マツモトキヨシPRESENTS 第5回電波少年祭り 猿岩石凱旋ライブ in 西武球場
原文作成:吉田君
📍 西武球場
マツモトキヨシPRESENTS 第5回電波少年祭り 猿岩石凱旋ライブ in 西武球場
1996年10月26日に行われたこのライブ。ロンドンに着いてからの様子とともにどうぞ。
それから
その日から、彼らは連日ロンドンのホテルに缶詰でネタづくりをしていました。といっても、彼らは「小さなライブハウスで持ちネタを披露する」と聞かされていただけだったのです。西武球場でやることはまだ知りません。必死にネタづくりに励む猿岩石。2日目、3日目はネタを練り込み、4日目に立ち稽古を開始しました。
こうして1週間が過ぎ、いよいよ帰国の時がやってきました。エコノミークラスの最後尾の席、しかし半年ぶりの飛行機に猿岩石は顔を硬直させています。
しかし、豪華な食事にテレビ、ゲームと二人は存分にフライトを楽しみました。幾多の苦難を乗り越え、190日かかって進んだ道のりをわずか13時間で引き返し、飛行機は10月26日午前9時10分、成田空港に着陸しました。
早速「小さなライブハウス」西武球場に連行される二人。その車の中で手渡された缶のウーロン茶に感激したあと、初めて自分たちの放送を見ました。最初は笑いながら見ていたものの、絶食のシーンになるとその記憶がよみがえり、神妙な顔つきになってしまいました。しばらくすると、日本について最初の食事が車内に!
焼きソバに感激し、いっぱいにほおばってはムセる有吉。車は所沢へと近づき、二人はライブ用の衣装に着替えました。有吉は空手着に大きなリュック、森脇はピエロの服でした。(どちらも実物はでなく、全くの衣装)
が、素直に応じます。それから30分すると今度は観客の声をさえぎるための大音量ヘッドホンを装着。さらに10分後、西武球場に到着しました。軽トラックの荷台に移動され、あとは登場を待つばかりです。
午前5時
東の空が白みかけてくる頃、すでに西武球場の外には徹夜組800人の列ができていました。
午前5時38分
西武球場前駅のホームに、一番電車が滑り込んできました。次の瞬間、殺気漂う群衆が改札口めがけて猛ダッシュ!
午前9時
着々と開場の準備が進んでいます。そのころ猿岩石は、
日本に到着していました。
午前11時
予定より2時間早く開場されました。
開演前
冷たい北風の中で開演を待っている時のこと。熱狂的なファンがバックネット裏の最前列に陣取り、それぞれ持ち寄った横断幕をカメラに見せ合う「横断幕バトル」を繰り広げていました。中には"Go To Alaska"や「猿」「岩」「石」ボディペインティング3人衆も。かと思えば、スタンド最上段にはおサルの全身タイツに身を包み、日の丸に白抜きで「サル」と書いた旗を持った3人娘もおりました。
それから、説明がありました。
登場!
いよいよ開演です。集まった観客の数は3万人!ついに、軽トラの荷台に乗ってセンターから猿岩石が登場しました。そして、目隠しとヘッドホンを取った彼らを、西武球場に詰めかけた3万人の歓声が出迎えたのです。何が起こったのかわかない二人。森脇は、驚きのあまり後ろに倒れ込んでしまいました。
観客の歓声はすっかり「ジャニーズ用」でした。そのほとんどが「有吉ー!!」で、たまに「森脇~!」と男の声が。有吉は放心状態のままで、後に松村邦洋に「ミスター放心状態」と呼ばれることになります。森脇は驚きながらも悟ったままで、修行僧のようでした。
舞台に上がったものの、まだ実感のわかない猿岩石に、
去る1996年4月13日、「猿岩石、だー!」のつかみとともに現れた猿岩石。誰にも期待されることもなく、ごく一部の人々の見守る中始まった猿岩石の旅。しかし、無謀とも言える目標に立ち向かうその姿は、次第に多くの人々の心を捉えていった。ロンドンゴールのみを信じ、戦い続ける猿岩石。そのころ日本では、彼らが想像もしなかった猿岩石フィーバーが巻き起ころうとしていた。前人未踏の彼らの挑戦に、まず、各マスコミが飛びついた。
| 媒体名 | 号数 |
|---|---|
| 週刊実話 | 7月18日号 |
| FLASH | 7月30日号 |
| TVライフ | 8月2日号 |
| 読売新聞夕刊 | 8月22日号 |
| Bart | 8月26日号 |
| Pop teen | 9月号 |
| 中1コース | 9月号 |
| 週刊女性 | 9月3日号 |
| 週刊文春 | 9月5日号 |
| Bart | 9月9日号 |
| TIME | 9月9日号 |
| 報知新聞 | 9月12日号 |
| 週刊文春 | 9月12日号 |
| 週刊文春 | 9月19日号 |
| ザ・テレビジョン | 9月20日号 |
| 週刊女性 | 9月24日号 |
| 女性自身 | 9月24日号 |
| TelePAL | 9月12号 |
| 放送文化 | 10月号 |
| 月刊デ・ビュー | 10月号 |
| 宣伝会議 | 10月号 |
| 月刊明星 | 10月号 |
| 女性セブン | 10月号 |
| Bart | 10月14日号 |
| SEVENTEEN | 10月15日号 |
| JUNON | 11月号 |
様々な新聞・雑誌に「猿岩石」の文字が踊る。その評判に応えるように開設されたインターネットのホームページ。アクセス数通算60万件!そして、二人の熱い思いがつづられた『猿岩石日記』。発売以来、書店からの注文が殺到し、爆発的セールスを記録。現在(ライブ開催当時)70万部の大ヒット!さらに、世界の認める一流紙、「TIME」(9月9日号)にも登場。猿岩石の名は、世界に響きわたったのである!
