劇伴倶楽部座談会 第3弾

私たちの 生きた 時間

[劇伴倶楽部へ 戻る] [1] [2] [3] [4] [5]

アニメ・特撮ファンジンの歩み

ぼくは自分で主催してファンクラブやったっていうのは、高校生からなんです。
え、なんのファンクラブを?
うっ。恥ずかしながら「ヤマト」の…。(- -;)
「ヤマト」のファンクラブって多かったですよねえ。
ぼくが最初に同人誌作った頃はね、まだガリ版。そのあと青焼き、白焼きコピーで、やっとオフセットになった。
こういう同人誌が盛んになり出したのは、SFやってる人たちからなんですよ。SFファンたち。「SFマガジン」が創刊されて、その読者欄にそういうファンの人が投稿するようになって、そこで同好の士を募って、っていうんで始まったんです。
アニメとか特撮もののファンクラブっていうのも、やっぱり「SFマガジン」から始まった。最初に始めたのは、SFファンでアニメも見ていたっていう人だったんですよ。「トリトン」の頃に「SFマガジン」の投稿欄からファンクラブができて、「ガッチャマン」とか「トリトン」とか、SF的にマニアックな作品を語るようになったっていうのが最初ですね。
'72〜'73年の話ですね。
そう。ぼくは世代的には、それよりちょっとあとなんですけど、兄貴が6つ違いで、その最初の「トリトン」のファンクラブに入っていた。ぼくはその影響を受けて、中学生の頃に「ヤマト」を見て、やっぱり「SFマガジン」から「ヤマト」のファンクラブができて、そこに入会したっていうのが、ファン活動の始まり。'75年くらいですね。
それは、東京にあったファンクラブで、ファンクラブっていうよりも、「ヤマト」の資料を残そう、テレビで放映されなかったエピソードとか資料とかを残そうというんで始まったんで、そういう設定書ばっかり本にして送ってきてたんですよ。
そうそう。昔のサークルって、設定とか、そういうのがひとりだと手に入らないから、みんなで集まって、どうにかしてそういうのを手に入れようって感じだったんですね。
それでね、アニメファンっていうのがまだなかった、出始めの頃だったんで、制作会社とかプロダクションなんかも警戒してないし、設定資料とかセルとかくれたんですよね。だから、当時セル一杯もらってる人もいたし、BGMのテープをダビングしてもらったという話もあったんですよ。
きっと、私が大学の文化祭に通っていた頃の大学生の人たちが、そういう活動の頃ですよね。
そうですね。

アニメの音楽関係の同人誌ってありますか?
今はね。ぼくがやってた頃は、音楽だけっていうのは、なかったね。やっぱり作品中心で。
「うた本」みたいなのはあったっていいますね。研究本っていうのは、あんまり知らないですね。
(劇伴倶楽部の)Who's Whoみたいなのって、同人誌で昔からありそうなネタなんだけど、そういえば見たことないなあ、と思って。
ぼくも知らないなあ。
ああいうのはないですねえ。
ないですよねえ。これだけ集まってるから、みんな知ってるし、興味もあるんだろうけど、なんで同人誌には音楽関係のってないんでしょう。やっぱり字書いてもしょうがないからなんでしょうかね、音楽関係だと。絵とかだったら描けるけど。
でもねえ、前に買ってきてもらったやつで、ミッチ本で1200〜1300曲かなあ、全部解説したこんな分厚い本があった(笑)。
わりと歌手の本なんかはありますよねえ。
結構最近。
アニメでも特撮でも、音楽だけとか、そういう風に特化し始めるのは最近になってから。昔は、70年代くらいだと、とにかく資料も全然ないし、ビデオもない時代だから、作品そのものが残ってないでしょ。だから、これはどういう作品だったという資料として残すと。
まず作品の発掘ですよ。何があるんや、というところですよ。まず。
ぼくが特撮の同人誌で「PUFF」っていうのに参加したのが高校に入ってからなんですけど、その頃はまだ「宇宙船」とか「ファンコレ」とかないし、「アニメージュ」もない頃だったんで、とにかく、作品のデータをまず残す。作品リストを残すとか、スタッフリストを残すとか、このエピソードはこういう話で、これが見所みたいなのを載せるのが中心だった。
放映リストを作ってるサークルとかありましたよね。
専門でやってるサークルもあった。
それウェブでもありますよ。
それは昔同人誌でやってたことを、今ネットでやってるっていう典型ですね。
ぼくがいまだに「アニメージュ」ずっと買ってるってのは、放映リストが載ってるから。「アニメージュ」だけは資料的価値が高すぎて捨てられないんですよ。「OUT」とかぽこぽこ捨てちゃうんだけど(笑)。
あと毎年つくデータブックと。
「アニメージュ」が出て創刊号見たときは、同人誌の方がずっと詳しいし、いいじゃないかと思ったんだけど。「宇宙船」は同人誌やってた人が始めたんだけど、「アニメージュ」はそういう流れじゃなかったんでねえ。
初期の頃はわりと資料的価値がありますよね。
最初の頃のは、よくわかんない描き下ろしのセル画で名場面が載ってたりとか(笑)。なんじゃこれ、みたいなのもある。
それ、結構最近までやってましたよ(笑)。
アニメーターの特集とか、後半の白黒ページとか、おかだえみこさんと鈴木伸一さんの「アニメ熟」とか、「アニメの歴史」とか、あの辺は結構すごいなと思ってました。
ああいうのは、同人誌を参考にしたんでしょうね。
作り手が書いてるっていうのが貴重でしたね。私たち子どもだったから、そういうこと全然知らないわけじゃないですか。3コマ撮りってどういうの、っていうのがわかんないわけですよ。子どもながらに読んでいるうちに、そういうことに対して物知りになっていくっていう部分があって。
積み重ねの1段目、みたいなとこありますよ。
アニメでいうと、「アニドウ」っていうすごい古いサークルがあるじゃないですか。老舗の。テレビアニメよりも、海外の劇場アニメとか短編アニメの方が専門なんですけど。そこがきっと、アニメの同人誌出した最初ですよね。「フィルム1/24」とかね。あれが、高畑勲のインタビューとか宮崎駿のインタビューとかの出始めでしょう。
(注:アニドウ=1967年にプロのアニメーターたちによって作られた「アニメ同好会」が母体。世界のアニメーション映画の研究・紹介・上映会などを積極的に行っている。ホームページもある)

