ユーラシア大陸横断ヒッチハイク (後編)
原文作成:吉田君
📍 ブルガリア〜イギリス(ロンドン)
ユーラシア大陸横断ヒッチハイク (後編)
ブルガリアのビヤーラから感動のゴールまでの道のりです。
ビヤーラ 131~134日目?・8月21日~24日? 香港から約15,300km
ソフィアから東北東にに約250kmの街。バスから降りて、まずは近くの公園で野宿。翌朝、国境手前の街ルセを目指してヒッチハイクを開始、無一文の猿岩石はついでに
"Something Job?" の紙を掲げました。
4時間後、ようやく1台の乗用車が止まってくれました。乗せてくれたのは国境手前の村で農家を営むお父さんとその娘さん。嬉しいことに、この家で2日間働かせてくれることになりました。恰幅のいい奥さんに快く迎えてもらい、早速アルバイト開始。30分歩いて畑に到着すると、最初の仕事はひまわりの種の収穫でした。からからに乾いたひまわりの花をもぎ、シートの上でたたいて種を落とす、といった作業です。
放送時のBGM「旅人よ~カントリーバージョン~」
さらにスイカやウリを収穫し、それらを背負ってあぜ道を戻ったのですが、これがなかなか重労働らしく
こうして午後5時に1日目の仕事が終わり、3日ぶりの食事をごちそうになりました。さらに10日ぶりに室内に就寝。きちんと1つのベッドに1人です。翌日の作業は、まず家畜舎の清掃から始まり、牛の乳搾りも体験。そして発酵させたプラムを運んで、おじさんに渡すという仕事も。何をやっているかというと、おじさんはそれを蒸留機に移し、自家製のプラム酒を作っていたのでした。この日も忙しく1日が過ぎました。3日目、アルバイト終了。2人は途中で食べるようにと野菜(後に泥棒にとられたそうです)と、2人で1,000レバ(約¥500)の給料を頂きました。さらに、国境まで送ってもらえることに。
国境に着くと、
ドナウ川に架かる橋の真ん中が国境線なのです。その国境線をはさんで、
かくして13カ国目、ルーマニア入国!
ルーマニア 134日目?・8月24日?入国
早速先程のバイト代をルーマニアの通貨に換金しようとしました。
無理もありません。トルコに持っていけば約35万トルコリラにはなるでしょうからね。がっ!ブルガリアのお金はルーマニアでは換金できないのです!
2日分のバイト代も、これでは紙切れ同然です。ところが、
翌日、国境から1台のトラックのヒッチハイクに成功。そのトラックは、スイカをお店に運ぶ途中でした。
ブカレスト 135~140日目・8月25日~30日 香港から約15,500km
国境から北に50キロ行ったところにある街。ルーマニアの首都。トラックに乗せてもらったお礼に、スイカをトラックから降ろすのを手伝いました。すると、別れ際に最後の1個を持たせてくれました。
それから近くの公園にある銅像の下に腰を下ろし、農家でもらった野菜を夕食にしました。
まだ野菜は残っているので、明日もこれで食いつなぐことができます。しかし翌朝二人が起きてみると、野菜とスイカはすべて盗まれていたのです!
これで猿岩石は、無一文で食べるものもなくなってしまいました。気を取り直してハンガリー大使館へ。次なる目的地のビザ代はいくらでしょう?ビザ料金:2人で160ドル(約¥17,600)!
その通り。今までのビザ料金の最高は、インドでとったパキスタンからイランへのビザ・2人で3,500ルピー(約¥12,000)でした。その代金を稼ぐため、2人はブカレスト市内で職探しを始めました。3件目で脈あり。喫茶店の店員が、オーナーに聞いてみてくれるとのことです。待っている間、猿岩石の目に留まったのは、ごつごつしたでっかいソーセージ?
