泣き崩れるばかりの私に父は困り果て、しまいには業を煮やして言った、
「人生、もっと悲しいことはあるんだぞ。失恋とか・・・」
だから今が、そのピンチなんでしょ!? 17歳の娘は心の中で毒づいた。
とにかく、そんな悲しい思いはそれまでしたことがなかった。
父親の転勤で生まれたときから東北地方を転々としていて、転校をするのも初めてではない。でもそのときの引っ越しは辛すぎた・・・。高校2年。友達関係や環境を、自分なりに心地よく築き上げてたつもりだったから、「親の都合」で壊されてしまうのが許せないと思った、そんな年齢だったのだろう。
それに、そのとき同級生の男の子に片思いしてた。移転先の横浜の高校の受け入れの都合で、実は一学期の間だけ私一人、親戚の家に居候してその町に残っていたのだ。あと3ヶ月で自分はここを去る、そんなときに出合った想いに思い切り執着してしまった。
名も知らぬ想いに 振り向く人はない
きっと君の目には 僕は透き通ってる
横浜で・・・少し気持ちも落ち着いた頃、一人でよく海を見に行った。あれから17年、今でもイントロを聴くだけで切ない気持ちになる。夏から秋、そしてクリスマス・イブへと・・・。アルバムをそのままなぞるようにいろんな思いをかみしめた、1983年は忘れられない。
人生で最も悲しいことって何なのか? 今の自分には答えられない。だけど思う。別れが悲しい、そんな出逢いができたならしあわせだと。
(2000.10.10)
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