『ボタニカル・ライフ −植物生活−』
いとうせいこう
紀伊国屋書店

 その職場で水やり担当だった私は、茎が伸びに伸びたシンゴニウムをなんとかしたいと思い始めた。
 大きいもの小さいもの。いくつかある観葉植物の鉢は、離婚をしたある課員の家にあったのを引き取ったものだった。自由と包容力にあふれた職場ではあったが、書類棚からわらわらと葉の垂れ下がる様子は、いかにも締まりのない印象を与える。小さな鉢いっぱいに繁茂するシンゴニウムのためにも、早急な処置が必要と思われた。

 伸びすぎた余分な枝を切り落とし、使えそうな部分は差し芽をする。新しい鉢と土を買ってきて、就業時間中に株分け作業をおこなった。カッターで茎を切って土に差すだけという、シンプルかつアバウトなやり方でどんなものかと思ったが、一週間後、株はしっかりと根を生やし、新たな葉を芽ばえさせた。植物を育てる才能があるのかもとうぬぼれたほどだ。実際そんなふうに思いこんだ人もいるようで、気の弱い課長は、格好の話題とばかりに私に鉢植えの名前を尋ねてきた。後々私は二十ちかく鉢を増やした。
――ひそかなボタニカル生活のはじまり。

 仏像を人間扱いするのはみうらじゅんさんの得意技だが、友人であるいとうさんは、鉢植えのアマリリスと「結婚したい」とさえ思う。
 都会のベランダで植物たちとの生活を営む、ベランダーとしての『とりあえず十の掟』の第一項に、「一:いい加減に愛したい」といとうさんは書く。が、自分本位に生きることが、実は究極の愛情であることをもちろんいとうさんは知っているのだ。ある時間と空間を共有する個と個に、優劣や上下関係はない。「育ててやっている」わけでもなく、対等に生きる友として、いとうさんは植物たちと暮らしているのだと思う。ひとときを一緒に過ごす喜びと切なさを胸に刻みながら。

 増やしたシンゴニウムの一鉢を退職のときもらってきた。もう六年になるが、今も私の実家で盛んに葉を伸ばしている。子供が生まれてからは家の中に鉢を置くことはなかったが、あの鉢から、また新しい命を増やして家に迎え入れようかと思っている。
 株分けには良い季節である。

(2000.5.16)

『Botanical Life』は、いとうせいこうさんのHPで現在も更新中。
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