もしもここで雇ってくれたなら、こんな食事にありつけるかも...のどを鳴らしながら結果を待っていると、オーナー登場。
冷たくあしらわれ、店をあとにする猿岩石。
そのあとも1日中仕事を探して歩き回ったものの、結局この日は全滅。夕方、前日野宿した公園に戻り、そこで2連泊となりました。翌日も、仕事を求めて市内を歩き回りました。しかし、この日も働かせてくれる店は全く見つかりません。2人に絶望感が漂い始めました。夕方、また公園に戻ると、
2日間飲まず食わずでブカレスト市内を何十kmも歩き回った疲労と空腹は、極限に達していました。有吉に至っては、すでに放心状態…2人の足は、いつの間にか寝床であるベンチに向かっていました。猿岩石は、またも大きな試練にぶつかっています。公園3連泊。ブカレスト4日目、すでに市内のほとんどの店を回りすべて断られた2人には、もはや全くなすすべがありません。
途方に暮れる猿岩石に、本当の限界が迫っていました。ふと、有吉が、
それを聞いた森脇も、
何か重大な決意をしている様子。
なにをやるつもりなんだ!?
と、その時!
犬を連れた女性に歩み寄ると、
2人の口から出た言葉は、
2人は、ヒッチハイク始まって以来の借金という手段に出たのです。すると、
なんと借金OK!
女性は日本からの留学生でした。彼女はホームステイ先からキャッシュカードを取ってきてくれ、銀行でお金をおろしてくれました。
さらに10ドルも!それからお金を返すため、留学生の住所をもらって別れました。
2人は、餞別も含めて170ドルを返すことを心に誓いました。再びハンガリー大使館に行き、ついにビザ取得。
そして、余ったお金で、公園で野菜を食べて以来3日ぶりの食事をとりました。
猿岩石、ハンバーガーで幸せ噛み締める。
スタジオとの電話は、大歓声の中で行われました。
翌日、ヒッチハイクを開始してすでに7時間、まだ車は止まってくれません。
元の公園のベンチに腰を下ろし、
結局この公園で5連泊です。翌朝、二人はヒッチハイクへの不安を隠しきれないまま2時間が経過し、昨日の悪夢がよみがえってきました。しかし4時間後、ようやく1台の車が止まってくれました。
お金を払ってはヒッチハイクにはならないので、断念せざるを得ませんでした。今日も無駄に終わるのか、と思ったその時、
止まったトラックに駆け寄る猿岩石。
ついに2日越しのヒッチハイク成功!狂喜乱舞する猿岩石は荷台の上でも、
トラックはブカレストから約10時間走り、クルージョまで運んでくれました。
クルージョ 140~141日目・8月30日~31日
ブカレストから北西に500kmのところにある街。
二人は早速野宿ポイント探しに入り、ガソリンスタンドのそばの小屋のようなものを見つけました。
有吉はガソリンスタンドの店員を呼び止めると、
カタコト英語+両の手のひらをあわせて顔の横に持ってくるアクションつきで
どうやら通じたようです。
今日は屋根つきで野宿ができます。しかし、
気温は10℃、野宿にはつらい季節です。と、その時、
近くにある家に泊めてくれるというのです!
ご両親を紹介され、暖かく迎えられる猿岩石。そして、温かいスープをごちそうになりました。
さらに、
ブルガリアの農家で入って以来12日ぶりの入浴でした。翌日、止めてくれた人が国境手前の街まで送ってくれることになりました!車で約3時間、国境手前のオラデアに到着です。
オラデア 141日目・8月31日
クルージョから西北西に150kmのところにある街。
と教わった通りでヒッチハイク開始。するとわずか30分後に1台の車が止まってくれました。金がないことを告げる猿岩石に、
何ていい人!このドライバーはブダペストへ帰る途中のハンガリー人でした。30分で国境に到着し、車に乗ったまま出入国ゲートを通過。14カ国目・ハンガリーに入国です!
