第三章 殺し屋

 

 

 ──部屋中に真っ赤なペンキがぶちまけられていた。寝台に影が腰掛けている。

「残念、遅かったですね。チェックメイトです」

 黒ずくめの女が紅い唇で笑う。右手に直径三センチ程の石を乗せ、軽く弄んでいた。足下には、「かつて淳だったもの」が散乱している。女はひょいと身を屈め、淳の頭を持ち上げた。膝の上に置いて両肘をかける。

「なかなか美形でしたが……まぁ、力を扱う術を持たなかったのが悲劇でしたね」

 女は何時になく饒舌だった。質のいい宝玉を手に入れた嬉しさか、雪乃達の先を行く事が出来た満足感か。どちらかが、或いは両方ともが作用しているのだろう。

「しかし意外ですね。あなた方ほどの能力者が、私が忍び込んだ事に気付かな──」

「お前が殺したのか?」

 女の言葉を遮り、ようやく雪乃が喋る。喋るというより「声を押し出した」という感じだが。そして、この時、女の沈黙は肯定を表していた。毒を含んだ嘲りの視線を、雪乃に投げ掛ける。無言の肯定を受け取り、雪乃の理性は弾けた──否、弾けかけた。たがを押さえたのは慶の声だった。

「止めなさい」

 雪乃がゆっくりと振り返る。感情の無い、ガラス玉めいた瞳で慶を見据える。

「邪魔……しないで頂戴」

 わずかに声が震えている。

「それはきけないわね。雪乃、貴女が感情のままにそいつを殺してしまえば、そいつと同じレベル迄自分を落とす事になるのよ」

「かまわない」

 慶の言葉をほとんど聞かずに、雪乃は言い切った。

「どうだっていいのよ。こいつは淳を殺した。だから私もこいつを殺してやるのよ」

 雪乃は、硬質の表情で慶の干渉をシャットアウトすると、歩みを進めた。

 ──まずいわね。ここ迄あの子の事を想っていたなんて──

 呟きを口の中に押し止め、慶は意外に素早い動作で、雪乃に後ろから当て身を食らわせた。女の方に全神経を集中していたので、慶に対しては全く無防備だった雪乃は、呆気無く崩れ落ちた。

「おやおや。わざわざ気絶させて止めるなんて物好きな。どうせなら戦わせればいいのにね」

 くっくっ、とくぐもった笑い声をあげる。慶は雪乃を壁にもたれさせて、腕組みをして女に相対した。

「本気でそう言っているなら、貴女はよほどの間抜けね」

「どういった点からそういう結果を導きだすのでしょうか?」

 薄い笑いを唇に張り付かせたまま、女は反問する。

「まず、貴女はそもそも誤解しているわ。『彼は力を扱う術を持っていなかった』って言ったわね」

 女の紅い笑みがフェードアウトする。慶は右手の人さし指を女に向け、言葉を続けた。

「彼の力は──イリュージョン、幻影を見せる力よ」

「正解」

 もう一人の声は、全く違う所から聞こえた。手術機具のケースの上に、人が腰掛けている。刹那、人影はケースから飛び下り、女の首を後ろからメスでかき斬った。声もあげずに女は血の海に沈んだ。

「間抜けっちゃぁ間抜けな奴……だな。相手を見下し過ぎたのがお前の敗因だよ」

 言葉は、しかし、女の耳には届いていなかっただろう。うつ伏せに倒れた身体を足先でひっくり返す。女は薄い笑いを浮かべ、目を開いたままこと切れていた。

「気色の悪い奴」

 淳は誰にともなく呟くと、寝台のシーツを剥ぎ取って死体にかぶせた。慶は相変わらず腕組みをしたまま、無言でそれを眺めている。淳は、視線を慶のそれとぶつからせると、まず頭を下げた。

「ありがとうよ。あんたのおかげで助かった」

 慶は軽く首を振る。

「礼を言うなら雪乃にね。あの子が止血してなきゃ、間違いなく手後れになっていたわ」

 雪乃の名を聞き、淳は優しい笑みを浮かべた。慶は、取り敢えず最初の疑問を口にした。

「貴方、力はいつ?」

 それだけの言葉で十分だった。淳は軽く眉をひそめ、言葉を選ぶ様にゆっくりと話す。

「解らないな。ただ、最初にこいつに刺された時、俺は普通の人間だったはずだ。だから、こいつがここに現れて、俺を殺そうとした時……かな」

「他に、あるの?」

「……感覚が前よりも鋭くなった様な気がするな、特に聴覚が。第六感はなさそうだ。それと、再生能力が異常に高まるみたいだ。現に、こいつに刺された最初の傷は、もう直っちまってる」

