中国のビザの申請に行ったものの、曜日の関係で待たされ、
結局この公園に5連泊する事になってしまいました。
通行人のおばあちゃんをつかまえて抱きつき、「オッケー、最高!」とからんだかと思うと、
今度は有吉に「俺また迷惑かけたよ」などと泣きつくありさまで、
ついには街に着く寸前に倒れ込み、死んでしまいました。
そして資金が底をついた二人は、着ているものを売って金にしようともくろんで市場へ向かいます。
ヒッチハイク開始当初は真っ白だった有吉のジャケットは今ではすっかり茶ばんでしまい、
店の人には「オムツのにおいがする」と評判は最悪。しかし日本製だということを
セールスポイントに売ることに成功し、森脇の分と合わせて30万ドン(約\3,000)をせしめました。
ドンハからトラックで5時間、ラオスに入国です。
ここは住み込み、そして賄い付きというとてもいい環境の職場でした。
ここで1週間働き、稼いだ金は3,800バーツ(約\15,000)。
つらい別れを告げたあと、ビザ取得へ向かいます。
ここでピンチの猿岩石に、松本明子からの救援物資が届けられました。
段ボール箱の中身は板・空手着・空缶の3点。空手ショーで金を稼げ!ということなのです。
「ヨイショッ!」のかけ声とともに線の細い正拳突きもどきを繰り出し、
次におそるおそる板割りにチャレンジです。と、これが意外にも割れてくれるのです。
調子に乗って2枚割りにチャレンジ。これも割れてしまいました。
そんなこんなで評判は上々で、人々はたくさん空き缶にお金を入れてくれました。
しかし、あとで数えてみると、拳を傷めて稼いだ金は526チャット=526円。
翌日ビザを取得して、猿岩石はインドへ。
檀家の家を托鉢に回ったり、食べることと寝ることには何不自由ない生活が続きました。
しかし、このままではロンドンには行けないことに気がつき、再び旅立つことになりました。
ちなみに、二人の僧侶としての名前は、
さて、袈裟を来ていた2人は、おかげですぐにヒッチハイクに成功しました。
しかし、金を稼がなければならないので、僧侶ではないことを話し、元の空手着に着替えました。
そこでさらに近くのモテハリを目指し、奥の手の袈裟に着替えると、
すぐに1台の乗用車が止まりました。しかし、車はモテハリで止まらずに、
気がついたときにはネパールの国境まで行ってしまっていました。
話によると、僧侶はモテハリ経由でネパールのカトマンズに行く人が多い、とのこと。
運転手は袈裟を来た猿岩石を見て、気を利かせて国境までつれてきてくれたのです。
半ばやけになった猿岩石は、「じゃ、もう行こう!」ということで、
思い切ってネパール入国を果たします。おかげでカレー豆工場でのバイト台は、
ビザ代でほとんど消えてしまいました。
翌日、救援物資第2弾がやってきました。と同時に、現在猿岩石に同行してきた
2人目のディレクター〆谷さんが、3人目の川端ディレクターと交代です。
気になる中身は、ひっつきダコ(マジックオクトパス)。昔ちょっと見かけた、
ガラスにひっつけるとぺたぺた回転しながら降りてくるやつです。
同じようなもので人型のやつを、今も上野近辺で見ることができます。
早速実演販売をすると、人は集まってくるものの、なかなか買ってくれません。
聞いてみると値段に不満があるということなのです。そこで値下げをすると、
子供たちは争うように買っていきました。
翌日、残りのタコを売りつくし、ステーキレストランでヒッチハイク中初めての
豪華な食事にありつきました。230ルピー(約\430)。
しかし有吉が食中りをおこしてしまい、宿に泊らざるを得なくなります。
これで再びほぼ無一文、所持金は30ルピー(約\105)になってしまいました。
3日間寝込み、4日目にようやく回復。せっかくネパールに来たんだから
エベレストを見ておこう、ということで、エベレストの麓を目指します。
ゲットした車の運転手によると、エベレストを見るのには、ずっと手前の
ナガルコットという街がベストとのことです。
再びインドへ向かう途中のトラックは、ゴミだらけの荷台でした。