ハンガリー 143日目・9月2日入国
車からちょっと降りた猿岩石。
そして、国境からさらに約4時間、首都ブダペストに到着です。
ブダペスト 143~149日目?・9月2日~8日? 香港から約16,500km
ハンガリーの首都。ルーマニアのオラデアから西に250kmのところにある。早速野宿ポイントを探す猿岩石はドナウ川に架かる橋を渡り、公園を発見しました。
ここで、野宿に最適な公園のベンチの条件を彼らは述べてくれました。
- 横幅がある
- 腰掛けが平らである
- 腰掛けと背もたれとの間にすきまがあり、寝たときに腕が入る
以上3つの条件をすべてクリアしたベンチを発見して、
すっかりご満悦です。そういえばブカレストの公園で5連泊したときのベンチは、第1の条件しか満たしていませんでした。彼らの「野宿道」もすっかり堂に入ったものです。しかし、夜になって、雨が降り出してしまいました。ベスト3に入るベンチをあきらめ、雨をしのげる場所を探し始めると、地下道を発見しました。しかし、中に入るなり、
そうです、ニューヨークによくありそうな、「いかにも」な地下道なのです。しかし、雨はしのげるので、ここに寝ることにしました。
不安でなかなか寝付けません。パニーパットでオカマにからまれた悪夢がよみがえってきたのでしょうか。と、その時、遠くで声がしました。
怖そうな男二人が近づいてきました。
やさしい人でした。
彼らは、二人を安全な場所で寝かせてくれるというのです。つれていってもらったのは、なんと船の中の船室でした。彼らは船会社の社員で、知り合いのオーナーの船で、朝まで泊めてもらえることになったのです。これでぐっすり眠れます。翌朝、昨日猿岩石を連れてきてくれた人(昨日の「男B」)が来たので、礼を言うことに。
実際には「ディスシップ、グッドスリープ」と言っていました。通じるものです。
さらに、甘えついでに
と頼むと、男性は会社に電話して相談してくれました。すると、
男性は会社の人事の人を紹介してくれ、明日から仕事ができることになりました。さらに船の中に寝床が用意され、住み込みで働くことができます。
寝床の部屋を見て、
ベッドの幅が、ベンチの5倍はあります。翌朝7時、昨日の担当者に連れられていった仕事先はドナウ川の観光船でした。お客さんを乗せ、船は午前7時30分に出航。目的地は、エストラゴンという観光名所です。その間の二人の仕事はビュッフェの食器洗いでした。午後1時、エストラゴン大聖堂のあるエストラゴンに到着。お客さんが降りると、従業員の食事の時間です。
それからの仕事は船の清掃で、客席や通路、甲板からトイレまで3時間にわたる作業でした。午後5時、帰りのお客さんを乗せて、再び出航。午後9時ブダペストに帰航しました。お客さんが降りたあとは、後片付けです。結局仕事が終わったのは午後10時。そんな日々が6日間が続きました。7日目の朝、いつものように出勤しようとすると、雇ってくれた船会社の人が来ました。
船でオーストリアに入国できるというのです!前々から猿岩石に事情を聞いていたこの人、会社に交渉して了解を取り付けてくれていたのでした。
2時間後に出航するという船の船着き場まで案内してもらう最中、会社に立ち寄ってアルバイト代、二人で12,000フォリント(約¥9,000)を受け取りました。そしてウィーン行きの船着き場へ。
乗船の前に、出入の手続きです。オーストリアへのビザは必要ありませんでした。この先はEUなので、ずっとビザはいらないんでしょうか?バイト代をまるまる蓄え、二人は乗船しました。船はブダペストを出航し、一路ウィーンへ!
オーストリア 149日目?・9月8日?入国
猿岩石を乗せた高速艇はドナウ川をぐんぐん上ります。しかし、ただ乗りの二人に席はありません。甲板で寒風にさらされながらの船旅となってしまいました。そして、ドナウ川を6時間、約300kmのぼったところで、15ヶ国目となるオーストリアの首都・ウィーンに到着です。しかし猿岩石、体が冷え切って、感激今一つ。
ウィーン 149?~152日目?・9月8日?~11日?
