劇伴倶楽部座談会 第5弾

映像音楽サイトことはじめ

('98/8/30)

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今回の座談会は、名古屋出張版。
アキバさんと一緒に、第37回日本SF大会 CAPRICON1に参加するため名古屋に行ったので、地元(愛知県岡崎市)在住のミウラ和尚にも会ってこよう、という企画です。
ミウラさんもアキバさんも、劇伴倶楽部より前から、TV劇伴の作曲家に関するサイトを運営している先輩であります。そこで今回は、映像音楽を専門に扱うサイトの立ち上げの頃の話や苦労話などをたっぷりうかがいました。 収録にあたっては、ミウラ和尚に会場の選定・予約までしていただき、お世話になりました。ありがとうございました。

参加者
腹巻猫。劇伴倶楽部の主。
ミウラ和尚。渡辺岳夫ホームページ主催者。
アキバ。渡辺宙明サイト「Molpheous Point」の主催者。


音楽遍歴

まず、ミウラさんの音楽遍歴から。
小学校のときはスポーツが全然だめで、でも何か部活やらないと、いづらいっていう雰囲気があって、しょうがないから何かやらなきゃいけないと。で、トランペット鼓隊、トランペット吹く人と太鼓やる人がいる、いわゆる鼓笛隊ていうのがあったんで、じゃ、何か太鼓叩くかと。でもね、太鼓っていうのは、ちっちゃいものほど難しい。大太鼓は、ドンドンドンドンしかない。中太鼓っていうのは、もうちょっと音数が多い。小太鼓はもっと難しい。タッタカタカタカ、タッタカタカタカ、ダラララララって。で、その太鼓部隊の落ちこぼれだったんです。
それは、小さい太鼓をやる人が落ちこぼれとかいうことじゃなくて?
違う違う。小さい太鼓をやるのが、みんなうまい人ばっかりなので、その中で落ちこぼれてて、困ったなあと。じゃあ、お前シンバルやるか?って言われて、その頃は背の順で並ぶと前から4番目か5番めになるくらい体が小さいのに、コンサートシンバルっていう大きいの持たされた。ものすごい重労働なわけ。汗だーってかいて。実はマーチングシンバルはコンサート用シンバルと違って、もっと小さくて薄くて軽いということを知ったのは、中学校以上になってから。だまされたー(笑)。で、高校・中学は吹奏楽部で打楽器をやって、年期が入ってくると、小太鼓もやっとやれるようになりました。いちばん好きだったのはティンパニーですね。
ほう。
あれはねー、面白い。やるとやめられない。オーケストラにおける、第2の指揮者ってところ。
ほうほう。
順調に行くと、そのあと、高校・吹奏楽、大学・オーケストラってなるはずだったんですね。お友だちもみんな進学決まって、ぼくはどこどこ大学交響楽団、ってやってる。で、思うところあったのは、一生なんかやろうと思ったときに、オーケストラのメンバーで一生やるのは、これはとてもしんどいぞと。実際、(友だちも)今でもやってる人はほとんどいない。学生の4年間だけで終わりではちょっと淋しい。で、大学のときに、交響楽団の横に「軽音楽部」っていうボロい部室があって、そこへひとりで「たのもう」って行ったら、当時はやり始めていたフュージョンの一連隊がいた。
何年くらい前ですか?
大学に入った年ですから、1981年ですね。カシオペアがデビューして1年とか、その頃です。だから、フュージョンってことばも知らなくて、その部室へ行って、フュージョンって音楽を生で聞かせてもらって、「おおー」ってなったんですね。こんなかっこいいモダンな音楽があったのか。
