『人悲します恋をして』
鈴木真砂女
角川文庫クラシックス

 鈴木真砂女(まさじょ)さんは今年で94歳になられる俳人。近年もテレビ「NHK俳壇」の主宰を務めるなどの俳人としての活動と同時に、50歳で銀座一丁目に出した小料理屋の女将としても働いておられる。
 私が真砂女さんを始めて知ったのは、1998年6月5日朝日新聞夕刊の文化欄、「時の贈り物」というコラムの中であった。数々の賞も受賞されている著名な方だが、恐れながらそれまで活動は存じ上げなかった。曽野綾子さんの『誰のために愛するか』の中で句が取り上げられていたというから、以前にも読んではいるはずなのだが。
 写真の中の真砂女さんは、91歳(当時)とは思えない凛とした輝きをもって、気丈そうに微笑んでおられた。

 真砂女さんの送ってきている人生というのはドラマチックなものだ。老舗旅館の三女として生まれて、23歳で幸せな結婚。しかし29歳で夫は突然失踪する。実家に戻ると、実姉が肺炎で急逝、義兄と再婚して遺児四人の母となった。以後23年間旅館の女将であった。
 これだけなら「苦労の半生」で片づけられるかもしれないが、真砂女さんを真砂女さんたらしめる出来事がある。30歳のときに出会った七つ年下の海軍士官との恋。妻子があると後で気付いた。まだ姦通罪が存在していた頃のまさに命がけの恋は、相手が亡くなるまで40年続く。50歳のときには、その人と自由に会える生活を求めて家を出た。彼が亡くなってからも20年がたつが、今でも一日一、二回は思い出すし、夢にも見るという。
「人間恋の一つや二つすると、年とって退屈しなくていい。(中略)あたしにはあの恋がなかったら、なんにもない。あの人を好きになったほど好きな人にはまだ会ってませんね」

    羅(うすもの)や人悲します恋をして

    背きし夫の墓丹念に洗ひけり  

 一文無しで家を出たりしたその行動を、すごい決断力と評したインタビュアーに対して真砂女さんは言った。
「ひのえうまのせいじゃないですか」
 読んで面食らった。と同時に笑ってしまった。私も丙午の生まれなので。ちょうど60歳上の人生の先輩を他に私は知らない。

 一切自己弁護はしないで、すべてを抱え込んで凛然と生きておられる真砂女さんの前に、ただのヒヨッコにすぎない私は、20年とか40年という単位をどうやって生きられるだろうかと考える。先を思うと気が遠くなるけれど、やれることをやるだけだ。

 「悔などないと胸を張っても、心の底には悔が澱んでいる。生きて悔を残さぬ者があるだろうか」
 真砂女さんの言葉。やらずに終わったことを悔いるより、やってみて失敗する方を選びたいと誰かも言っていた。丙午生まれの後輩としては、運命を切り開いてきた大先輩のしたたかな強さを励みにしたい。

(2000.4.17)



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