっかけかもしれない。
サントラ盤っていうのは、そのときまでは意識して聴いたことはなかった?
意識してなかったですね。今話している内容と実際の時間軸は前後してますけど、映画のサントラをかける番組がTBSラジオであったと記憶しているんですが、1974年ぐらいに……。『燃えよドラゴン』がかかって、コレいいなあと思ったり。でもレコードは買えなくて、初めて自分で買ったのは『ドラゴン怒りの鉄拳』のシングルでした。東宝レコードから発売されたマイク・レメディオスの「FIST OF FURY」。あとは『太陽にほえろ'76』っていうシングルを買って、それに「青春のテーマ(ジーパン刑事のテーマ)」が入っていると思ったら入ってなかった(笑)。子供のときは小学校高学年でも1ヵ月のお小遣いが500円とか600円でしたから、毎月シングル盤1枚買うわけにいかない。駄菓子屋のカードも買わなきゃいけないし……買いたいものが色々あって。友達が家にレコードをいっぱい持っていて……とにかくレコードがたくさん並んでいるという光景に憧れましたね。「大人になったら、ああやってレコードをいっぱい持てるようになれたらいいな」と……。
中学生の頃は、そんなにレコード買ったりされなかったんですか。
中学校でやっと小遣いが月2000円に昇給したんですが、たくさんは買えなかったですね。2、3ヵ月に1回。LPを買うといったらもう<イベント>ですよ。さあ何を買おう、どれが一番曲数が入っているだろうか、とか、ジャケットのデザインで選んだりとか。レコード屋さんでいろんなレコードのジャケットを表から裏から眺めて気がつくと1時間は経っていると。……このインタビューは、なんだか僕のここまでの人生をマル裸にしちゃってますね。実は、サントラとか◯◯マニアというよりも<自分マニア>かもしれないからいいんですけど……。(笑)
その頃買われていたレコードというのは?
LPで最初に買ったのは『太陽にほえろ!』のLP。タイトルは『太陽にほえろ! 〜甦れ、あの刑事たちよ〜』。それでやっとメインテーマが聴けました。ロッキー刑事が出た頃の盤です。歌謡曲は、中一の冬にキャンディーズの2枚組ベストを買ってましたね。もっとも歌謡曲はラジオで録音するのが多かったですね。NHKで「夕べの広場」という歌謡曲やニューミュージックをフルコーラスかけてくれる番組をやっていて、それをよく録音していました。ちょっと話はさかのぼりますが、小学校6年の冬から中学1年の春にかけてBCL(ブロード・キャスティング・リス ナーズの略)をやってたんですよ。海外から聞こえる日本語放送を聞いて、受信報告書を書いて日本支局へ送ると<ベリカード>がもらえるっていう。<ベリカードを集めよう>みたいなキャンペーンがあって、ソニーから出てた<スカイセンサー5900>っていうマシン(短波放送が受信可能なラジオ)を小遣いをためて買って、音質もシャリシャリ言わずに低音が聴いていて「さすが音がいいなあ」と思ったのを覚えてますね。ラジオを前にして「自分は世界とつながってるんだゼ〜」という錯覚にとらわれてましたね。中一の春はNHKラジオの『基礎英語』なんか聞いていました。中学のときはテニス部だったんですけど、部活終わって帰ってきて、『基礎英語』を聞いて、ラジオに合わせて発音の練習をしたり。ほんとに、テレビまんがから卒業して他の趣味に行って、っていう普通の中学生になっていたんですけどね……。

ただ、一冊の本がね、変えたんです。朝日ソノラマ発行の「ファンタスティック・コレクション」(笑)。「空想特撮映像の世界 ウルトラQ/ウルトラマン/ウルトラセブン」っていうのが書店にあって……。あれを買ってね。あの時アレを買わなければ、ここにいないかもしれないですよ。最初は恥ずかしいと同時に懐かしいと思いながら立ち読みしていて、載っている写真がコマ焼きの、テレビで観ていたのと同じ質感のもので、読むところがいっぱいあって、子ども向けの雑誌じゃないな、ってことを薄々感じたんですよ。同時発売が『科学忍者隊ガッチャマン』でした。立ち読みしていたんですけど、何回目か見かけたときに買っちゃったんです、ウルトラの方を。すぐに熟読しました。その頃からどうも僕は連番がついているものは、間が抜けると気持ち悪いんで(笑)、「ガッチャマン」も買ってしまった。それからは、<ファンコレ>が出るたびに買い始めて。全部は買わなかったんですけど。アニメはあんまり買いませんでしたね。やっぱり特撮ものがいいなあと思って。どうもアニメって絵に感情移入できないんですよ。作品によっては別ですけど。ほんとに役者さんがやっているものの方が感情移入できる。そういうものでいろいろ知識を蓄えてきましたね。それがいってみれば序章で、<宇宙戦艦ヤマトブーム>がその後にあった。学校のクラスでも、みんな劇場版の『ヤマト』とか『ガッチャマン』とかを映画館へ観に行ってるんですよ。