ドナウ川のほとりの公園で野宿しようとしましたが、
気温は10℃。この先のことも考え、防寒具を買いに出かけることになりました。雑貨屋の店先で二人の目に留まったものは、
寝袋でした。
寝袋は2つで1,200シリング(約¥12,000)、しかし、バイトで稼いだ所持金の12,000フォリント(約9,000)は、オーストリアでは900シリングになります。300シリング足りません。すると、
有吉が持っているお札を見せると、
300シリング値引きしてもらえました。
有り金全部見せなければもっと安くなったのでは、とちょっと後悔の二人。店をあとにする森脇は、紙袋を抱えていました。それは、今日の船旅の途中に日本人観光客から差し入れでいただいたものだったのです。公園に戻った二人は、その中身のリンゴとワインを今日の夕食にしました。ワインをラッパ飲みにして、
そして6日間の労働の結晶、寝袋に入ってみます。
この温かさとワインのおかげで、最高の野宿になったようです。翌日、昨日の寝袋購入でまたも無一文になった猿岩石は、ウィーンでも仕事探しを開始しました。まずはビル工事現場を見つけ、
すべて日本語で
資格は申し分なかったのですが、コトバが...その後もウィーン市内をくまなく歩き回りましたが、仕事をさせてもらえるところはありませんでした。二人に、あのルーマニアでの仕事探しの悪夢がよみがえってきました。翌日も、朝からさんざん歩き回って全滅です。何の進展もないまま夕方を迎え、頭の中が真っ白になってきたころ、何の店かもわからずに、二人はある店に立ち寄りました。実はその店、"TATTOO"と"BODYPIERCING"の店だったんです。そうとも知らずに、
ドイツ語のわからない二人は、
猿岩石、ついに体に刺青か!?しかし、
断られました。
悔しがってました。結局この日も仕事は見つからず、また最初の公園へ戻りました。
ウィーンの公園で3連泊です。翌朝、3日目の仕事探しが始まりました。しかし、かれこれ2日間なにも食べていないので、市内を歩き回るだけの体力は残っていませんでした。そこで作戦を変更して、ウィーンの駅前に立って通りがかりの人に仕事を求めることにしました。しかし、
駅から出てくる人に呼びかけても、誰も見向きもしてくれません。2時間たって、
3時間たつと、
駅前で完全に浮いてしまっているばかりか、駅員に目を付けられ始めました。
もう追い払われてしまうのか?と思った矢先、さっきの駅員が戻ってきました。
すると、
思いも寄らぬアルバイト成立!そして二人は喜びいっぱいで駅の中へ。
二人の仕事は、列車に自転車を積み込む作業でした。オーストリアでは、自転車での旅行者のために、客車・一般貨物車の他に、自転車専用の貨車もある列車が運行されているのです。
自転車を積み終えると、
列車は駅を出発してしまいました。戸惑う二人を乗せた列車は次の駅に着き、またも自転車の積み込みです。こうして駅に着くごとに旅行者の自転車の積み降ろしをする事が二人の仕事でした。自転車に限らず、一般の荷物もかなりの量をさばいていきました。行き先もわからぬままアルバイトは続き、
列車の中の自転車が全てなくなって初めて、ここが終着駅であると気づいた猿岩石。すると、
給料は2人で500シリング(約¥5,000)でした。と、その時、
ドイツ 154日目・9月13日入国
ウィーンを出た列車は5時間走って西へ約300km進み、着いた終着駅パッサウはドイツだったのです!
