第二章 仲間となる者

 

 

「で、今度はどうしたのです?」

 白衣を着込んだ部屋の主は穏やかに訪ねた。雪乃は、泣きそうになりながら事情を説明し、彼に淳の手当てを頼んだ。彼は淳の傷を調べ、脈を取り、血圧を計った。傷を縫合しながら、大事には至らないでしょう、私が治す必要もありませんよ、と彼が告げると、雪乃は安堵のあまりへたり込んでしまった。彼は縫合を終え、淳の身体に包帯を巻いて鎮痛剤を打ち、隣の部屋の寝台へと運んだ。それらの片付けをすると、入れたてのコーヒーを雪乃に差し出した。雪乃はカップを受け取り、ブラックのままそっと飲んだ。苦さが味覚を刺激し、ようやくいつもの自分を取り戻す。床に座り込んでいる事に気付くと、彼が示すソファに座りなおした。

「落ち着きましたか」

「もう大丈夫よ。……慶、ありがとう」

「どういたしまして」

 にっこりと笑う。彼の名は藤崎慶、自他共に認めるマッドドクターである。もっとも、雪乃に言わせると「ヤなやつが相手の時だけマッドドクターのふりをする」らしいが。医学に秀でていて、優れた腕を持ち外科も内科もOKという、大病院でなくても欲しがりそうな人材だが、本人は病院の閉鎖的なシステムに組み込まれるのを嫌って、医者として働いていない。それでも医者の免許はもっているので、表ざたには出来ない患者などを診ているのである。

 慶は一見女のようで、仕種も性格も女そのものである。が、彼は男だ。声だけが男なので、その異様さに初対面の人は必ず驚くのだった。そして、慶自身も相手のそんな反応を見て意地悪く楽しんでいる節がある。別に害を与えるわけではないので、雪乃としては苦笑するしかないところであった。

「それで、この子の事だけどね」

「どうかした?」

 微妙に慶の口調が変わったのを感じ、雪乃は思わず姿勢を正した。

「たぶん、石の宿主よ」

 爆弾が音もなく雪乃の眼前で炸裂した。色を失った顔で問い返す。

「輝石の……本当に? 本当なの?」

 雪乃の様子にやや言いにくそうにしてはいるが、慶ははっきりと頷いた。

「確かにそうよ。同じ波長を感じたわ」

「じゃあ、淳が刺されたのは……」

「その所為ね。彼は最初から狙われていたのよ」

 しばしの間、沈黙が空間を支配した。

 ……輝石は「魔石」とも呼ばれ、人間の体内で育つ宝玉である。何万人にひとり、という割合でしか宿主が生まれないため、闇のマーケットではひとつ数億円で取引されているという。輝石は宿主の成長とともに育ち、十代後半から二十台前半で取り出すのが一番美しいとされる。つまり、生体エネルギーが最も活発な時に、宝玉も最も美しく輝くのだ。大きなものでピンポン球大にまでなるが、真円を保ったままそこまで成長するのは稀で、市場で流通しているのは真珠大のものである。輝石は宿主の生体エネルギーと、心の色を成長の糧とする。長い間純粋な心を持っていれば、その分美しく成長するのだ。

 そして、輝石の宿主は、往々にして強い特殊能力を持つ。ある者は超能力と呼ばれる類の力を操り、ある者は怪力を有する。またある者は第六感が異常に鋭敏になり、ある者は治癒能力を持つ。これが──すなわち特殊能力を与えるのが、「魔石」と呼ばれる所以である。

 この二人、雪乃と慶も輝石の宿主である。それ故に二人は表の世界で暮らす事を諦め、裏稼業を生業とした。何処でどんな仕事をして暮らそうと、欲の深い奴等に狙われるのなら、法や道徳に縛られずに、相手と対等に戦える裏の世界で暮らす方が、いくらかましというものである。それに、こういう仕事をしている方が味方も作りやすいし、相手の動向も知りやすい。ある事件をきっかけに二人は知り合い、似た者同士、というので協力して活動しているのだった。

