第四章 旧友と少年

 

 

「つまり‥‥あいつも宿主なんでしょうね」

 やや疲れた表情で雪乃が言うと、慶は頷いた。

「それが一番妥当な考え方だわ」

「ああ、やれやれだな。まるで化け物の大安売りでもやってるみたいだ」

 ふてくされた淳の物言いに、雪乃はくすりと笑う。

「そういう君も私達も、化け物には違いないと思うけど?」

「まったくだ」

 淳は慶の言葉に頷き、軽く笑う。

 で、これからどうするんだ? と淳が問うと、慶は、

「取り敢えずは相手の情報が必要ね」

 と言った。

「なら、俺にもつてがあるから、そっちの方もあたってみる」

 淳が頷いて言った。

「じゃあ、今日はこれで解散して……三日後にまた集まろう」

 雪乃の提案は即座に了承され、三人は別れてそれぞれの行動をはじめた。

 

「なんだよ、もう夜が明けちまってるじゃねぇか」

 マンションの玄関を出て、空を見上げた淳が愚痴る。気ままな不良暮し(?)を楽しんでいたはずなのに、何処でどう間違えたのか──気がつけば、化け物になって化け物と命の取り合いをしている。確かに退屈はしないだろうけどな、と呟く。気を抜けばすぐに殺されてしまうのは、刺激があるというにはちょっと行き過ぎな気がする。

「……ま、愚痴っても仕方ないか」

 諦め半分、期待半分の表情を浮かべ、淳は歩き出した。朝の風は爽やかで心地いい。何となく楽しい気分になり、足取りも弾む。

 しばらくして、淳は、自分がかなり空腹な事に気付いた。数十メートル先に喫茶店が見えたので、そこに入ってモーニングセットを注文した。冷たい水を一気に飲むと、濁った眠気が一掃される。窓際の席から通りを眺めると、出勤途中のサラリーマンがせかせかと歩いていた。

 淳は、ああいう人々を見ると「たまには空を見上げたらどうだ?」と言いたくなる。仕事漬けで毎日が面白くないのなら、他人に愚痴る前に、自分で楽しい事を見つければいい。いつだって、新鮮に思える事は、道ばたに転がっているのだから。今日の空は、透き通る様な深い蒼色をしている。それに気付くだけでも、きっと目に映るものが変わるのに──などと考えをめぐらしていると、ウェイトレスの子が料理を運んできた。

 トースト、コーヒー、目玉焼きにサラダ。少し物足りないかも知れないが、まぁ仕方がない。思った通り、しっかり一瞬で食べ終えてしまう。

 ──やっぱり物足りないな。もう少し頼むか。

 そう思って顔をあげると、スープのカップとトーストが置かれた。運んできたのは先程のウェイトレスだ。淳が「頼んでないよ」と言うより早く、ウェイトレスが言った。

「マスターからのサービスだそうです」

「へ?」

 思わず間の抜けた返事を返し、店のカウンターへ目をやると、旧知の男が立っていた。人の良さそうな、小太りの中年──これから訪ねるつもりの『情報屋』だった。あまりの意外さに驚き、淳はコーヒーカップを落っことしそうになった。サービスをありがたく頂戴して食欲を押さえ込むと、テーブルからカウンターへ移った。

「……びっくりしたぜ、おやっさん」

「いや、すまない。やはりまっとうな商売に就きたくてね──」

 “おやっさん”の言葉に、淳はがっかりした。

 ──「まっとうな商売」に就いているんだ。もう情報は貰えないだろうな。ま、仕方ないか。おやっさんもいい加減年だし──

 二十分ほど彼の近況報告を聞いたあと、自分の事は一切告げず、淳は店をあとにした。その際、レジにて「おごりだよ」「いや払う」としばし押し問答をしたが、結局、半ば強引に金を置いて出て来た。

 “情報屋”を辞めた──という事は、それなりの手順をふんで正式に裏の世界を抜けたのだろう。淳は、普通に暮らし、幸せそうにしている旧友を、再び血と裏切りの溢れる世界に引き戻したくない、と思っていた。