でもそのゴミがクッションとなって、乗り心地は思いのほかグッドでした。
翌日めでたく仕事は見つかっていました。それはカーペット工場で、
カーペットの細かい糸くずをとる作業でした。
2人で日給100ルピー(約\350)、それも嬉しい日払いです。5ルピーの社員食を食べ、
工場の倉庫で泊まる生活4日間で、350ルピー(約\1,200)がたまりました。
そのころ、猿岩石には気になる存在がありました。工場の女子事務員たちです。
5日目、女子事務員に昼飯に誘われ、ちょっといい感じで食べに行きました。
しかし食事をする彼女たちは無愛想で、口一つきこうとしません。
テーブルを冷たい沈黙が支配しました。結局料金は猿岩石持ちで、全くのおごり損でした。
これによって14時間分以上の給料が消えてしまい、「女にうつつ抜かしてるひまねーな」と反省。
7日目、約束通りアルバイトをやめました。稼いだ金額はしめて530ルピー(約\1,900)で、
餞別に小さなカーペットを頂きました。
またガンジスのほとりで1泊し、出発です。
パキスタンのビザは即日発行、しかも無料。しかし、次のイランのビザもとらねばなりません。
ビザ料金は2人で3,500ルピー(約\12,000)!なので仕方なく仕事探しを始めました。
食費で所持金200ルピー(\700)も底をつき、猿岩石、ピンチ!
そこへ仕事探し4日目で爆風スランプ登場!猿岩石のために作った曲、「旅人(仮)」を熱唱。
猿岩石感動。視聴者も感動。
その夜日本食をおごってもらうことになりました。
そのメニューは...
翌日爆風スランプがストリートライブを行い、イランのビザ代を稼ぐことになりました。
ギターケースを空手ショーの時の空き缶代わりに置いて行った、計4ヶ所のライブの結果は...
しかし、そこにもべつのオカマ登場し、ウイスキーを見せられた酒好きの有吉は、
彼女らを招き入れてしまいます。全然飲む気のない森脇をよそに、さんざん有吉一人で
盛り上がったあげく、やはり金を請求されます。彼女らはオカマの出張ホステスだったのです。
「私、払わないわよ」と泥酔の有吉はがんばったのですが、
結局1,200ルピーの要求に対し、全財産400ルピーを渡して勘弁してもらうことになりました。
猿岩石、再び無一文。
翌日、パキスタンとの国境を目指すも、警官にテロリストと疑われ、職務質問を受けます。
今インドとパキスタンは非常に危険な状態なのです。ビザを見せて、なんとか疑いが晴れました。
しかし"PAKISTAN"の文字を出してはまずいので、行き先を少し手前のアムリッサルに変更しました。
ゲットしたトラックの運転手に食事をごちそうになり、トラックに揺られて8時間で到着です。
翌日おそるおそるパキスタンのボードを掲げて1時間後、ヒッチハイク成功。
トラックに揺られて2時間、国境に到着です。
長かったインドもこれで脱出。おめでとう!!
ドライバーの名前はハッサン氏。ここで1泊させてくれることになり、
二人は久しぶりにシャワーを浴びてさっぱり。また、夕食をごちそうになり、
「ハッサンカリーナンバーワン」の言葉も飛び出したあとには、
お客さん用のベッドで快適な寝心地を味わうことができました。
翌朝お礼を言って立ち去ろうとする二人をまたもハッサン氏は呼び止め、
車に乗せてしまいました。その日は金曜日で、イスラム教では休日です。
それで家族総出でモスクに行く用があったのです。
参拝をすませたかと思うと結局また家に戻って、もう1泊させてもらうことになりました。
翌朝、ハッサン氏にトラックがたくさん通る道路まで送ってもらい、ヒッチハイクが再開しました。
ヒッチハイク開始1時間後、「パキスタン人と日本人は友達さ!」という
親日家のドライバーの派手なトラックをゲット。それは約200km先のハラッパ行き
だそうなのですが、40度の暑さで猿岩石は大バテ。そこで川で行水しようということに
なったものの、それはまさに泥の川でした。しかし一度入ってしまえば気持ちいいもので、
二人は完全にリフレッシュ。ラホールを出て8時間後、ハラッパに到着しました。
その途中、同じヒッチハイカーと一緒になり、30分ほど走ったところで全員降ろされました。