パッサウ 154~155日目・9月13日~14日
パッサウの駅のホームで両手を高々とあげ、雄叫びを放つ猿岩石でした。
日本人観光客の差し入れ以来3日ぶりの食事にありつきました。
ここでの食費は40マルク(約¥3,000)。アルバイト代の500シリングは65マルクに換金されたので、残金は25マルク(約¥1,800)となりました。翌日、大都市ミュンヘンを目指してヒッチハイク開始。2時間後、
1台のトラックが止まってくれました。
トラックの荷台には、日本でも見慣れた金属製の樽や瓶のケースがありました。
ヒッチハイクしたのはビール工場のトラックでした。酒好きの有吉は、
そして出た言葉は、
トラックは約1時間走り、工場に到着しました。
ビルスビバーグ 155~166日目・9月14日~25日
パッサウの西にある、ミュンヘン郊外の街。
祈るようにして待つこと15分、二人の背後から工場長のお出ましです。
(日本語)
2人のここでの仕事は、他とは違う意味を持っています。それはあのルーマニアでの窮地を救ってくれた彼女に170ドルを返すため。ヨーロッパで必ず返そうと誓ったことを、彼らは忘れていません。仕事は翌日から10日間。工場長が用意してくれた住み込みの部屋に案内されると、
ベッドがないので寝袋で寝ることになりますが、野宿とは大違いです。そして、その部屋のとなりには、
ルーマニアのクルージョ以来14日ぶりです。風呂から上がった猿岩石、髪の毛の長さにびっくり。インドで髪の毛を剃って100日以上、ちゃんと髪の毛は伸びていたのです。この日は5日ぶりに室内で眠り、明日からの仕事に備えます。翌日、制服をもらって仕事が始まりました。1日に約10万ビールを生産するというこの工場。有吉はまず、ビールケースの消毒の仕事を任されました。森脇は生産されたビールを、出荷するために倉庫に整理する仕事です。有吉いわく「ひ弱」な森脇の方が、重労働でした。そして昼休み。給料天引きの3食つきで、そちらの不自由はありません。午後は二人とも、コンベアに乗って流れてくる空きビンを倉庫に整理する仕事。工場中が流れ作業なので、とても忙しい仕事です。
午後5時に仕事が終了しました。
しかし、有吉の方には、たまらなく嬉しいことがありました。大好きなビール(に限ったことではありません)が飲み放題なのです!王冠を歯で開ける、あの荒技を再び使うときがやってきました。
ハードな仕事がもう9日間続き、アルバイトは10日目の最終日になりました。夕方5時に仕事が終わると、
ここでもまた、職場に名残惜しさを感じる二人。そしてこの日、従業員達が二人のために歓送会を開いてくれました。恐縮しながら参加する二人でしたが、30分もすると、
奇声を発しながらビール飲んでます。
従業員をひかせてしまうまでに変貌を遂げました。翌日、オフィスに工場長を訪ねました。
二人は固い握手を交わし、アルバイト代をいただきました。さらに、工場の制服を、思い出にとプレゼントしてくれました。こぎれいになった二人は外のベンチに腰掛け、早速給料袋を開けてみました。
二人で何と800マルク(約¥58,000)!
これでついに、あの件が解決します。そう、ルーマニアでの窮地を救ってくれた、あの人に返すお金ができたのです。二人は封筒に260マルク(170ドル相当、約¥19,000)とお礼の手紙を書き添え投函。
手紙の内容:「佳菜さんへ 先日は、死にかけの僕たちを救って頂き、どうもありがとうございました。おかげさまで2人は今、ドイツまで来れることができました。」
それでも残り540マルク(約¥40,000)。
そして久々にヒッチハイク開始。目的地はフランスです。2時間後、
豪華BMWのワゴンが止まってくれました。
しかし、ドライバーが車を降りて近づいてくると、
とても強そうなお兄さんでした。
怖い人でなくて一安心です。しかしカースタントマンだとわかってちょっと嫌な予感もしてきました。すると、ドライバーは二人にシートベルトを締めるように命じました。そして、彼自身も手に革のグローブを装着。
車はアウトバーンに入り、すさまじい加速を見せていきます。嫌な予感的中!