いまだ放心状態さめやらない猿岩石をよそに、
猿岩石凱旋帰国 緊急記者会見
SEVENTEENから週刊宝石まで、幅広く集まった130社のマスコミの前で、その記者会見は開かれました。
次の記者の質問へ…
※菅原文太については、「猿岩石日記Part1」p.57の森脇の日記を参照して下さい。ハノイで助けられた「トリオ・ザ・パンチョス」の渋い男です。
爆風スランプ登場
そして爆風スランプのサンプラザ中野さん、パッパラー河合さんが登場。「旅人よ~The Longest Journey」を熱唱しました。再び涙する猿岩石でした。
爆風スランプ「旅人よ~The Longest Journey」
猿岩石 本芸初披露
幕が開き、
右手を握って力を込めるポーズで、つかみはOK?です。
※ここからは、私の記憶も入り混じった不完全なレポートになります。"?"だらけになっていますので、御存知の方教えて下さい。
第1幕 世界各国コント
中国編
(この間?)
観客は、一瞬戸惑いました。「これ、オチだよね」「ここって、笑うところ?」3万人が、目で会話をしていました。「まあ、生猿岩石がコントやってるんだし」ということで40%くらいの受けでした。
インド編「お使い」
森脇パー、有吉グー。有吉は後ろを向いて小さくガッツポーズ。
腹を空かせてパンを待つ森脇。一方パンを買った有吉の方は、それを一人でがつがつ食べ始めました。森脇のもとへ戻って、
アレッ?
野グソ
お尻を押さえながら、
そう言ってしゃがみ込み、用を足していると、横で寝ていた男(有吉)が、突然せき払いを始めました。
男は頭をかきながら起き出すと、しゃがみ込んで野グソを。
アレ?アレ?
野グソ・ヨーロッパ編
有吉が、リアルな我慢ポーズつきで野グソポイントを探しています。ヨーロッパは野グソポイント探しが大変だ、のようなことを言っていると、ヨーロッパの人(森脇)が、有吉を時折にらみつけてきました。そんな一進一退の状態が続いたあげく、オチです。
...観客が、帰り始めました。
?
最後の力を振り絞って車道にこわごわ出ていく有吉。すると、
そう言って戻ってくると、
ここまでは受けたのですが、
これでまたさぶくなってしまいました。パラパラと帰り始めていた観客の列が、いつしか渋滞し始めていました。
?
もう腹が減って限界の猿岩石。と、道ばたに毒キノコを発見しました。あれを食えばヒッチハイクは中止だ、と言って食べ始めると、
これは一同大爆笑でした。
第2幕 「ディレクターコント」?
森脇と、有吉ふんする「悪魔の大王」ディレクターのやりとりです。有吉は、ディレクターの声まねをしています。松村邦洋がよくやる、ドスを利かせたアレです。ディレクターは豪華なガウンに身を包み、ブランデーグラス片手に優雅にカメラを回して登場。
?
いつものようにヒッチハイクしています。
...ごめんなさい、オチ忘れました。
?
森脇が空腹で死にそうになっています。すると、
このネタは、ライブ中No.1の受けでした。
?
またも野グソポイントを探す森脇。
しかし、すぐに戻ってきました。
突然、ディレクターもお尻を押さえ始めました。
そう言ってその場を離れたディレクター。しばらくして戻ってくると、
第3幕 (足の臭い男の見合い?)
第3幕はこの1本だけです。これは長めのコントでした。ヒッチハイクとは関係なく、女性「森脇脇子」の家に「有吉」が見合いに来た、という設定です。お見合いの割には親がいた様子もなく、遊びに来たにしてはフォーマルすぎたので、実際見合いだったかどうかは定かではありません。
脇子は正座して有吉を待っていました。そこへ有吉が登場。しかし、有吉は正座せずに、腹ばいの状態から腕を突っ張って体を反らしたアシカのような体勢を取りました。
しかし、ここでちょっと笑いを取ったのがほぼ最後。そこから、靴下を重ねばきしてニオイを隠そうとするなど一部くすっとさせた所もあったものの、妙に間延びした展開が西武球場に強力な寒気を呼び寄せてしまいました。当初3万人だった観客も、この時点で2万5千人くらいになっているようです。
結局脇子と有吉が家を出て、ちょっと飲みに行こうと舞台の袖に引っ込んだ所で松本明子がステージにあがり、勝手にまとめてコントを終わらせてしまいました。あわてて戻ってきた二人。
どうやらただならぬ空気を察知していたようです。気象庁はこの日、木枯らし1号を宣言していました。
こうして本芸初披露は幕となりました。
素直に謝る猿岩石。ライブ終了後、舞台からすぐそばの車に移る間にも、観客の声援に応えていました。