YES!  
香港のティーン向け雑誌
1998年6月発売 No.292 pp.104-107 / 4ページフルカラー

日本語訳◆さいぞうさん

元祖「電波少年」「猿岩石」のあゆみ

 謝昭仁と伊藤浄は6000HK$を手にスカンジナビア半島を目指し、アフリカの喜望峰を出発した。街をさまよい、空腹を耐えての日々は過ぎてゆく。2人の「電波少年」の最新情報が知りたいのなら、こまめにチェックして……」最近、はやりの話題といえば、かっこよくて話のうまい「香港ボーイ」選び、そして毎週観ずにいられない「電波少年」チェック、である。

◆ 本文

 有吉弘行、森脇和成の2人は、小さな頃からのおさななじみである。小学校1年生に始まって、常に同じ道を歩んできた。幸せも、つらいことも、ふたりは一緒だった。小学校から高校2年まで共に歩んできたのだが、成績の悪い森脇は高校2年のときにヤンキーになり、暴走族に入って学校から自主退学を言い渡される。「いつも一緒」の2人がこのときばかりは、しばしの離れ離れであった。
 有吉は高校を卒業すると芸能界で生きてゆこうと決心し、「同じ苦労をし、同じ釜の飯を食」おうと森脇と連絡を取る。当時、森脇は、どうにか自分でメシを食っていけるようになってきたところだったが、有吉の誘いに何ら迷うことなく承諾した。稼ぎのいい仕事をパッと辞めて、有吉とともにお笑いコンビを組み、芸能界へと進み出したのだ。
 日本の芸能界には、たくさんのお笑い芸人がいる。そのなかで活躍しようとすれば、大衆の注目を集めなければいけない。変わっていて目立つ名前というもの欠かせないのだ。「猿岩石」というのは珍しい名前で、これには2人の物語が隠されている。有吉が高校のとき、密かに恋心を抱いていた女の子がいた。しかしその子は猿顔の男の彼女になってしまう。有吉は好きな気持ちが憎らしくなり、「猿女房」と呼ぶようになった。これが「猿」の由来である。「岩石」はといえば、森脇がかつて鼻の横にでっかい痣のある女の子が好きだったのだが、その子をかげでは「岩石痣」と呼んでいた。これが「岩石」の由来である。
 猿岩石という名前は独特なものではあったが、駆け出しの頃の猿岩石を知っている人はほとんどいなかった。有吉と森脇を一躍有名にしたのは、96年、日本中を風靡した人気テレビ番組『進め!電波少年』である。
 われらがチューヤンと同様、猿岩石もたったの10万(約6000HK$)を手に、ヒッチハイクだけで、つらく長い旅をやり遂げたのだ。

 1代目「電波少年」猿岩石の「貧乏旅行」は4月13日に始まった。香港を出発し、山あり谷ありの190日間を経て、2人はようやく無事にロンドンに到着、前人未踏の偉大な「使命」を成し遂げた。
 実際、「人間以下の生活」といわれたこの長い半年以上の旅は、少しも誇張がない。2人が経験したすべての困難は、2人の予想もつかないことであった。泊まるところもなく、充分に食べることもできず、寒さに凍えるとは、まったく想像もできなかった。普通では体験できない、一風変わっためにもあった。ヘビと一緒に眠った。恐喝犯と間違われて逮捕された。出家もした。10日も体を洗わないことも。パスポートをなくしたことも。体が弱って入院し、異国の地での死を考えたことさえもあった。
 豊かな日本人にとって、猿岩石のこうした自虐的ともいえる旅は、新鮮であるだけでなく、心から敬服しないではいられないものである。『進め!電波少年』が2人の「電波少年」の放送を始めてから視聴率はうなぎ上りに上がり、2人のつらく、くるしい日々は、食後の団欒の話題となった。? lびとは彼らの堅い意志と気力に感服した。藤井郁弥と深津絵里が、彼らのファンの第1号、2号になったという。さらにインターネットでの猿岩石のHPにアクセスするファンは300万人を超えた。野次馬もいるが、彼ら目当てでHPを訪ね、遠くにいる2人の電波少年を激励する励ましのメッセージを残す人びとも少なくなかった。誰もが2人には直接届かない思いだと知っていながら、猿岩石がもたらす話題と震撼を少しでも伝えたいとおもっていた。
 もしも猿岩石が最初の「電波少年」であるとすれば、ヨーロッパ、ユーラシア大陸遠征の決定は一つのかけだったとしても、有吉と森脇は突然の出来事である中、それを成し遂げ日本に帰り、大勝利者になったのだ。
 2人が日本に帰ったその日、100人近くの歓迎を受けた。その後、西武球場で行われた凱旋ライブには3万人の熱烈なファンが球場につめかけ、その光景に2人は全く信じられないようであった。
 人気が出れば、仕事が次から次ぎへと来るのは当然のことである。成功した猿岩石には、旅日記、旅のビデオ、ゴールデンタイム、ドラマと仕事は山のようであった。昨年12月には、藤井郁弥のプロデュースした「白い雲のように」で音楽界にデビューした。このCDはたちまちヒットし、40万部を突破した。さらにすごいのは、昨年の全日本音楽大賞において、見た目は劣る猿岩石が広末涼子をやぶって最優秀新人賞を獲得し(もう1人の受賞者は知念里奈である)、業界を驚かせた。
 猿岩石の平凡な道に突然の雷が落ちて、まるで夢のように物事が次から次へと起きた。しかし2人に今日の成功があるのは、「苦盡甘来」(苦しい段階が過ぎれば楽になってくる、という中国の慣用句)という4文字で表せるだろう。この4文字を、10数ポンドも痩せ、それでもやはり苦しい「修行」をしている香港の「電波少年」−−謝昭仁(チューヤン)に贈ろう。