 雪乃は高い戦闘能力を、慶は治癒能力をそれぞれ有している。特に、治癒能力の持ち主である慶は、常に誰かに──治癒の能力が永遠の命をもたらすという妄想にとりつかれている輩に──狙われている。そして、本人は「真っ向から依頼として持ってくるなら、死病でも何でも好きなだけ治してあげるわよ」などとのたまうが、雪乃はそれを信じていない。金の為に、たくさんの人を泣かせてきた成金や、私腹を肥やして、義務を果たそうとしない、愚鈍な政治家の類の人々が、慶の力を頼ってきたのは一度や二度ではない。だが、彼等の為に、慶が治癒能力を発動させたのを、雪乃は一度も見た事がない。「あんたが知らないだけよ」と慶は笑うが、それも信じていない。口ではどれだけあくどい事を言っても、慶はやはり優しいのだ。死病に侵されて、終焉を待つだけの患者を、タダで救ってやった事は数限りない。慶は弱い立場の人には常に優しく、社会的地位を持つ人々に対しては冷たい。だからこそ雪乃は彼をパートナーとして選んだのだ。曰く「信頼のおけないやつなら、はじめから深い関わりは持たない」のが雪乃の主義である。もしも慶が本人の言う通りの人物であったなら、雪乃は近づき もしなかっただろう。実際に力を悪用している宿主を、雪乃は幾人も知っている。それがどれだけ醜い事であるか熟知しているから、雪乃は純粋でありたいと願うのだ。そう願うが故に、同じ性質の宿主を探す。汚れなければ生きてゆけない裏の世界で、ようやく見つけた「同士」が慶だった。そして今、敵か──或いは味方かがひとり、増えようとしている。

「どうするの?」

 思案の海に沈んでいた雪乃は、慶の声で海面に引っ張りあげられた。

「どうするって──」

 解ってはいるのだが、思わず問い返していた。同類の立場の者が、淳に真実を伝えなければならない。雪乃が言うか、慶が言うか。彼はその事を示唆しているのだった。雪乃は、物静かな、だが厳しい慶の眼差しから、我知らず視線をそらせていた。

「そう、解ったわ。私が説明した方がいいのね?」

 ──慶には一生かなわないだろうな──雪乃は心底そう思った。態度を観察するだけで、相手の心理状態を的確に把握出来る──そんな慶の冷静さが羨ましかった。自分は直情的な人間だから、謀略には向かない。自然実力行使が多くなる訳で──まるっきり正反対の性質を持った慶と組めたのは、奇跡に等しい。そして、こういう時には、慶の冷静さが有り難かった。

「……お願い」

 雪乃の言葉に軽く頷くと、慶はカップを手にキッチンへと立った。

「痲酔が効いているから、しばらく目は覚まさないでしょうね。話せる状態になるには、まだ時間が必要よ」

 流しでカップを洗いながらの言葉に、雪乃は思わず安堵の息をついた。伝えなければならない事とは解っていても、何故か心が痛んだ。ふとある事を思いつき、慶の背中に声をかけた。

「ねえ、あの殺し屋はどうしよう?」

「……ああ、黒ずくめの?」

 肩ごしに振り向いた慶の反問に頷く。どうしようかしらね、と小さく呟き、慶はカップを戸棚にしまった。

「さしあたっては放っておいても大丈夫でしょうね。まずはこちらの問題を解決してからよ」

「そうね」

 雪乃が言葉を切ると、ひとときの静寂が室内を満たす。空間に漂う妙な臭いを嗅ぎとったのは慶だった。

「変ね……『手術室』から血の臭いがするわ。最近は手術なんて──」

 瞬間、雪乃の顔が蒼白になる。血臭は、淳を寝かせてある部屋──手術室から漂って来ていた。

「待ちなさい、危険よ」

 慶の忠告を効かずに、雪乃は乱暴に扉を開けた。

 


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