「やれやれ……どうするかなぁ」

 独語し、あてもなく歩き出す。

 ……情報屋に信用してもらうのは、ひどく難しい。彼等は命がけで情報をとってくるので、下手な相手にもらすと、殺される危険があるからだ。先程の“おやっさん”に信用してもらうのに、淳は3年ほど彼の元へ通い、時には仕事の手伝いもした。それで、最近どうにか信用してもらえたのだ。今、敵が目の前に迫っているのに、また長い時間をかけて新しい情報屋と親しくなるのは不可能だ。

 少しばかり元気をなくし、裏通りへと足を向ける。と、男の怒声が聞こえた。声の方向へと歩いていくと、一人の少年が、ガラの悪い男達に囲まれていた。関わるべきか関わらざるべきか、淳が迷っていると、突然少年が男の一人を蹴り飛ばした。唖然とする淳の目の前で、男達は次々と昏倒する。全員が地面にのびても、少年はかすり傷ひとつ負ってなかった。

 ──えらいガキだな。ありゃ、関わらない方が身の為だ。

 内心舌を巻いたが、踵を返してその場を離れる。数歩足を進めたところで、背後から声がかかった。

「そこにいるのは誰だ」

 南極で食べるかき氷たるや、という冷たさの声である。淳は「逃げたら殺される」と本能的に悟り、冷や汗で身体中をぬらして、少年の前へと出て行った。

「お前、こいつらの仲間か?」

 地面に突っ伏して幸せに眠っている男達を指し、少年は言う。淳が無言で首を振ると、

「そうだな。お前みたいに弱そうなのは仲間にしなさそうだ、こいつらは」

 と少年は言った。

 ──にくったらしいクソガキだ。

 感情を顔に出さない様に苦労していると、少年は淳に背を向けて歩き出した。

「あ、おい!」

 思わず呼び止めると、少年は半身だけ後ろを向いて立ち止まった。

「理由を聞いてもいいか?──なんでこいつらに絡まれていたのか」

 少年はひょいと肩をすくめて答えた。

「サツに情報を流してやったんでな。ヤクの取り引きが台無しだって怒ってやがるんだ」

「それはそれは……」

 淳は思わず苦笑した。基本的に、情報屋も裏の世界の人間なので、警察とはあまり関わりたがらない。しかし、中には、麻薬取り引きなどを嫌い、そういう情報だけを警察に流す奴もいるのだ。少年もおそらくその類なのだろう。

 ──俺より年下だろうけど、なかなか芯の通った奴だな。

 そう思いながら少年を観察するうちに、淳はふとある事を思いついた。

 ──こいつをおやっさんの代わりに仲間に引き込んだらどうだろう? よし、善は急げだ。

 ちょっとばかり意味のあわない慣用句を思い浮かべつつ、淳は少年に言った。

「なぁ、俺さ、ちょっと知りたい情報があるんだ。引き受けてくれないか?」

 少年はしばし無言で淳を睨んだあと、息を吐いた。

「ま、いいだろう。お前はそこそこ信用できそうだ」

 ──いちいち引っ掛かる事を言うガキだな、オイ。

 そうは思いながらも、淳は仕事を頼む事にした。仕事を頼んだ時点で、淳も少年を信用していた。──こちらが信用しなければ、相手もしてくれるはずがない──というのが淳の持論である。

「で、何についてだ?」

 それを言わなければ話にならない。

「黒ずくめの殺し屋。女と男、一人ずつだ」

 瞬間、少年の顔がこわばるのを、淳は見のがさなかった。

「知っているのか?」

「あの……黒いスーツに黒い帽子で、真っ赤な口紅の──?」

「女はそうだ。知っているんだな」

「……友達がそいつに殺された」

 二人とも口をつぐみ、無言になる。ややあって、口を開いたのは少年だった。

「いいぜ、引き受ける。だけど──」

「だけど?」

「もしあいつを殺すなら、俺にやらせろ」

 本気の言葉だった。瞳に、怒りが燃えている。

「いいだろう。で、お前の名前は? 俺は長谷川淳だ」

「流(ながれ)だ」

「変わった名前だな」

「よく言われる」

 握手と視線を交わし、にっと笑うと、淳は少年と別れた。


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