「電波少年」には苦しみのあとに「金」がくる

 2人のFaxと手紙をまとめてつくられら『猿岩石日記・極限のユーラシア大陸編』は80万部の増刷を重ねた。この印税は10%と見積もると、2人は6,400万円(約380HK$)は確実に稼いだことになる!さらに金のなる木として『怒涛のヨーロッパ編』、ビデオ版『極限のユーラシア大陸編』『怒涛のヨーロッパ編』、『電波少年・猿岩石外伝・室井滋トルコ大追跡』があり、これらの書籍、ビデオは次から次へと増刷され、印税は両手に持ち切れないくらいである!

猿岩石の苦しみの経歴大公開

  1. 日本:4月13日突然テレビ局から、香港〜ロンドンの旅を知らされる。
    (写真 香港からの放送の場面。「二人、呆然!」の字幕あり)
    #日本じゃないっす(笑)

  2. 香港:ビザを取るのに金も時間もかかって、2人は九龍公園で5日間!、野宿をする。
    (写真 野宿ポイント。「香港で野宿5連泊」の字幕あり)

  3. ベトナム:キツイ酒(アルコール度70度以上)を飲んだ有吉は、ひとしきり吐いて、人事不省に。
    (写真 白目むいてる有吉氏)

  4. インド:持っている金額ではビザ代に足りない。2人は道端で歌を歌うとあっという間に金は集まった。
    (写真 公園で爆風のお二人と。ギターを囲んで右から有吉氏、河合氏、森脇氏、中野氏)
    #これじゃまるで有&森で歌ったかのよう(笑)

  5. パキスタン:空気の淀みきった大混雑の列車で、倒れ、とうとう入院。
    (写真 点滴を受ける有吉氏)

  6. イラン:有吉ら2人が国家軍事機密を漏らす疑いから、当局に2人が撮影したビデオを無理矢理消される。
    (写真 軍事施設?わきを歩く2人の後ろ姿)
    #ふたりはとってないってばっ(笑)なぜ後ろ姿がうつせるんだか・・・

  7. エーゲ海:2人は客船でアルバイトをして旅費を稼ぐ。2人はほぼ1ヶ月近くを過ごす。
    (写真 厨房?)
    #これよくわからんのですよ〜

  8. トルコ:日本から派遣された室井滋が2人の母親の手紙を届ける。2人はそれを読んで涙をながした。
    (写真 涙を拭う3人。)

  9. オーストリア:オーストリアに着けば、2人のゴール、ロンドンまであとすこし。
    (写真 列車で荷物のあげ降ろしをする?森脇氏の後ろ姿)

  10. ドイツ:ビヤホールで大はしゃぎの有吉。一気のみをしておどけた顔をする。
    (写真 あかんべーで目がいっちゃってる有吉氏)

  11. フランス:進退極まった有吉と森脇は、幸運にもパリの大学生にサーカスを紹介してもらう。
    (写真 サーカスの人2人と、有吉氏、森脇氏)
掲載写真は、すべてカラーです。未出はない(はず)です。
◆ p.104
ふたりの写真・プロフィール。
写真はさるパックツアーのもの。
プロフィールは、有吉氏の上に森脇氏のが、森脇氏の上に有吉氏のがかぶっている。

【有吉弘行】生年月日:74年5月31日 身長:172cm 体重:62kg 血液:A型 星座:双子座 趣味:お茶、長州力の切り抜き集め 特技:柔道 理想のタレント:鈴木蘭々

【森脇和成】生年月日:74年8月1日 身長:170cm 体重:55kg 血液:A型 星座:獅子座 趣味:うまいものを食うこと 特技:柔道、うた 理想のタレント:松雪泰子

◆ p.105
しゃべってる2人(出典不明)とインド辺りの写真(映像からの複写)

◆ p.106
ムスリムの格好のふたり/レコーディングしてるふり

◆ p.107
2冊の『猿岩石日記』と、自筆の日記。テレビ局?でとったふうの写真。
自筆に日記には以下のキャプションつき
「有吉と森脇のたびのすべての出来事が書かれた日記。このボロボロの日記が、2人に目をみはるような収入をもたらすとは!」


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GigaHit 村田 崇 takashi@air.ne.jp