「樫の樹の下で」





その夜も、樫の樹の下で眠った。

    ***

頬を刺す研ぎ澄まされた冬の空気が、私を眠りから起こした。
辺りはまだ暗闇で、かすかに白みかけた東の空でようやく朝を知る。
新聞配達のバイクの遠い音が、まだぼんやりしている私に日常を告げた。
少し目をこすって辺りを見回す。
あくびよりも先に、ため息をつく。

・・・今日もまた目覚めてしまった。



#「おはよう。朝だよ。ほら、起きて」

彼が消えて、一ヶ月が過ぎる。

いっしょに生活した部屋には今も、そろいの食器、洗面所には2本の歯ブラシ。
ビデオを借りてきて観るのに、一つしかないクッションを取り合った。
せまい空間を分かち合って、あのころは、隣に彼がいた。
寝ぼすけの彼を起こすのが、その日一日の始まりだった。

あの頃の彼はもういない。



#「朝だよ〜。今日はいっしょに買い物に行くって約束したじゃない。はやくぅ」

そんな部屋で"朝起きると独り"という状況が耐えられなかったので、
毎晩その樫の樹のある岡に登るようになった。
彼と待ち合わせしていたのは、いつもこの樹の下だった。
ここで待っていれば、来るはずのない彼がやってくるような気がする。
あるはずがないと分かっていても。

今夜も樫の木に身を任せて目を閉じる。
くるまった薄い毛布と、もたれ掛かった樫の幹が、ぬくもりの全てだ。
冬の最中のことだ。大寒波でホームレスが何人死亡、などよく耳に入る。
顔や指はもう凍傷になりかかっている。
もうこのまま目覚めなければいい・・・

このぎりぎりの眠りを、私は死にものぐるいで、必死に切実に、欲していた。



#「起きようよ。コーヒー冷めちゃうよ?」

でも、今日も目覚めて、やはり彼はいない。
きっと悪い夢だ。

彼のいるところは、時間は流れているのか。暗闇なのか、光に満ちているのか。
私には分からない。
どうか、私を置いていかないで。

果てしなく深く眠る彼の傍らに、私の場所はもうないのかもしれない。



#「・・・起きて!!私の声が聞こえないの!?」

病院の一室、白いベッドの上、数本の管に繋がれて、今も彼は眠りつづけている。
そう、彼は植物人間のままだ。

無防備な寝顔は以前と少しも変わらないのに、彼はもはや彼ではない。

夢を見ている。

樫の樹の下の果ては、深海のようにしんとしていて重い。
もはや有機性を感じさせない生物達の冷たさ。
人を寄せ付けない静けさ。
もう戻れないかもしれないもどかしさ。

その時私は至福のような物さえ感じる。
樫の樹の下で眠る私と彼は近いから。

癒やしに満ちてゆく。

    ***

限りなく近く、そして遠く、平行線上にいる私たち。
それでも私はあなたを追いかける。
あの樫の樹の下で、私は永遠にあなたを待ち続けます。



<おわり>




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「だから何?」とか言われても困るんだ・・・(笑)

救いようがないほど暗くてどろどろ、を目指してましたが
そこは思うように書けませんでしたσ(>_<)ま、所詮こんなもんさね。
所詮こんなもん、のこれを、今回無断でモデルにしました高橋くんへ。

読んで下さった方、ありがとう。
ほんとにありがとう。
ほんとにほんとにありがとう。

1998年7月 良く晴れた暑い日
ありにゃ



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