<ミュージックファイルシリーズ>200タイトル突破記念企画

バップ・高島幹雄氏 ロング・インタビュー

[劇伴倶楽部へ 戻る] [1] [2] [3] [4]

メロオケはBGMの中でもメインとなる聴きどころだ!

コロムビアさんのBGM集って、それまでメロオケが入ってなかったんですよ。『ゲッターロボ』のBGM集も入ってないし。僕が聴きたい『バビル2世』のBGMっていったらまずメロオケだと思ったから、メロオケは全ヴァージョン入れたんですよね。CDになったときは、世代が変わっていて僕と同世代の友人がディレクターがやったんだけど(解説書の)名前削られちゃって(笑)。入れて欲しかったなぁ(笑)。友達なのに……。

とにかく高校に入ってから、コロムビアでいろいろと覚えさせてもらって、いちばん基礎的な勉強をさせてもらいましたよね。もし僕がどこのレコード会社にも就職試験で受からなくて、他の業界に行っちゃっていたら何も役に立たなかったんですけど……。高校1〜2年の頃は、そういった環境のおかげでアニメ歌手のイベントとかも見に行きましたよ。もぐりこませてもらって……。あと学芸部のデスクに、たまに水木一郎さんとか、ささきさんとか来るから、誰がいてもいいように必ずノートを持っていて、サインしてもらったり。堀江さんの『EMOTION』のプロモーション用のポスターを5,6枚もらって、1枚を下敷きサイズに切ってはさんでいて、それにサインしてもらったりとか……。
『バビル2世』のあとのコロムビアの仕事というと。
この頃はもう大学生になってましたが、『デジタルトリップ/ウルトラQ』と『デジタルトリップ/宇宙刑事シャリバン』の解説書を頼まれて書かせて頂きました。あとは、「アニメ・サウンド・メモリアル」シリーズ。それは大学2年のときかな。そのとき、ぼくはファンハウスで宣伝のアルバイトをやっていたんです。きっかけは、大学の購買でバイトしていた時に雑誌『FROM A』に募集記事が載っていて、すぐに応募したんですよ。その直前にスポーツ新聞か何かに、オフコースや稲垣潤一などいた東芝EMIのセクションが独立してレコード会社を作るっていう記事があって、<ファンハウス>っていう名前がアタマにインプットされていたんです。その頃の僕は、目指す仕事はアニメや特撮の音楽よりもロックバンド育てたりとか、そういうジャンルの仕事をしたいと思っていたから、これは一つの大きなチャンスかもしれないと思って応募したら、なんと受かってしまって、1年近くですが、宣伝部の使い走りとか、クリエイティヴ・ディレクターのアシスタントなどをしてました。学校終わってから夕方に行っても仕事はありますから、けっこう融通がきいていましたね。当時ファンハウスが東京は千代田区の紀尾井町(ホテルニューオータニのそばのビル。昨年の『メッセンジャー』でもロケに使われていた)にあって、赤坂見付の駅のそばなんですけど、コロムビアにも近いんですよ。だからちょっと抜け出してコロムビアに顔を出したり……(笑)。その時に、Kさんていうディレクターに企画書を持っていったのが「アニメサウンド・メモリアル」でした。基本的にはBGM集の企画なんですけど、コロムビアで今まで出していた音源も含めてオムニバスにして、総合的な世界観が出るような、ちょっと変化球な選曲をしたいな、と思って立てた企画でした。僕自身の手で本当にゼロから構成したかったのが、『魔女っ子メグちゃん』と『母をたずねて三千里』だったんですけど、それがなぜか、他の人に振られちゃった。オレが企画したんだからやらせてよ(笑)。って内心ムッとしましたね。
8枚全部高島さんの企画だったんですか?
そうです。その他で関わった商品に『スーパーギャルズ・メモリー』っていうアルバムがあります。ゴーグルピンクの大川めぐみとダイナピンクの萩原佐代子に歌わせちゃったという。そのレコードの時は夜9時ぐらいにコロムビアの会議室に呼ばれて、<企画なんとか>っていうところが作ってきた構成案を見せられて「なにか意見があったら言って」とのことだったので、意見を言ったんですよ。「じゃあ、なんとかのシチュエーションのときはデンジ姫のテーマを使ったらどうですか」なんて選曲の話とか……。あのLPには、いくつか僕のアイデアも入っているんですけど、サンプル盤が出来上がってクレジットを見たら、僕の名前が入ってない。「ぼく、会議に行って、アイデア出したんですけど、名前が入ってないんですけど……」って言ったら「ごめんごめん、忘れてた」(笑)。アタマの血管が一本ブチっと音がして……僕は心の中で中指立てましたね。ふざけんなって。そういう悔しい経験があるから、今だにこういう仕事やっていて、クレジットってすごい気を遣いますよね。名前が抜けちゃったらマズい人とか。<紙1枚でも資料協力>っていう風に僕は言うんです。たとえ紙1枚であってもそれを借りたりもらったりしなければ、その解説書や商品のアキって埋まらないんですよ。だからその人の名前はちゃんと印刷して差し上げて、最低1枚は見本盤も差し上げるっていうのが礼儀だと思っています。それをしない人が多くてね。悲しい思いもいっぱいしたんです。「アニメサウンド・メモリアル」シリーズもCD化して欲しいですよね。
ポリドールの「太陽にほえろ! Original Soundtrack Collection」という3枚組と「アニメサウンド・メモリアル」っていうのは、同時期ですか?
「太陽にほえろ!」の最初が大学1年のときですから、「アニメサウンド・メモリアル」の方が後ですね。「太陽にほえろ!」のときは、もうレコード会社に片足突っ込んで、いろいろ原稿書かせてもらったりということも始めているから、ある程度名刺代わりになる商品もあったわけですよ。1983年にブルース刑事が出て「ブルース刑事のテーマ」っていうのが、フュージョンぽくってカッコよかったんですけど、それがいつレコード発売されるのかっていう問い合わせの電話をポリドールにしたんですよ。その時に「いつも『太陽にほえろ!』のレコード買ってるんですか?」って聞かれたんで、「買ってます。でも、去年出たベストは買ってません」と「それはなぜですか?」と問われたので「全部持ってる曲しか入っていないから」って言ったんですよ。わかりやすいですね。