で、当時オリコンの上位まで行ったアルバム『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』を買った奴がいて、それを借りてテープに録音したのを繰り返し聴いて、いいなあと思ってました。まだその頃はコピーが普及しきっていなかったんで、解説書をノートに書き写してました。でも、そのときはキャンディーズの解散騒ぎがあったんで、実は『ヤマト』どころじゃなかったんですけど(笑)。中二になるとラジオドラマの『ガッチャマン』とか、ささきいさお(佐々木功)さんのラジオも聴いてました。

解説書といえば、小学校の頃に買った先程のブルース・リーのレコードに日野康一さんていう映画評論家の方が解説を書いていて、日野さんのお名前を意識していたんですよ、コドモ心に。こういうレコードに文章載っけるのって面白いなと思っていたんです。決定的になったのが、中2ぐらいのときに、キングさんから出た「サウンド・ウルトラマン!」。酒井敏夫さん(竹内博さんのペンネームと知ったのはもっと後のこと)による文章が載っていて「この人はディレクターでもないのに、なんでここに文章書いているんだろう」と思って。その同じ人=酒井敏夫さんがあちこちのレコードで解説を書いてらっしゃるのを見て、「ああ、レコードに文章書く人になりたいなあ」とフッと思ったんですよね。それまでといえば、下手でしたけど野球の選手がやりたかったですね。中学校入りたてのときは英語の成績が良かったんで、通訳になって野球チームに入るか、もしくは映画の翻訳とか、そういうのがやりたいなあと思っていたんですけどね。話は反れちゃいますけど、当時僕は熱狂的なジャイアンツファンで、長島監督が外人ピッチャーがピンチになるとマウンドへ通訳を伴って向かうんですよ。長島と外人選手の間に立って会話を取り持つ通訳なんてカッコいいなあと、憧れてましたね。それがレコードのライナーノーツを見るようになってからは「レコードに文章書く人ってどういう人なんだろう、どうやったらなれるんだろう?」と思うようになって……。

中学2年ぐらいのときに読んだ「アニメージュ」かなにかの広告に、コロムビアの学芸販売課っていうセクションの名前と電話番号が載っていたんですよ。そこに何度も何度も電話して(笑)「『ヤマト』や『999』だけじゃなくて、『ど根性ガエル』のBGM集出してください」とか「『仮面ライダー』のBGM集出してください」ある時は声を変えて(笑)「『侍ジャイアンツ』のBGM集は出ないんですか?」とか言ってたんですね。後から考えれば、『侍ジャイアンツ』の主題歌はワーナーの発売だから、コロムビアに言っても無理なんですけど。「アニメだけじゃなくて、特撮もののBGM集も出してください」とかそしたら電話を受けた人が<特撮>をソラ耳して「毒殺ってなんですか?」なんて大ボケかましてくれたりして(笑)。とにかく1週間に1回は電話してましたね〜(笑)。今、僕が逆の立場だったらイヤですけどネ(笑)。でも、そのとき電話に出てくれた人が一生懸命聴いてくださって、僕の名前と住んでいるところを聞かれて、「君は面白い事を言うから、今度ウチの会社遊びに来ない?」って言われて、即行きました。中3の夏休みに。丁度その日は電話取ってくださっていた人はいなくて、学芸販売課の課長さんが相手をしてくださったんですよ。いろいろ話をして、実現できそうなことを言ったんでしょうか「じゃあ、また高校受験受かったらまた遊びにいらっしゃい」と言われて、その日はポスターをいっぱいもらって帰ったんです。「友だちにはナイショだよ」って言われて。でも翌日友だちに配ってました(笑)。子供ですからね〜。

高校受験勉強中は、1979年です。その頃劇場公開作品って多かったんですよ。受験生なのでのんびり映画を見に行かれませんから、お金も無いし……。その春の『実相寺監督作品 ウルトラマン』も『アルプスの少女ハイジ』も観に行けなかったんですよ。せめてと思って、その1年間だけ新聞に載る映画の広告を切って、貼るのを熱心にやっていました。今でも持ってますよ。その頃のムック本とかライナーノーツの影響で、持っていれば資料になるかもしれないっていう知恵がつき始めていたんですね。受験勉強がピークな年末には『戦国自衛隊』とか『ルパン三世カリオストロの城』でした。冬期講習の帰りに映画館周りをして「パンフレットだけ売って下さい」って言って、小遣いの限りパンフレットだけを買い回っていました。パンフレットを見て、映画を観たような気分になる。今思えば、たまたま作品的にもいい1年間にそれをやったなと思って……。たまたまマニアック度とか認知度とかクオリティの高い作品が公開された時期だったから。あの辺の時期のものって、今でも宝物ですよ。仕事にも利用してるし。その当時はまさか、それが将来の仕事に使えるなんて思わなかったですね。親からは「もっと役立つものを集めなさい」って言われて(笑)。

