第十二章 最後の、最期の

 

 

 それから一週間――事態は急変する。

 淳の元に雪乃からの手紙が届いた。内容は呼びだし……波止場の倉庫――かつて霧本遥が殺された所である――で待っている、とだけ書いてあった。

 見慣れた雪乃の字体……懐古の想いに捕らわれるが、流に言われたことが同時によぎる。期待と不安と絶望とをないまぜにした心のまま、淳は約束の場所へと足を向けた。

 

「何故こんなところに呼び出した? 雪乃」

「……貴方に真実を伝えるため……わたしが狂いきってしまわないうちに」

 二人にお互いの表情は見えなかった。しかし、今にも壊れてしまいそうな、危うい雰囲気は感じている。

「わたし達は、超能力者ではないのよ」

 淳は黙ったままである。

「超能力者ではなく……実験体。人造人間の……あるいはヒトを殺人機械とする技術の」

「どういう意味だ」

 冷たく乾いた声が答える。感情を押し殺してはいるが、完全には成功しておらず、問いかけはわずかに波立っている。

「輝石は受信機なのよ。研究所が発する特殊な周波数の電波を受け取り、それぞれに違った能力を発現させる。その中には魔法みたいな能力もあったわね。慶のヒーリング、貴方のイリュージョン」

 少しづつ闇に慣れてきた瞳で、淳は雪乃の表情を探る。だがそこには、氷の仮面で感情を覆い隠した雪乃がいるだけだった。

「実験は終わったのよ。被験者にもう用はないわ。だから消し始めた――輝石を使って。輝石は生体細胞と完全に結合し、宿主の脳と連動するのよ。その性質を利用してね……脳の一部を破壊、あるいは異常を起こさせて、宿主を殺すの。傍目には精神異常を来たしたとしか思えないような状態にしてね」

「だから慶は死んだのか?」

「そう。そしてわたしも狂い始めた。今だって真実を話しているのかどうか怪しいものだわ」

 半ば自嘲気味につぶやき、肩をすくめる。次の言葉を探して、ゆっくりと視線を彷徨わす。淳のそれとぶつからせ、わずかにそらし、再び口を開いた。

「貴方のイリュージョンは、相手が宿主であるときだけその威力を発揮するのよ」

「真咲に通じたのも……」

「彼女が宿主だったから。あの時居合わせたのは、みな宿主だわ」

 そう、その通りだ、と淳は小さく呟いた。

「もう一つ教えてあげる。慶のヒーリングはね、魔法じゃない。自分の生体エネルギーを患者に注ぎ込んで回復を促していたのよ。あのまま力を使い続ければ、遅かれ早かれ死んでしまったのよ、彼は」

 鉛のような沈黙がのしかかる。ひどく淀んだ空気の中、2人は身じろぎもせずに立ち尽くしていた。

「そして――私は貴方を殺す」

「何故?」

 先程までの動揺も、いくらか治まったようだ。淳は、冷静さを回復した、常の調子の声で反問する。

「貴方が邪魔だからよ……貴方だけは狂いださない。発狂プログラムを輝石が受け付けないんだわ。でもね、例外を研究する必要なんてもうないのよ。実験は完成したのだから。だから貴方は邪魔なだけ……邪魔なだけなのよ」

 虚ろに同じ言葉を繰り返す。刹那、淳は見たような気がした――狂気を映した雪乃の瞳を。

 雪乃は跳躍した。半瞬で間合いを詰めると、右手を思いきり突き出す。淳はよけようとしなかった。恐怖ではなく安堵の表情を浮かべ、じっと立ち尽くしている――宿命を甘受するかのように。鈍い音を立て、雪乃の腕が淳の身体を突き通していた。二度、三度と咳込み、血を吐きだすと、淳はうなだれて動かなくなった。

 雪乃は、既に動かない、肉塊と化した淳から腕を抜き、手を放しそれを床に転がした。涙の一滴も流さず、ただ、機械じみた瞳で一瞥をくれると、そのまま歩きだした。……決して振り返ることはなく。

 

 そして事件は終わった。波止場の倉庫で少年の変死体が発見され、新聞を賑わしたのも一時のことだった。すぐに話題は別の事件に移り、警察の捜査は遅々として進まず、いつしか一般の人々からは忘れ去られていた。

 あれ以来、雪乃を街で見かけた者はいない。裏に住む者は、断片的な情報を元に色々な噂をした――曰く、報酬の分け前に絡んで殺し合った。曰く、何かの陰謀に巻き込まれた。曰く、慶と淳が雪乃を取り合った――これはただの冗談であったろうが――など、様々に話は織り出された。しかしそのすべてに信憑性はなく、真実を追及しようとする者もいなかった。

 そう、そして事件は終わったのだ。


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