するとそのヒッチハイカーが列車で行こうと二人を誘ってきました。
金がなくて大丈夫なのか?と半信半疑で駅に行くと確かに改札口はなく、
1時間後到着した列車に乗って、初の列車のヒッチハイク(無賃乗車?)に成功。
しかし車内は大混雑で、座れなかった有吉はくたくた。
3時間後、ヒッチハイカーと一緒に列車を降ります。
しかし丸一日点滴を受けた翌日、あっさりと無事退院。猿岩石、再び始動です。
次の目的地を100km西のテラガジカンに決め、ヒッチハイク開始。
1時間後ヒッチハイクしたトラックは、テラガジカンよりさらに約300km西の
ローラライまで行くというのです。今回は空いていた後部座席に座れました。
快適なドライブと思いきや、2時間を過ぎるころ、トラックは幅がほぼ一台分の
険しい山道にさしかかりました。下は当然谷底。その道を2時間かかって
通り過ぎると、今度は暴風雨に見舞われ、横転に注意しながら進むことになります。
また2時間後、今度はその雨で氾濫した川に行く手を阻まれてしまい、もう2時間待つことに。
16時間をかけて約400kmの道のりを走破し、午後11時にローラライに到着しました。
翌日、次の目的地を約150km西のクエッタに定めてヒッチハイク開始。
2時間後ヒッチハイクに成功し、程なくしてドライバーの家に招待されました。
そこは結構金持ちそうな家で、お茶とお菓子を頂きました。
ドライバーと、家にいたその兄弟と一緒の4人で、3時間のドライブの末クエッタへ。
翌日ヒッチハイクを開始してから2時間後、1台の乗用車が止まってくれました。
早速「アイム モスレム」と嘘をつき、好感触を得て乗車。約5時間のドライブでした。
到着翌日、イランとの国境の街のタフタンを目指してヒッチハイクを開始しましたが、
ここは車の往来が少なく、ヒッチハイクに3時間を要しました。車に乗ってからも、
タイヤが砂に埋まってみんなで車を押したり、苦労は続きました。
しかし運転手は親切な人らしく、食事をごちそうになったり、また車に人が増えたりで、
結局6時間かかって国境の街に到着しました。
パキスタンの出国手続きをあっさりと済ませ、イランの入国手続きに向かった猿岩石。
がっ!
イランに入国し、国境から最初の車をヒッチハイクしたものの、警察の検問に
引っかかってしまいます。署内でテープをチェックしたところ、移動中の景色の中に
軍事施設が映ってしまっていたようなのです。
結局、イラン入国からの映像はすべて消去され、以降のイラン国内での撮影も禁止、
ということになってしまいました。
それから10日後にスタッフの元に届いたビデオテープには、首都のテヘランで
「テヘラン、いいねえ!」と喜ぶ猿岩石の姿が映っていました。
なお、国境のタフタンから首都のテヘランに行くまでに、
ザヒダン、
ケルマンの
2つの街を通っています。こちらはオンエアはなさそうなので、オフィシャルサイトでどうぞ。
日本での心配をよそに、有吉は街に流れる人工の?小川に手をやって、
「風呂入りたいけど、捕まりそうだよ!」と、風呂の心配をしてました。無事で何よりです。
しかし、警察に捕まることを考え、イラン国内での撮影は自粛。
ということで話は一気にトルコの首都、アンカラへ飛びます。
森脇「どんな額だよ!」
そのとき、8月25日放送分の収録中の電話で、救援物資がイスタンブールに
送られたことを知らされました。しかし、それがイスタンブールに到着するのは、
早くて1週間後になります。
有吉「ゆっくり、名所を回ろう!」「海!」
というわけで、物資が到着するまでの間、地中海を一目見に行くことになりました。
翌日、ヒッチハイクを開始しました。行き先を掲げた紙には一言、
"Beautiful Sea"
1時間後に止まってくれたトラックに揺られて6時間、地中海の見える街、アンタルヤに到着です。
そこには見事な地中海の砂浜が広がっていました。
有吉「わあー、これはいいなあ!」
見事10日ぶりに体のあかを落とすことに成功しました。
その夜はそのビーチに備え付けのデッキチェアで、波の音を聞きながらの野宿!
