レプティス・マグナ
トリポリ東→レプティス

(カダフィ大佐でお馴染みの)リビアの首都トリポリから東に約120km、
地中海の波打ち際まで広がる北アフリカ最大のローマ遺跡。

地中海沿岸地方にはフェニキアをはじめ、ギリシャ、ローマが次々に進出して植民都市を建設した。
レプティス・マグナもそのひとつ。カルタゴの衛星都市となって商業、港湾都市として栄え、地中海交易の重要拠点だった。
紀元前3世紀、第2次ポエニ戦争でカルタゴを破ったローマの支配下に入ると、
カルタゴの交易網を引き継いで地中海最大規模の港湾都市として発展。
2世紀末になると、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193〜211)は自らの出身地であるレプティス・マグナを
それまでのあらゆる都市に優る壮大な都市とするため、巨大なバジリカや四面門、凱旋門などを築いた。
その後、レプティス・マグナは5世紀にゲルマン系のヴァンダル人によって破壊される。
6世紀に東ローマ(ビザンチン)帝国により部分的に再建されるが、
侵攻してきたアラブ人に蹂躍された7世紀以降、砂に埋もれたまま放置されていた。

1921年イタリア人ロマネッリにより発見され、1923年からイタリアの手により発掘が始まった。
1000年以上も砂に埋もれていた為保存状態がよく、1982年世界遺産に指定された。
発掘された部分はごく僅かで未だ70%以上の遺跡が砂の中に埋もれているという。
(それでも広さは50ヘクタールに及び、ざっと見て回っても3時間はかかるとか。)

というわけで、大航海時代の頃は砂に埋もれた忘れられた遺跡となっていたものと思われます。

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