しばらくして小雨が降り出しましたが、かまわずさらに加速。このときスピードは200km/h出ていました。しかし、そのかいあって
400kmの道のりをわずか3時間で走破し、国境を通過。あっという間に17ヶ国目、フランスに入りました。
フランス 166日目・9月25日入国
ドライバーは、国境すぐの街シュトラスブルクで仕事があるというので、二人はシュトラスブルクの駅前で降ろしてもらうことに。
シュトラスブルク 166~167日目・9月25日~26日
フランス入国の感激を改めて味わう二人。まず、手持ちの540マルク(約¥40,000)を1,800フラン(約¥39,000)に換金。そのお金で、早速食事をとりました。ハンバーガーショップで40フラン(約¥850)とつつましく。そして、金に余裕のある二人は、久々にホテルに宿泊することにしました。朝食つき、二人で290フラン(約¥6,400)です。ベッドに寝転がり、その感触を確かめる二人。
森脇の寝たベッド、有吉の半分くらいの幅しかありませんでした。これで残金は1,470フラン(約¥32,000)。切りつめれば、ロンドンまで野宿をせずに行けそうな金額です。翌日、パリ目指してヒッチハイク開始。1時間後、ふと振り返ると、車の助手席の女性が手を振っているではありませんか。
しかし、
撮影は断られてしまいましたが、パリよりかなり手前のナンシーまでなら乗せてくれるそうです。二人は快諾!そして車中では、こっそりとカメラも回り続けていました。映し出された二人の視線は、女性の脚線美に釘付け。でれでれ顔です。2時間後、車はナンシーに到着しました。
ナンシー 167~168日目・9月26日~27日
すると彼女たちは、4人で飲みに行きませんかと誘ってきました。二人は快諾!案内されていったのは、近くのビルの地下にあるスナックのようなお店です。
二人は「パリジェンヌ」としばし夢のような時間を過ごしました。1時間後、
例によって酔っぱらっていると、人が入ってきました。
なんとボッタクリ!
おそらくここで二人は有り金全部を見せたんでしょう。
結局、有り金全部1470フラン(約¥32,000)を渡すはめになってしまいました。
また無一文になってしまい、悔し涙にくれる有吉。また公園野宿に逆戻りです。
有吉は寝袋に頭まで入り、顔を出すことはありませんでした。翌朝、再びパリへ向けてヒッチハイクを開始しました。所持金のなくなった二人は、"We want job" の紙もいっしょに掲げていました。2時間後、1台の車が止まりました。
ドライバーは、実家のナンシーからパリに戻る途中の学生さん。
約5時間のドライブの末、花の都パリに到着です。
パリ 168~186日目?・9月27日~10月15日?
いわずとしれたフランスの首都。ナンシーから西北西に約300kmの所にある。車の窓から見えるのは、ノートルダム寺院、エッフェル塔、そして凱旋門。まさしくパリです。そして、
着いたのはサーカスの特設テントでした!学生さんの友人は、このサーカスの団長だったのです。彼が団長にアルバイトの件を頼むと、
何とアルバイト成立!ゴールのロンドンまでは距離にして約400km。2,3日分の食費や宿泊費を稼げば充分とふんだ2人は、3日間だけの契約をしました。働くのはROMANES(ロマネス)サーカス。5日後が初日だということで、その準備に大忙しです。早速2人に与えられた仕事は、テントに雨が入らないようにする溝掘りでした。結局この日は丸一日、溝掘り。ここでも嬉しい賄い付き。夜は団長のキャンピングカーで食事をいただきました。しかし寝床のキャンピングカーは団員達で満員のため、テントの下で寝袋に入って寝ることになりました。