森脇「ここ最高でしょ!今までの野宿ポイントの中で」
いつしかそんなヒッチハイク用語が生まれていたんですね。
翌日、無一文で食べ物の買えない猿岩石は、岩場へ向かい、海中の獲物を探しました。
そしてとれたのがフジツボとカニ数匹ずつ。焼き上がったフジツボを有吉が口へ運ぶと、
集まってきてた現地の少年「喰ってるよ、オイ!」
しかしこちらはそれには気にもとめずに食べ、目を丸くして、
有吉「おいしい!」
森脇「うまい!」
続いてカニのお味は...
有吉「ワァーッ、うめえーッ!」
結局フジツボもカニも食べ尽くした二人、でも空腹は満たされることはありませんでした。
その翌日、地中海のついでにエーゲ海も、ということでエーゲ海に面した街
ボドルムを目指してヒッチハイク開始しました。
先ほどのアンタルヤから車が止ってくれるまでに2時間、そしてドライブに
5時間費やしていたため、すでにあたりは夕暮れ。そこでこの日は堤防で野宿です。
翌日、無一文で食事にもありつけない猿岩石は、1日だけのアルバイトを求めて
船の清掃などの仕事をもらいに港へ行きました。
最初は断られ続けながらも、9件目の交渉で、見事に仕事をもらうことができました。
その船は、海水浴客を乗せて食事付きの1日観光クルージングに出るもので、
二人の仕事は厨房の手伝いになりました。
森脇「残り物、食えるチャンスだ!」
午前10時、観光客を乗せて出航。早速昼食の準備に取りかかります。
30分ほどで目的地に到着し、観光客は見事なエメラルドグリーンの海に
飛び込んだりしてはしゃいでいました。
有吉「いいな、リゾートで来てる人は」
森脇「俺達、仕事」
正午、昼食の準備が整いました。食事をすべて出し終えて一段落すると
賄いがでて、久しぶりにまともな食事をとることができました。
その後、食器を洗って休憩。午後5時に帰航しました。
しかしこの仕事、これで終わったわけではありませんでした。
夜は夜で、ナイトクルージングがあったのです。今度も同じようにディナーの準備をして、
午後10時、帰航。厨房の清掃をすませて午前0時、ようやく1日の仕事が終了しました。
注目のバイト代は、1人100万トルコリラ(約\1,300)。高いのやら安いのやら。
船の甲板で1泊させてもらい、翌日イスタンブール目指してヒッチハイク開始。
2時間後、イスタンブールのかなり手前のベルガマまでなら乗せていってもいい、
という人が車をとめ、乗せてくれました。そのドライバーは、ボドルムにツアー客を案内して、
ベルガマまで帰るところだったのです。
そのミニバスに揺られて5時間、ベルガマに到着しました。
その日の野宿スポットをレストランの前に決めた猿岩石、小銭があったので
ここでたまらず食事をとりました。
森脇「物足りないけどなあ」
会計は90万トルコリラ(約\1,200)で、所持金は110万トルコリラになりました。
翌日、ベルガマの市場にスイカを運んでヤロバに帰るところのトラックをゲット。
3時間後、ドライバーが食事休憩をとり、おごってもらうことができました。
おまけにパンのテイクアウトまで。
結局ベルガマを出て6時間で、ヤロバにつきました。
その日は近くの公園で野宿。翌日はちょっと寝坊し、なぜか公園の遊具の中から登場しました。
早速港へ出て船のヒッチハイクを開始しましたが、なかなかイスタンブール行きの船に
出会うことができずこの日は動けず。
しかし翌日1隻の船のヒッチハイクに成功し、4時間かけて午後6時にイスタンブールへ。
制服に着替えた猿岩石の最初の仕事は、店内の掃除。有吉が窓を拭き、
森脇が階段のモップがけ、といった具合でした。次に夜はウェイターになり、
まずは食器の後かたづけなど簡単なもの、そして徐々に料理を運んだりする仕事も
させてもらえるようになってきました。
すると、
客A「日本人なの?」
有吉「ハイ!」
そう答えると、もう一人の客が有吉の胸ポケットにチップを入れてくれました。
森脇「いくらだよ?」
有吉「ジュースが2本、買える!」「ヤッター」
心から嬉しそうでした。そして当然賄い付きで、うまいご飯も食べられました。
さてこの日、救援物資を売ったお金と合わせてなんと1,500万トルコリラ(約\21,500)
の収入が!
