第十章 青年の恋

 

 

 その日の夕方、淳は通りを歩いていた。慶の遺体を教会の墓地に埋葬して、雪乃と二人だけで、彼の葬式をした帰り道だった。彼の瞳からは、いつもの鋭い光が消え、濁った靄がかかっている。

 遺体を埋葬する時になって、淳は、それまで感じていた違和感の正体をつかんだ。慶の体内から輝石がなくなっていたのだ。それを知った時、小さな疑惑が心に芽吹いた。

 ──もしかしたら、雪乃が……。

 それは、彼にとって、身を切るような──いや、それ以上に厳しい仮定であった。しかし、どれだけ考えても、彼女以外に輝石を獲る事が出来る者はいない。結果、彼女が嘘をついている、とすれば、この件の符号は、全てあってしまうのである。

 余計な考えを払うように頭を強く振る。だが、一度出てきた疑惑は、簡単に消えはしなかった。

 ともすれば立ち止まってしまう足を、半ば意識的に動かし、淳は流と待ち合わせた喫茶店へと急いだ。

 

 

「流、どこへ行くんだ?」

「ん? 依頼人と会いにな」

 マンションの玄関を出ようとした流は、後ろからかかった声に振り向いて答えた。そこには、流と目鼻立ちのよく似た男が立っていた。男の名は竹内秀樹、流の兄である。背は高め、横幅は細めで、街に出れば結構人目を引く美形である。引き締まった表情は、秀樹を、優男ではない精悍な青年に見せていた。

「また危険な……」

「俺の選んだ仕事だ。口出し無用だよ」

 突っぱねる様な妹の言い方に、秀樹は苦笑する。それ以上は続けず、晩飯には帰ってこいよ、と走りだした背中に向かって言う。流は右手を軽く挙げて答え、そのまま秀樹の視界から消えた。

「ようやく明るくなったなぁ」

 微笑んで、一人呟く。両親を亡くして以来、二人で暮らしていたが──流は、ずっと心を閉じていた。実の兄にさえも、である。それが最近になって、急に元気になったのだから、秀樹としては喜び半分、驚き半分と言ったところである。

「さて、晩飯晩飯……」

 冷蔵庫を覗き込み、今日は久しぶりにあいつの好物でも作ってやるかな、などと考えつつ、材料を確かめる。

「あれ、野菜が少ないな」

 ──買いに行くか。

 財布をとって中身を確かめると、さっさと出かけることにした。

 

 外に出ると、冷たい風が勢いよく吹きつける。思わず首をすくめ、秀樹は足早に歩きだした。マンションから5分ほど歩いたところに、割と大きなスーパーマーケットがある。大通りからも行けるが、裏道を通ったほうが少しだけ早く着く。

 あまり寒さに強い方でもないので、秀樹は近道をすることにした。

 裏道は、人通りの少ない、林の中の道だった。そして、それ──人通りが少ない、つまり目撃者は少ないということ──は、襲撃者にとって最も良い条件である。この時も例外ではない。

 気がつくと、既に周りを囲まれていた。男達は、皆一様にサングラスをかけて黒いスーツを着ている。非友好的な気配をまき散らし、見せつけるようにナイフや銃を取り出す。普通の人間であれば、いくら腕に自信があったとしても、相手の数とその武器に脅えてしまっただろう。ただ、秀樹は、輝石の宿主ではないにしろ、そういった意味で普通ではなかった。

 真っ正面の男に近づき、顎に思いきり蹴りをいれる。見事に入り、男は仰向けに倒れたまま動かない。右側の男を殴り飛ばし、三人目に向き直ったところで、後ろにいた男に捕まり、羽交い締めにされた。三人目の男は、秀樹が動きを奪われたのを見て、サディストの笑みを浮かべる。

「てこずらせやがって……ガキが」

 言うが早いか、銃把で頬を殴ろうとする。ところが、悲鳴を上げたのは、殴ろうとした男だった。のけ反り、地面に倒れ込む。背中にナイフが突き立ち、血の染みが広がっていた。