それまではクラシックの方だったんですか。
うん、そっちしか知らなくて。で、「もうなんも知らないです、キーボードも弾いたことないです、でも、先輩まぜてください」って頼んで、フュージョンのバンドで、わけわかんないけど、パーカッションやって、そのうちキーボード買ってきて、先輩に教わりながら、ちょっとサブのキーボードやって勉強させてもらった。で、学生時代が終わったら、作曲して、ひとつまとまりができて、今ホームページにアップロードしてるようなことができるようになりました。それで現在に至る。
かっちょええ〜。
じゃあ、そういうポピュラーなんかをやり始めたのは、大学に入ってからなんですか。
ポピュラーっていうか、いわゆるジャズ系っていう。
コードとか覚えはったんもその頃?
そうですね。先輩にえらい人がいて、教えてくれて。で、教わったけど、はっきりいって、教わるのとか、本読んでこうだとかいうのは、まだ身に入ってなかったかな、と。で、渡辺岳夫ホームページを始めて、子ども頃から頭の中に叩き込まれていたコード進行とかっていうのが、実はそれだった、というのに気づいてきたんですね。
作曲はいつからやってたんですか?
それは高校卒業する頃から。
もう譜面も書いて。
そうですね。なにもわかんないから、もとから影響を受けていたものを書くでしょう。で、コード決めると、おかしい、こんなコード教科書に出てない、なんで?っていうのが出てきた。
曲を聞いてもらえばわかるんだけど、(ぼくの曲に)その手のコードがじゃんじゃん出てくる。具体的にいうと、マイナーの曲がメジャーでじゃーんと終わるとか。なんでぼくが作曲するとそんなの出てくるんだ、教科書にもそんなコードないぞ、変だなぁ、ふしぎだなぁと思っていて、しばらくして気づいたのは、渡辺岳夫って人の曲がこうじゃないか、と。
あとで気づいた。
(渡辺岳夫の)名前を意識しだしたのは、昔の「天才バカボン」。あのオープニングでバカボンのパパが大八車を押しているときに野菜がどかーん束になっているその上に「渡辺岳夫」と。
乗ってますよねー。
あれで最初に、こんな名前の人いるのか、と思った。で、よく見ると、有名な、じーんときた番組に、ちらっちらっと名前があるじゃないですか。あれ、この人はなんか、すごい私に教えてる人だ、と。で、意識しだしてから、高校の部活が終わってから飛んで帰って観た「ガンダム」の再放送。なんか、すごい、これはなんだ、と思って。当時「白い巨塔」の方も観てて、あ、おんなじ人だ、すげえとかいって。これ、ガンダムが大人になってる。
やっぱみんな気づくときって、そういうときなんですね。自分が好きやったのを調べたら、全部いっしょやったって。ぼくもそれやから。
そう。自分が何に感動してるか調べたらそこでわかった。で、もっとよく考えると、あ、こういうコード進行があったんだ、こういうメロディがあったんだ、というのが、まじめにやってるとより深く理解できました、自分にとって勉強になりました。誰でも、作曲してて、どうしても何かに似ちゃうというのがあるんです。その辺の極意を考えたら、わかったんです。似ちゃうときに似ないようにしようとすると、ますますおかしくなるから、そのとき、開き直って、その人のことをまじめに研究しちゃうんですね。そうすると返って、ええもんができるようになった。

