球界トピックス
5月17日 鈴木貴久二軍打撃コーチ、急性気管支肺炎で急死!
徹底した鎖国政策を続けていた水島漫画において、晩年までスタメン(下手すると4番)を張り続けた事で知られる近鉄・鈴木貴久二軍打撃コーチが「急性気管支肺炎」により、40歳の若さで急死した事が明らかになった。1週間程前から、時折、咳き込むなど体調不良を訴えていた鈴木コーチだが、当初はただの風邪と思われていた。しかし、15日、ウエスタン・リーグの阪神戦の為、鳴尾浜球場に足を運びながら、体調不良を理由に試合前に帰宅。翌16日も自宅静養に努めていたが、深夜になって容体が急変。救急車で大阪・八尾市内の病院に搬送されたが、間もなくして息を引き取ったとの事。司法解剖の結果、と診断された。鈴木コーチは旭川大高から電電北海道を経て、1984年にドラフト5位で近鉄に入団。豪快なバッティングが売りの和製大砲として、1989年のリーグ優勝にも貢献。伝説の「10・19」の経験者でもある。2000年に現役を退き、翌2001年からコーチに就任するなど、近鉄ひと筋の野球人生だった。現役時代の通算記録は1501試合で、1226安打,打率.257,657打点,192本塁打。2000年の引退後、2軍打撃コーチに就任した。現役時代から共にプレーした梨田監督は「パンチ力があって守りも抜群に上手い選手だった。コーチとしても山下,大西ら若手のいい選手を育ててくれた。正に、これからと言う時だったのに…」と言葉を詰まらせた。試合前のミーティングで訃報を知らされたナインは全員で黙祷。この日からのダイエー3連戦は左袖に喪章をつけて臨む事を決めた。3点を先制される苦しい展開ながら、7回に一挙5点を奪い、逆転勝利。鈴木コーチに勝利を捧げる決勝タイムリーを放った水口は「とにかく集中した打席だった。絶対に勝たなきゃいけない試合だった。鈴木さんの全部が手本だった」と涙ながらに語った。この日のウイニングボールは鈴木コーチの葬儀が行われる19日に梨田監督が霊前に供える模様だ。
福岡ドーム:ダイエー5勝4敗 |
千葉マリン:ロッテ3勝7敗 |
GS神戸:オリックス1勝6敗 |