これはぼくが昔書いてた同人誌です。あとアキバさんが送ってくれたのと。
(アキバさん所蔵の同人誌や、腹巻猫所蔵の「PUFF」などをみんなで見る)
書いてるとだんだん字が四角くなってきません。こういう字になってくるんですよね。
そう。同人誌は昔は版下作るのが大変でね。版下自分で書くんですよ。手書きで。
ワープロが普及してから、同人誌も変わりましたよね。
全然変わりましたね。
印刷も安くなったし。とにかく印刷代が高いから、個人誌を出すなんてのは、雲の上の人でした。
トーンも高くて買えないから、トーンをコピーしたやつを貼ったり(笑)。
昔、ガリ版だったころなんて、写真が使えないんで、写真だけ紙焼きにして、切り取って貼るんですよ。
印刷に出すのでも、写真載せるのにお金が別料金でかかるんですよね。
アミ処理とかしたりするとよけいね。
同人誌に歌詞載せちゃ、ほんとはいけないんですかねえ。
同人誌はなんでもありですね(笑)。
個人で楽しめばいい。
設定書載せたり、写真載せたり。ほんとはだめなんでしょうけどね。「フィルム1/24」は東映動画からクレームつけれらたって書いてましたけど。ただ、同人誌っていうのは部数が限られてるんで、出しちゃえば、あとでクレームつけられても、それ以上増えないんで。
お金をもうけた時点で、その辺の問題が出てきますよね。最近、税務署からコミケに指摘があったじゃないですか。それを聞いて、おっきくなったなあって思いました。
成長してしまった(笑)。
(読みながら)懐かしい雰囲気ですよ。
あの頃よく読んでたなあって思う。
やっぱり手書きじゃなきゃ(笑)。大学行くと、こういう本があるんですよ。SF研行くと、「SFマガジン」のバックナンバーリストとか。自分たちで作ったのが。
同人誌っていうのは、やっぱり手間がねえ。時間もかかるし、お金もかかるし。大学生まで、かな。
結構、こういうのに長浜監督が、心よい方だったじゃないですか。
ファンを大切にしていたと、今でも語り継がれている。

アニパロがはやりだしたのっていつ頃ですか。
やっぱり'80年ぐらいからじゃないかな。
でも「ヤマト」の映画のブームでわーっと。
あ、もうあれで全然変わったよね。
あれで結構JUNE系が。
そこで、ガルマとシャアが士官学校時代ルームメイトだったっていう設定が、まことしやかに。あっというまに伝播したような気がするんですけど。
だいたい、ルパンとかガッチャマンとか、そっちの方が息長いんですよねえ。最近やおいっていうけど、私やおいって言葉知らなかったんですよ。昔からJUNE系、JUNE系って言ってて。
JUNEってなに?
「JUNE」っていう本。
「JUNE」っていう雑誌があったんですよ。怪しい雑誌が。
描いてましたよ、周りで。「聖闘士星矢」とかがすごかったんですよ(笑)。
ああ、トルーパー、星矢、キャプつば(笑)。
「翼」がありましたねえ。
「ゴッドマーズ」は?
mio マーズは登竜門とか言われてましたよ(笑)。
(以下、自主規制によりカット)

(次のページへ)


[劇伴倶楽部へ 戻る] [1] [2] [3] [4] [5]

Copyright (c) haramaki-neko 1998-2014