寝心地は思いのほか良いようです。翌日の仕事は、客席のイスのペンキ塗りでした。稽古にはげむ団員の横で、結局この日は丸一日、ペンキ塗り。そしてアルバイト3日目、残りのペンキ塗りを済ませると、今度は動物のエサの整理に入ります。アルバイト4日目、いよいよロンドンに向けての出発の日を迎えました。がっ!起きてみると、森脇のリュックが盗まれていたのです!中にはパスポートまで入っていました!報知新聞にも載ったこの緊急事態に対処すべく森脇はパリ18区警察署に赴き、被害届を提出。さらに日本大使館にも足を運び、パスポートの再発行を申し込みました。サーカスのテントに戻ってくると、
そこで、パスポートが再発行されるまでアルバイトを続けさせてもらうよう、団長に頼んでみたところ、
快諾でした。こうして仕事に復帰した二人。森脇は、明日の公演を控えた馬のブラッシングを担当しました。
森脇のうなじに、馬は鼻をひくひくさせ始めました。
有吉の方は、山羊の毛並みを整えていました。ツノをしっかりと押さえ、優しく背中をブラッシング。こちらはおとなしいものでした。翌日のアルバイト5日目は、公演初日です。この日はテントや大道具の設置に大忙しでした。そして午後7時、いよいよ開場。会場は満席となりました。森脇が手入れした馬は、子供たちに大人気。有吉が手入れした山羊は、その口に団長が頭を入れるという不思議な芸を披露してくれました。午後9時の終演後、二人は後片付けに入りました。それが終わると、ステージを寝床に眠りにつきます。アルバイト6日目、
アルバイトの期間中に芸を覚えて、出演してくれと言ってきました。体力に不安のある二人に、団長は空中ブランコ(といっても高さ2mくらい)に乗って逆さになり、このポーズをしてみろと言います。有吉はどうにかできましたが、森脇の方はブランコをつっているロープに足をかけることすらできません。翌日も仕事のかたわら、休憩時間に稽古を続けました。有吉は昨日より上達していたものの、
森脇は全く進歩なし。そして団長は、二人に組体操(「サボテン」の、土台が2人バージョンなど)を伝授しました。ブランコ以外のこともやるらしいのです。アルバイト9日目、二人が練習していると、
そして翌日夜7時、開場となりました。まあまあの客入りです。猿岩石はというと...ピエロになってました。するといきなり出番が!二人はお互いの足首をつかみ、マットの上ででんぐりがえしを始めました。1回、2回。たったそれだけでマットの端に来て、最初の演技終了。
お客さんもいっしょに盛り上がってくれていました。続いては猿岩石が土台となったサボテンです。団員が上に乗り、さらに横から2人の団員が倒立をしたのを猿岩石が片手で支えるというE難度の技。次はいよいよ有吉がロープをよじ登り始め、ブランコ演技に入ります。まず、最初に団長が見せてくれたあのポーズ(ブランコのひもに足をかけて逆さになり、下に手を伸ばす)をとりました。そこへ、団員が手をつなぎ、有吉の手につられたままの体勢で演技を繰り広げました。結局、森脇にブランコでの出番はありませんでした。その後はベテランが見事な演技を披露し、二人のデビュー&引退公演は無事終演を迎えました。翌日、森脇はパスポートを日本大使館に取りに行きました。それをパラパラめくりながら、
苦笑いしながらも、かなり辛そうな表情でした。そしてサーカスのテントを後にする時が来ました。すると団長から給料が!さらにピエロの衣装も記念にといただきました。団員達に別れを告げる猿岩石でしたが、別れのキスにはちょっと照れていました。アルバイト代は2人で1,600フラン(約¥32,000)。これで今度こそ一気にゴールまで行くことができます。2人は11日ぶりにヒッチハイクを開始しました。目指すはイギリス行きのカーフェリーが出航する街、カレーです。1時間後、二人は同時に叫びました。
早速運転席に駆け寄り、
ドライバーはイギリス旅行から帰る家族を迎えにカレーに行くところでした。
3時間後、いよいよドーバー海峡の手前、カレーに到着です。
カレー 186?~189日目・10月15日?~18日
車を降りてしばらく歩くと、カーフェリーのゲートに着きました。ここでイギリス行きの車をつかまえようというわけです。