 包帯を取り去ると、確かに、そこに傷はなかった。

 慶はわずかに目を見開く。

 ──ずいぶんとまぁ、たくさんの力を持っているものね。宝玉がバーゲンセールでも始めたのかしら。

 多分に緊張感のない感心の仕方をすると、ひとつため息をついて口を開く。

「最後の質問よ。貴方は私達と敵対するつもり?」

「……もしそうだと言ったら」

「この場で殺す」

 瞬間、穏やかな雰囲気が消え、男の表情を見せる。目は笑っていない。そんな慶の態度を見て、面白くもなさそうな顔で淳が言う。

「冗談だよ。お前──と言うか、雪乃に敵対するつもりはない。お前が雪乃のパートナーだってんなら、お前とも敵対しないさ」

 胡散臭げな目をしてはいるが、慶は頷いた。

「まぁいいでしょう。雪乃に免じて信じてあげるわ」

「ありがたき幸せ」

 と、おどけて礼をする。それには取り合わず、慶は改めて女の死体を見下ろした。

「しかし……なんて品のない殺し方をしたものかしら」

 ムッとした顔で淳が問う。

「じゃあ、どんな殺し方に品があるってんだよ」

 慶は人さし指を立て、チッチッと左右に振る。

「甘いわね──甘い! 品のある殺し方というのは、綺麗な殺し方。こんなに血を流すなんて、三流以下よ」

 今にも爆発しそうな淳を無視し、慶は続ける。

「綺麗な殺し方といったら、毒殺よ。そうね、筋肉弛緩剤とかでもいいわ。静脈に注射針を刺して……ああ、なんて素敵なのかしら」

 完全に自分の世界にイってしまっている。

 ようやっと目を覚ました雪乃は、後ろで聞いて呆れていた。勿論、まだ気絶しているふりをしているのだ。

 ──出たわね、マッドドクター。淳の事も気に入らないってわけ? まったくもう……。

 最初は黙って聞いていた淳も、慶の(演技過剰な)妄想に、次第に逃げ腰になってきている。

「ふふふ……最近は平和でね、あんまり血を見ていないのよ。生体解剖もとんと御無沙汰だし……」

 そう言いながら歩み寄り、淳は反対に後ずさる。慶は、淳の全身をざっと観察すると、思いきり意地の悪い笑みを浮かべる。

「仕事なら綺麗な殺し方をするけどね、個人的には血を見るのは大好きなのよ。君はなかなかいい身体をしているわ……」

 言って両手を伸ばす。そこで淳の忍耐力が切れた。

「じょう……っだんじゃねえ、お前の実験台になるなんてごめんだ!」

 叫ぶと、慶の両手を払った。いつでも逃げ出せる体勢を取り、慶を睨み付ける。一方、手を払われた慶は──火がついた様に笑い出した。含み笑いとか苦笑とかそういった類ではなく「腹の底から可笑しい」時の笑いだ。

「あんたって……ほんとうに……」

 言葉も続けずに、ひたすら笑い転げる。そして、慶の笑い声にもうひとつ声がかぶさった。堪えきれなくなった雪乃が、床に座り込んだまま笑っていた。淳は二人を見て、ようやく自分がからかわれていた事に気付く。何か怒鳴ろうとしたが、声にはならず、そのうち一緒に笑い出す。このあと三人は、たっぷり五分ほど笑い続けていた。

「まったく、なんてやつだよ」

 笑いながらいうので、全く迫力がない。それでも、台詞とは裏腹に、どこか嬉しそうな淳であった。

 しばし後、どうにか笑いをおさめ、三人は顔を見合わせた。

「こいつはどうしよう?」

 しかつめらしい顔をして雪乃が言った。「こいつ」とは、先程淳が殺した女の事である。

「まぁ、プロに任せるのが一番確実ね」

 淳が頷いて同意する。プロというのは、死体の始末を仕事とする連中の事で、足のつかない遺棄方法は天下一品である。

「じゃあ電話を‥‥」

 突然、部屋の戸口に男が現れた。黒ずくめの格好で、一見して女の仲間だと解る。三人より先に男が口を開く。

「真咲、いつまで寝ているつもりだ」

 緊張が走る。真咲、というのは、そこに倒れている女の事だろう。淳は、確かに殺した──と言いたげな顔をしている。すると信じられない様な事が起こった。確かに息絶えたはずの女が起き上がったのだ。

「なっ……」

 雪乃は絶句した。さすがの慶も、いつもの憎まれ口を叩けずにいる。淳に至っては、真っ青な顔で立ち尽くすばかりだ。

「浩人か」

 真咲と呼ばれた女は、男の顔を見るなり言った。男は大して動じていないようで──仲間なら当然だろうが──背を向けると歩き出した。真咲もそれに習い、さっさと姿を消す。あとに残された三人は、ただ呆然としているのみだった。

 


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