次はアキバさんの。
前の座談会にも書いてるのがほとんどなんですけど。「メタルダー」のBGMがすごい好きやったんですよ。
「メタルダー」は渡辺宙明ではないですよね。
あれは横山菁児なんですけど、音がすごい分厚いじゃないですか。みんなどうか知らないですけど、アニメの音楽ていうのは、普通のやつより一段低く見てると思うんですよ。少なくとも自分はそうでした。でも「メタルダー」は新日本フィルが演ってるじゃないですか。権威主義じゃないんですけど、新日本フィルが演ってるってことは、普通のオーケストラが演ってるわけで、ということは、バッハとかベートーベンとかを演ってるのと同じ楽器を使っているもんやと。同じ楽器から音が出て、違うのは作曲家というか、メロディとか構成とか、その辺だけですよね。それで、ベートーベンにしろアニメの音楽にしろ、出てる音は同じやというのに気づいたんです。そこで、自分のコンプレックスいうのか、アニメ音楽が一段低いもんやと思ってたのが、堂々とこれはええねん、て言えるようになって、それでバンバン買うようになったんですよ。
で、「メタルダー」の交響組曲のあとに、「栄光の東映ヒーローBGM集」の2巻めが「ジャスピオン」「スピルバン」「メタルダー」で出たんですよ。ぼくはそれ、「メタルダー」の瞬転のBGMほしくて買って、半年か1年くらい、ずっと「メタルダー」しか聴いてなかったんです。「ジャスピオン」とか「スピルバン」とか全然観てなくて、思い入れなかったんで。でも、せっかく買ったのにもったいないよな、思うて聴いてみたら、「ダイレオン」の曲聴いたときに、最初はぜんぜん、なんでこんな曲が思うてたんですけど、なんか知らんけど、ずっと聴きたくなって聴きたくなって、聴いてたらむちゃくちゃかっこよくなったんですよ。
うーん。
次にそのCDについていたライナーを観てみたら、この「ダイレオン」の曲は、「イクサー1」の「イクサーロボ」と並ぶ名曲やって書いてあるんですよ。次は「イクサー1」のCD買って、「イクサーロボ」とか「襲撃」とか聴いて、あ、やっぱすごいわと思って。それで、家にあるCDで宙明って人のがあるかもしれないと思って調べたら、自分がめちゃくちゃ好きやった「鋼鉄ジーグ」「ガ・キーン」「メカンダーロボ」「イナズマン」「キカイダー」「17」「ジャッカー」「ゴレンジャー」、全部その人やったんですよ。
そのときはえらい、カルチャーショックだったでしょう。
うっわーって感じで。人づてに、ものすごく印象に残ってた「宇宙刑事」のレーザーブレードとか、バビロス号が出てくるときのBGMも全部あの人やで、って聞いて、そうなんか、じゃ自分はもう、あの人の曲が合う体質なんやと思って、「じゃ、全部聴いてやる」ってなったんですよ。それで、宙明さんを注目したとともに、作曲家というのを注目するようになった。菊池俊輔っていう人も、宙明と双璧で自分が好きな曲作った人や、っていうのを認識して。じゃあ、そういうふうにメロディとか好きな人から調べていったらOKかな、と。