そして翌日、ブルガリア大使館に行き、1時間後見事にビザ取得。料金は2人で
1,100万リラ(約\14,600)でした。ちょっと高め?
そこでブルガリア国境目指してヒッチハイクが始まりました。
3時間後ようやくヒッチハイクに成功し、4時間走って国境に到着。
森脇「来たね!」
それは「ウェーブハンド」、おもちゃの大きな手です。 これは、以前キムタクが「これコンサートに持ってきて」と発言、 しかしその後、後ろの人の迷惑になるから、ということで禁止されていることを知って 発言を撤回、おかげで在庫が万単位であふれかえっている、という代物です。
これを松本が製造元からただで150枚(定価\1,380×150=\207,000相当)もらってきて、 |
森脇「さぶーっ!」
有吉「めちゃくちゃ寒い」
次に目指す国、ルーマニアのビザの申請に向かったものの、
ビザ料金は2人で3,000レバ(約\1,500)、しかし所持金は2,800レバ(約\1,400)。
またしてもビザ取得ならずか?と思いきや、
有吉「サービスしてもらっちゃった」
大使館員が200レバ負けてくれたのです。融通ききますねえ、ルーマニアは。
早速ルーマニアとの国境目指してヒッチハイクを開始しますが、2時間たっても、
有吉「止まんないなあ」
4時間たっても、
森脇「大苦戦だよ」「パキスタンとかの方が楽だよ」
確かにパキスタンでは、トラックでの怖いドライブや、有吉の入院などもあったものの、
ドライバーが1泊させてくれたり、列車のヒッチハイク?に成功したり、
金持ちの家でお茶とお菓子を頂いたりと、割といい旅だったのかもしれません。
ヨーロッパのヒッチハイクは、アジアより厳しいようです。
7時間たってもヒッチハイクできないので場所を変えて続けていると、
猿岩石に一人の男性が声をかけてきました。
男性「バスで行った方がいいよ」
しかしお金を払って交通機関を使うことは企画上できません。男性はそれを知ると、
知り合いのバス会社の人に、ただでバスに乗せてくれるように頼んでくれました。
近くのバスターミナルで早速バス会社の人に会い、その人は空席がないか見てきて
くれたのですが、
バス会社の男性「あいにく今日は満席でした」「明日の5時にもう一度、来てみて下さい」
というわけで、この日も同じ国立劇場で野宿です。
翌日、空腹の、しかし無一文の猿岩石は、約束の5時まで公園で
ただボーッと過ごすしかありませんでした。
そして4時30分になり、バスターミナルへ向かいました。
有吉「あの人、いないのかなあ」「あっ、手あげてる!」
バス会社の人は、フライドポテトを片手にバスターミナルに立っていました。
有吉「いいもん食ってる めちゃくちゃうまそうだ!」
バス会社の男性「食べますか?」
森脇「ウメェーッ!」
ポテトで喜んだのもつかの間、この日も国境行きのバスは満席でした。
しかし、その50km手前のビヤーラまで行くバスの席を確保してくれていたのです。
かくして長距離バスのヒッチハイクに成功した猿岩石。しかもコーラの差し入れまで。
ところがそのコーラは、あの細いガラス瓶に入ったもので、王冠の栓は開いていませんでした。
森脇「どうやって開けるんだろ?」
すると有吉は瓶をくわえ、歯で王冠を開けてしまいました。
森脇「お前、スゲェーなあ」
有吉「のど渇いてれば何でもできる」「初めてやったよ」
森脇「ごめん、俺のもやって!」
こちらも難なくオープン。おかしくて笑いの止まらない有吉に、
森脇「静かに、シィーッ!」
しかしこれには驚きました。いっくらのどが渇いてるからって、初めてであんなにうまく
ポコンととれるもんですかね?人間が自らの肉体の限界を超えた瞬間を見ました。
デラックスな長距離バスで5時間、バスは国境少し手前の街、ビヤーラに到着しました。
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