そのときたまたま担当ディレクターの方に電話が回されていたようで「年末に『太陽にほえろ』で3枚組のLPを出さなければならない」と電話の向こうで言うんですよ。すでにラインナップされていると。「ここのところ『太陽にほえろ!』のレコードも売り上げが落ちているんで、何かいい企画は無いかなぁって考えている」とのことで、丁度そういうタイミングだったんですね。「どういうものがいいか?」って聞かれたので、「今までレコード買ってきた人はみんな買っているから、同じ曲を入れても絶対売れません。でもヴァージョン違いっていうのがあって、テレビでは実際に使われているんですけど、レコードになってない曲がいっぱいあるんですよ」っていう話をしたら、「ジャズでいうとアウトテイクみたいなものですか?」「そうです」「それはどこにあるんですか?」「たぶん制作スタジオの国際放映にあると思いますよ」「じゃあちょっとあなたの電話番号聞かせて下さい。また電話するかもしれません」って言われて、3日か4日して、ポリドールのIさんていうディレクターから電話が来たんですよ。「じゃあ、さっそくだけど会社の方に来ていただけますか?」って。その時に、どういうレコードにするのかというタイトル案と企画書を作って持って行きました。ディレクターさんもポリドールにあるマスターを全部コピーしてくれていて、この中にどれかレコード化されてないものはないかと聞かれました。確かに盤には未収録でミュージックテープにだけ入っている曲が1曲あったんです。そういうものと、国際放映から借りてくるテープの話をしました。じゃあ、「国際放映に行きましょう」って、行ったんですよ。当時選曲をやっていた方とお会いしたら、「テープはこんなにあるんですよ」って山積みになっているのを見せられました。実際の選曲作業用のワークテープも何本かあって、その中にブリッジが入っていたりしましたね。それを国際放映のダビングスタジオの中で、「たとえばこの曲ですか」ってどんどん聴かせてくれて、もう鳥肌ものでしたよ。「ああ、これレコードになってないあの曲だ」って。ジーパンのテーマのスローのトランペットの奴とか。
そのときは、コロムビアでこういう仕事やってますっていう話は?
レコード持って行きました。ここに名前入ってますって。今でいうとフリーのライターの人が営業やってるようなもんですね。
企画書って誰かに書き方をならったわけじゃなくて、自分でオリジナルで考えて書いたんですか?
教わってないですね。自分流です。ただ、自然に覚えちゃったっていうのもありますよね。例えば、レコード会社がレコード屋さんに配って毎月の新作の注文を取るための<新譜案内書>っていうのがあるんですけど、そういうものも見ていたんで、文章の書き方とかを自然に覚えて応用しちゃった感じですね。コロムビアの宣伝の人からも毎月アニメレコードの宣伝用原稿を頼まれて書かせていただいたりして。
そういう文章の語り口というか、そんな普通なら学生がまだ知らなくていいようなことも、覚えましたね。門前の小僧なんとかみたいな。