話は中2の夏に戻りますけれど、そういう特撮サントラ盤で酒井敏夫さんらが書いていた文章の影響で、「サントラの音楽っていうのは、資料的価値があるものだ、すばらしいものなんだ」と思い込んで、歌謡曲を聴かなくなった時期があるんですよね。「流行りものはカスだ」みたいに(笑)、「流行りものは、すたりもの」と思って、さっき言った「夕べの広場」などのFMも聴かなくなり、だんだんクラスのそういう話題には、ついていけなくなっていました。そういう時期が半年ぐらいあったんですけど、ささきいさお(佐々木功)さんのラジオを聴いていたときに、「今アニメブームで『ヤマト』のレコードとか買ってくれたり、ラジオ局の外で待っていてくれる子もいると思うんだけれど、世の中には映画とか音楽とか本でも、いっぱいいろんなものがあるから、もっと自分の時間やお金を有効に使って、なんでも興味を示して見たり読んだりしてほしい。そのなかの一つとして『ヤマト』やアニメが好きなんだったら、それでいいんだけど」っていう話をしていたんです。子どもですから素直に「ああ、そうなんだ」と思って、それでなんでも好きになっちゃったんですよ。あれが天の声みたいなものでしたね。
佐々木さんのファンだったんですか?
佐々木さんは、声が好きでしたね。『ゲッターロボ』も好きだった。あと、キャンディーズが解散したあとは、燃え尽きて放心状態になっちゃって(笑)、他のアイドル歌手に行くわけにもいかず、<アイドル浪人>してたんですよ(笑)。そういうときにコロムビアのアニメレコードカタログで、「堀江美都子アニメロマンの世界」のジャケットを見て、「ああ、こういうイケてるおネエちゃんが歌っているんだ」。1978年の「堀江美都子ベスト24」のジャケがすごくよくて、それから、ミッチに行っちゃいましたね。その1977年から1979年の3年間に今の原点が全てあるのかもしれませんね。
ちょうど中学生の。
一番多感な時期ですね。あの頃好きだったアーティストって、今だに好きですよ。サザンも好きだし。で、高校入学直前の春休みに、またコロムビアに遊びに行ったんですよ。だって「高校受かったらまたいらっしゃい」と言われていたから……。今度は、ようやく電話でお話しした時に呼んでいただいた人と会うことができました。その日は、今だから言える話ですけど、『地球(テラ)へ…』のサントラと、『8人ライダー対銀河王』のシングルと、『宇宙大帝ゴッドシグマ』のシングルと『燃えろアーサー白馬の王子』のシングルと、『サイボーグ009』の主題歌・挿入歌集をおみやげにもらったんですよ。
すごい。
「友だちにはナイショだよ」って言われて。翌日自慢してましたけど(笑)。いい時代だったんですよね。当時、そうやって電話してきた人の中から呼ばれて、宛名書きのアルバイトとかをやっていたのが何人かいて、春休み、夏休み、冬休みを宛名書きをやったり、売り上げのデータ集計も頼まれてやったりしました。グロス(出荷数)リターン(返品)ネット(正味売り上げ数)やジャケ写といった言葉も含めて、就職してから覚えるようなことを、その頃覚えてしまったんです。その時は、コドモ心に「レコード会社に入ると、レコードがもらえる、買わなくてすむんだ」という印象でした。単純ですから。お小遣いが5千円になったとしても、やっと毎月LP1枚買えるか買えないか、レコードは貴重品だっていう気持ちがあるから、それが何枚か一度に手に入るっていうのは、夢のような世界でしたね。だから高校のときにはもう、レコード会社に就職したいと思ってました。入れるっていう保証はなんにも無かったですけど。でも、あの電話だけで会社へ呼んでいただいた方には今でも感謝してます。それがなかったら今ごろここにいませんよ、きっと。

その後、制作の人も紹介してもらったいました。そのうちに「高島君、学生なんだから、柔らかい頭でなんかいい企画無いの?」とか言われたんですよ。じゃあって言って、『俺たちの勲章』のBGM集とか、『傷だらけの天使』のBGM集とか企画出すんですけど、もうケンもほろろでした。結局、後に全部自分で出来たから、そのときやれないで逆に良かったと思いますけど……。高校2年のある日、ディレクターの人から「『バビル2世』って見てた?」って聞かれて、アルバム『オリジナル BGMコレクション バビル2世』の話が来たんです。「構成っていう仕事があるから曲順作りと解説書の原稿書いて」と依頼していただいた方は、今もコロムビアにいらっしゃいます。そのときにディレクターから言われたのが、「高島君、君はまだ高校生なんだけど、ちゃんとこの仕事の原稿料は出します。でも、お金もらうってことはプロなんだから、打ち合わせの時間と原稿の締め切りは守らなきゃだめだよ」っていうことなんですね。これは、今でも自分が仕事していてライターの人に発注する時など、たまに受け売りで言うこともあります。それがこの仕事の最初の印象ですからね。

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