ついに "LONDON" の文字を掲げてヒッチハイク開始です。これが最後のヒッチハイクになるのでしょうか。しかし、2時間たっても4時間たっても、止まってくれる車は現れませんでした。その後もここで2日間進展なし。さらにその翌日も、強風に耐えながらヒッチハイクしたもののダメでした。港に浮かぶカーフェリーを見て、
これより10月27日放送分
寒さに加えて強い雨まで降り出してきました。その時、放心状態の有吉の後ろで、クラクションが鳴りました。見ると車が止まっています。ドライバーの元へダッシュする二人。
有吉がお金もフェリーのチケットもないことを告げると、
断られるかと思いきや、
こうしてこれが最後となるヒッチハイクに成功しました!車はロンドンより30km手前のシド・カップという街まで行くそうです。
このヒッチハイクをしている2日間、飲まず食わずだったのです。そして車はフェリーへと入っていきます。
無事豪華なフェリーに乗り込み、感無量の二人です。
しかし、お金がない2人が向かったのは、甲板。いまだやまない強風に吹かれ、カレーの街明かりを見ています。
フェリーに乗って1時間半、いよいよ最後の国、大英帝国に入りました!
イギリス 190日目?・10月19日?入国
再び車に乗り込み、ついにイギリス上陸を果たしました。ここでも感無量の猿岩石でした。
シド・カップ 190日目・10月19日
ロンドンまであと30kmの街!ここまで乗せてもらった2人は、ついでにロンドンまでの道順も教わりました。車から降り、
もうがぜんやる気で、笑顔がこぼれだしています。4日間使い続けた "LONDON" の紙を広げて、
ところが、1時間しても、
車は1台も通りません。さらに1時間たって、時刻は午前3時になりました。
そこで、地図をもとに、指を5kmの定規代わりにして距離を測ることに。
本当は30kmです。
というわけで、残り30kmは徒歩で行くことに決まりました。
しかし、歩き始めて2時間もするともう、大丈夫ではなくなってきました。ここで休憩を取りました。午前5:30にもなると空が白み始め、歩き始めから4時間が経つ頃には、夜はすっかり明けていました。
空腹から、ハンバーガーショップのポスターに目がいく二人。ここで空腹のため、またも休憩を取りました。歩き始めて6時間が経った頃、有吉の重いリュックを交代で背負うことにしました。その辺に腰掛け、地図で現在地を確認です。
歩き続けて7時間、ふらふらになった二人の前に、1枚の看板が現れました。
ロンドン・中心街 190日目・10月19日
"Welcome to the heart of London" ついにロンドンにやってきました!
そしてロンドン中心部のビクトリア駅の横を通りました。ここまで来れば、トラファルガー広場まではもう2kmくらいです。そこで、道行く人に聞き込みを開始しました。
英語が通じていない可能性も大でした。今度は別の場所で、
どうやらカタカナの「トラファルガースクエア」では、かなり通じにくいようです。しかしこの男性は理解してくれました。
大きなボディランゲージで説明してくれました。さらに、
なぜか後ろを向き、腰を突き出すアクションで「真っ直ぐ」を表現する芸達者ぶり。
とはいえ、二人はピカデリー広場を知りませんでした。目印らしき建物を探して歩き続けます。気がついてみると、交代で背負うはずのリュックは、ずっと有吉が背負っていました。ちょっと笑顔の森脇です。そして、歩き続けて9時間、
と、トラファルガー広場を思い出していると、二人の前にはそのライオンが!噴水が!そして詰めかけた人々が!
ロンドン・トラファルガー広場 190日目・10月19日
広場に入ってきた二人は、爆風スランプのサンプラザ中野さんとパッパラー河合さんのお二人、室井滋さん、日テレの船越さん、そして広場に集まったたくさんの人に迎えられ、英国王室近衛隊トランペット部隊のファンファーレとともに見事ゴールを果たしました!