この「太陽にほえろ! Original Soundtrack Collection」を作っている間もいろんなことがありまして……。やっぱりディレクターは、演奏ミスが気になるんですよね。「ほんとにこの演奏ミスしちゃってるのを入れちゃっていいの?」とか。ボスがよく屋上でお説教しているシーンの曲で、「太陽にほえろ!メインテーマ」をピアノソロで演奏している曲があるんですけど、最後の最後で演奏をミスしてるんですよ。「こういうのでもレコード化しちゃっていいのかなぁ、いいのかなぁ」って、編集作業のスタジオでもそのディレクターは言っているんです。でも「それしかないオリジナルだからいいんです。みんなそれが聴きたいんです。テレビでもこれを使ってるんです」って言って。それでもなおしつこいくらいに何度も「ほんとにこの曲(本編で)使ってるの?」って言われたんで、解説書には、やたらと何話のどこで使ってるっていう説明が多いんですよ。アレは「だから本当に使ってるんだヨ、バカヤロー」みたいな精神状態で書いていたんで(笑)。この仕事は大学1年のときで、マスターテープから選曲用にカセットテープにコピーしてもらったんですけど、オリジナル・マスターテープに貼ってある録音日やMナンバーを記入したシートも資料としてコピーするっていう知識というかノウハウがまだ僕には無かったんで、カセットを全部聴いて、時計で演奏時間を測りながら(演奏前に)「Mのいくつ」ってクレジットを言ったものを聞き逃さずに、自分で書いていった。
それは大変だ。
それが家でやるだけでは追いつかなくて、授業中もやってましたよ(笑)。今は会社では打ち合わせや会議資料作りをやって、選曲や原稿書きなどの実制作作業は家でやってますけど……。休日にやってる分は休日出勤にしてもいいんですかねえ。外で働かないときは休日扱いにしちゃってますけど……。話はもどりますが、教室の後ろの方の席で、ウォークマンで聴きながらやってましたね。3日ぐらいほとんど寝ないで構成作ったな。初めて徹夜でヘロヘロになるって経験しました。ヘロヘロになって、アタマのボーッとながら日曜日の夕方に、ポリドールのディレクターのところにデモテープ持って行きました。スタジオの編集作業も立ち会いました。それが1万セット売れたんですって。今じゃ考えられないですけど。やっぱり放送中っていうのは強いなと思いましたね。ディレクターからはその後「これ1万セット売れたんで、第2弾を考えてもらいたいんだけど。まだ曲はあるよね?」なんて、売れちゃうと調子がいいんですよ。半年後に第2弾が出て、大学3年のときに2枚組の第3弾が出て、4年のときに、『太陽にほえろ』も終わったので総集編を作ろうって話になって、5枚組の「太陽にほえろ! Soundtrack Collection Final」っていうのを出しました。