映画音楽の話

ミウラさんが作曲始めたのは、映像音楽ってことで意識して始めたわけではないんですか。
ないんですね。なんか音楽をってことで。
映画音楽への志向っていうのは、いつぐらいからですか。
あ、それはねえ…。ジョン・ウィリアムスが、「スターウォーズ」でアカデミー賞をとったときの受賞式を見ていたら、これが今度のウィリアムスだよとかいって、「スーパーマン」のテーマがタンタターン…と。お前、そんなことしていいのか(笑)。みんな思ったんだよ、そのときは。そんなんありかって。アメリカ人はオリジナリティを尊ぶんじゃねえのかって。思ったけど、でも、そのときに印象に残るじゃないですか。気が付くと、実はそれ以前に観てたウィリアムスの映画があったなと。何かっていったら、「タワーリング・インフェルノ」。
ああ、はいはいはい。
「タワーリング・インフェルノ」のメインタイトルっていうのは、もう、死ぬほど転調するわ、変拍子するわ、そんなんありか、っていうくらいの実はすごい曲で。で、実はこの人は有名な、昔からやっとんた人やと。あ、「ジョーズ」だ。「ジョーズ」っていうと、メインテーマしか有名じゃないんだけど、サントラアルバムを買ってきて聞くと、それ以外にもええ音楽がいっぱいあるじゃないか。「タワーリング・インフェルノ」買ってくると、序曲以外の曲もこんなにええじゃないかと。「ジョーズ」と同じ頃に劇場で観た「大地震」もそうじゃないかと。昔から結構やってたやないか。このウィリアムスっていうおっちゃんは、悪口いうのは簡単やけど、すげえぞと。
で、吹奏楽部で、そのときたまたま「スターウォーズ」のテーマをやったんですよ。トランペットのすごくうまい先輩がいて、その人が高いCの音を吹けるの。で、その曲でやっぱりティンパニーをやった。あのティンパニーをやっちゃうと、すげえぜ。みんなテーマしか聞いてないけど、あのバックでティンパニーがダダンダダンダダンダダン…。5分くらいのメインタイトルをやりきると、もう汗がだーっとなっちゃう。その辺がきっかけです。
映画音楽は前から聴いてたんですか。
うん。だけど、この作曲家はこうでとか、いう聴き方ではなかった。それはジョン・ウィリアムスがきっかけ。さすがにわかるじゃないですか、あの「スターウォーズ」と「スーパーマン」聴くと(笑)。
あれはモロにわかりますよね。
ぼくらも小学生のとき、口ずさむときにまざってましたもんね(笑)。
だから、そういうのもアイデンティティっていうか、そういうのも重要なんやなあ、と。
ジョン・ウィリアムスの頃は、映画音楽のブームとしては3回目くらいですかねえ。その前は70年代に1回あって、その前は、たぶん60年代の「風とともに去りぬ」とか、あの頃にあったと思うんですけど。
それがわかっちゃうとね。あとは今まで観た映画の曲は、これはマックス・スタイナー、これは、って全部思い出せるじゃない。そうすると、これはラロ・シフリンだったのとか、自分の好きなこれとこれとこれはヘンリー・マンシーニだったの、とか、あとづけでみんなできちゃう。
そうですね。あとで体系づけしていくっていう。
そうそうそうそう。
ぼくは小学校の頃にラジオでモリコーネとか聴いて、好きになって。
それは変な小学生ですね(笑)。
変な小学生なんですね、確かに(笑)。で、モリコーネのアルバムとか買って聴いてたんですよ。だから、割と小さい頃から作曲家志向で聴いてた覚えがあるんですけどね。
エンニオ・モリコーネって、まじめに聴きだしたのはこの1年だったんです。名前しか知らなくて。
そうなんですか。
うん。ただ、この映画はモリコーネ、これもモリコーネ、なにこの人、やけに大作もやっとるくせに変な映画もいっぱいやっとるやないかって思ってて。でも、聴かせてくれた人がいて、立て続けに「オルカ」とか「1900年」とか「ある朝食のテーブル」とか聴かせてくれたんですよ。そうすると、これはなんだっていうのがあって、それでまた再燃。ていうのは、1980年の半ばからこっちって、映画音楽っていうか、サントラ音楽って、もうあまり聴く気しねえぞって感じだったんですね。
そうですよね。
特にレコードとかCDを買う気がしないの。なにこの歌、なにこれ。
歌ものばっかりで。
うん。だから、昔に走っちゃいましたもんね。家にあるのも、「ライトスタッフ」と「ロケッティア」しかないんですわ。
で、今になって、まだええ人はおりまっせー、昔からやってまっせー、ていう感じですね。
ぼくもハンス・ジマーとか、名前だけはよう見てたけど、実際に意識したのは最近ですもん。映画音楽なんてあんまり意識して聴いたことはなかったから。
ハンス・ジマーっていう名前はなかなか覚えないよね。
ZimmerっていうZで始まる名前やから。
ハンス・ジマーっていって、すぐに曲が思い浮かぶ人はいなかったですね。でも、やっぱり「バック・ドラフト」で有名になったよね。
「バックドラフト」観たときは、涙が止まらない…。
あれが「料理の鉄人」で使われて有名になったから。
あれでやんなった。観たくなくなった。涙の思い出は大切にしたい(笑)。

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