「甘いよ」

 声は上から降ってきた。見上げると、黒髪の少女が木の枝に腰掛けている。

「なんだ貴様は!」

 秀樹を押さえていた男が吠え、少女に向かってナイフを構える。少女は全く動じることなく、ふわりと地面に降り立った。突進してくる男を軽くかわし、足を引っ掛けてバランスを崩させると、背後から首に腕を巻き付けて締め上げる。骨の砕ける音と共に男の全身から力が抜け、ナイフを取り落とした。少女が手を放すと、男の身体は地響きを立てて倒れ込んだ。

「あ……の、君は……」

「三崎里真。流に頼まれたのよ。貴方のボディーガードってとこね」

 笑って言う。少女の明るい笑顔に、秀樹も思わず微笑んだ。

「さて、それじゃ誰か来る前に行きましょうか。見つかったら厄介だわ」

「そうだな」

 倒れたままの男達を尻目に、二人はスーパーへと向かった。

 

「しかし驚いたな。君みたいな可愛い子が、流と同じ……?」

 カゴにレタスだのトマトだのを放り込みながら、秀樹は言った。

「同じじゃないわね。私は街の何でも屋よ」

 顔の善し悪しは関係ないわよ、と付け足して笑う。十九歳と聞いたが、普通にしていると、もう少し幼く──十六、七に見える。

「本業はギタリストなのよ。業界じゃ結構有名なんだから」

 更に続けられた言葉に、秀樹は目を見張った。

「なのに、裏稼業を?」

「有名だとかそうでないとかってのも関係ないわ。何でも屋はギター始める前からやってたし……そのまんま引きずっているってのが正しいわね」

 そんなものなのかな、という問いに、そんなものよ、と笑って答える。どこまでも明るい少女であった。

「店の外で待ってるわ」

 秀樹がレジに並ぶと、そう言い残して、里真は外へ行ってしまった。

 精算を終えて出ていくと、里真は、出入り口から死角になっていて見えない木にもたれて、空を見上げていた。横顔が、はっとするほど美しい。思わず息を詰めて見つめていると、里真の方が気づいた。

「どうしたの?」

「い、いや……今、すごく綺麗に見えたんだ」

「なにが」

「君の横顔が」

 里真は一瞬きょとんとし、吹き出した。

「口説こうっていうなら相手が悪いよ」

「違うって!……本当に綺麗に見えたんだよ。まるで、天使みたいな──」

 そこまで言って、里真に視線を移した秀樹は、次の言葉を飲み込んでしまった。燃えるような瞳で、里真が睨んでいる。その視線の苛烈さに、思わずあとずさると、ナイフが右頬をかすめて飛んでいった。背後で重い音がし、振り向くと、先程の男達の一人が、倒れていた。

「致命傷じゃない奴がいたのね。さ、行きましょう。見られてはいないと思うけど」

 里真に右手を引っ張られ、転びそうになって慌てて歩きだす。

 大した女だよ、と内心で呟く。そうは思いながら、しっかりと里真のことを気に入ってしまっている自分にも呆れていた。

 ──深入りするとまずいんだろうなぁ、きっと。

 少し先を歩く、里真の後ろ姿を眺めながら、心の中で独語した。秀樹は、普通の人間にしたら強い方かもしれないが、相手が武器を持っていてはまず勝てない。その点、流も里真も宿主ではないが、武装した相手に素手で対抗できる力を持っている。だが、秀樹はそうはいかない。つまり、里真にとってお荷物以外の何者でもないのだ。だからこそ深入りしてはいけないと自制する──秀樹は気の良い青年であった。「…………なの?」

「え、何?」

 思考に集中していた所為で、里真の言葉を聞き逃したようだ。里真は、呆れた表情をして、秀樹の顔を覗き込む。

「歩きながら眠ってたの? 器用な人ね」

「ごめん、ちょっと考え事してたんだ。……なんて言ったの?」

「何階なの?」

 指さして里真が言った。慌てて見回すと、いつの間にやら自分のマンションのエレベーターホールに立っている。

「あれ? いつの間に……」

 声に出したつもりはなかったが、言っていたようだ。隣で里真が大笑いしている。

「解ってなかったの? ほんとに? 貴方って天然ね!」

 ──また大笑い。なかなか、笑い上戸な少女である。

「ほっといてくれよ」

 とは言ったものの──秀樹も一緒に笑いだしていた。ああ、まずいな、と思いながら。

 ──秀樹は、この明るい少女に魅かれていた。どうやら、もう引き返せない状況に陥ってしまったようである。



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