その当時の悔いがあるんですよ。「太陽にほえろのテーマ」は、昔使っていたバージョンを編集でいじって変えたものがあるんです。1回新テーマになって、また旧バージョンに戻したときに、音効の人が編集を変えちゃったんですね。ギターのアドリブが聞こえるテイクです。それがちゃんと2種類入るように構成を作ったんですよ。マスタリングには立ち会わなくていいって言われたんですけど、心配だったから、ちゃんと、どのテープから使えばいいかという詳細なメモも書いてお渡ししたんですが、そのまま同じヴァージョンが入ってしまったんです。サンプル盤ができて聴いたときに、「あ、違ってる! 同じのが2つ入っている!」。あとでCDになるときに、ポリドールでディレクターやっていた人が僕の友人で「今度いよいよアレをCD化しますから、高島さんの名前残しておきますね」って言ってくれたので、「じゃあ、「太陽にほえろメインテーマ」のテイク違いはちゃんと入れ直してね」ってお願いして、使うマスターのどこに入っているかも教えて、差し替えてもらいました。でも、この『太陽にほえろ!』の BGM集も本当に最初の電話がいいタイミングでつながっていかなければ無かったですよね。

作曲者である大野克夫さんとは<ミュージックファイルシリーズ>で作品集を作らせて頂きましたけど、その前にポリドールでは6枚組のBOX「太陽にほえろ Polidor Master Complete」っていうレコードヴァージョンを全部収録したものも出 しています。あれも実は僕が言い出した企画で、「昔出ていたアルバムが全部CDになっても、後半のものは曲のダブりが多いから買い控える人もいるよ。セットひとつ買えば、全曲聴けるものを作った方がいいよって……」2000セットは固いなんて吹いちゃったんですけど、実際そのぐらい売れたらしいんですよ。で、ボーナス CDとして、「『フリーウェイズ』っていう大野克夫のアルバムがあって、『太陽にほえろ! 』で喫茶店の聞き込みシーンで使われているから、それもCD化して入れた方がいいよ」って言って、全部まとめてもらった。ちょうどバップで『太陽にほえろ!』の全オープニングと予告編を集めたビデオとLDがあったんで、タスキなどに告知も乗り入れしました。

大野克夫さんは実は、最初の黄色いジャケットのアルバム(1983年の「Original Soundtrack Collection」)をちゃんと聴いたのは最近らしいんですけど、「あれ今更だけど、よくできてるよね。曲順の流れもいいよ」って言っていただいて嬉しかったですね。

結局、大学の4年間は、おもちゃのバンダイの派遣店員とか普通のアルバイトもやりながら、毎年1枚は『太陽にほえろ! 』のアルバムを作っていた感じですね。大学4年の秋にバップに就職が決まったときには、「もうサントラ盤の世界じゃないから、新人のロックバンドを育てて、武道館満杯とか、そういうバックにスタッフとしてオレがいればいいなぁ」という風に夢見てたんですけどね……。
普通の音楽業界で。
ええ。他のアルバイトなどで縁のあった会社も全部受けたんですけど、ナマイキしていたからでしょうか全部落ちましたね。中には「僕が口を利けば君なら大丈夫」とかいい加減な業界人っぽいオトナにも騙されましたけど……そういう人には「いつか見返してやる」と思って。今でもそういう気持ちって失ってないところありますよ。「太陽にほえろ! Soundtrack Collection Final」っていう最後のアルバ ムは、大学の卒論とほぼ同時進行でやってたんですよ。そのときのディレクターが、もともと井上堯之バンドのディレクターもやっていた方。当時小林旭さんのディレクターもやっていて、「熱き心に」が流行った頃で年末賞レースの時期ということもあって、僕が一生懸命何回も電話して原稿チェックお願いしているのに、いない。そういうこともあって違うヴァージョンが間違えて収録されてしまったと思うんですけどね。僕にとっては賞レースなんかよりも、『太陽にほえろ!』のファイナル・アルバムの方がもちろん大事だった。バップに入るし、サントラの仕事からは離れなければならないし、自分の中では卒業制作みたいな気持ちで作ったんですよ。

(次のページへ)


[劇伴倶楽部へ 戻る] [1] [2] [3] [4]

Copyright (c) haramaki-neko 1998-2014