球界トピックス

1月9日


 仰木さん,故秋山登氏、野球殿堂入り! バース氏は僅か5票及ばず!
この日、水道橋の野球体育博物館にて、競技者・特別両表彰委員会が開かれ、野球界の功労者を讃える「野球殿堂」の今年の表彰者として、競技者表彰で仰木さん(元西鉄),特別表彰で故秋山登氏(元大洋)を選出した事を発表。これで殿堂入りは競技者表彰64名、特別表彰87名の計151名を数える事となった。選出条件は競技者表彰と特別表彰(新世紀特別表彰含む)に分かれており、競技者表彰はプロ野球取材経験15年以上の記者による投票(10人連記)で投票総数75%(今年は207票)以上の獲得,特別表彰は選考委員会で75%の得票数を獲得が必要となるが、仰木さんは230票を獲得し、見事に選ばれた。仰木さんは54年に東筑高から西鉄(現西武)に入団。二塁手として活躍し、稲尾和久氏,中西太氏,豊田泰光氏ら野武士軍団の一角として黄金時代を形成。67年までの14年間の現役通算成績は1328試合に出場し、800安打,打率.229,70本,326打点。だが、むしろ脚光を浴びたのは、独特の采配で「仰木マジック」と持てはやされ、3度のリーグ優勝を経験した監督時代。88年に近鉄の監督に就任すると、「10.19」として、今も熱く語り継がれるロッテとの死闘を展開。この年は場の空気を読めない有藤監督(ロッテ)のイカレ長時間抗議により、時間切れ引き分けで無念のV逸となったが、翌89年には見事に借りを返すリーグ優勝。また94年からはオリックスの監督となると、特異な振り子打法を煙たがった土井前監督から飼い殺されていた鈴木一朗(現マリナーズ)にカタカナ登録名の先駆けとなる「イチロー」の登録名を与えて、大ブレイクさせる事に成功。95年にはリーグ優勝,96年には日本一に輝くなど、オリックスの黄金時代を形成。通算成績は926勝745敗49分で.554と言う高勝率を残した。今回の殿堂入りに仰木さんは「名誉ある殿堂入りに選んで戴いて、本当に感謝している。西鉄ではチームメートに恵まれた。さらに三原さん,西本さん等の指導を受け、色々な事を学ばせて貰った。野茂,鈴木一郎に出会えた事も幸運だった」と喜びを表した。一方、特別表彰となった秋山氏は56年に明治大から大洋(現横浜)に入団。アンダースローから繰り出される速球が冴え渡り、いきなり25勝で新人王を獲得。60年には21勝で大洋を球団初の日本一に導き、MVPを受賞。黄金バッテリーと呼ばれた土井淳氏とのコンビで、弱小球団を支え続け、日本記録の9年連続50試合登板など、酷使を余儀なくされた影響からか、実働年数は12年と短かったが、それでも通算193勝(171敗)をマーク。1日2勝を5度も記録している他、戦後唯一の2日連続完封勝利と言った快挙も達成。75,76年には大洋の監督に就任。00年8月に66歳で死去している。表彰式は7月10日のオールスター第1戦(ナゴヤドーム)で行われる予定だ。尚、2年連続三冠王に輝くなど、85年阪神優勝の立役者となった元阪神・ランディ・バース氏は202票と僅かに及ばず、「引退後16年以内」と言う競技者表彰の表彰資格を失う事となった

 井川、2度目の交渉も決裂! 徹底抗戦で自費キャンプも辞さず!
阪神で唯一、契約更改を保留しているエース・井川だが、この日、代理人を務める橋岡弁護士が甲子園球場内の球団事務所で2度目の交渉を行った。2億5000万円を希望している井川側はに対して、球団側の提示は前回同様2億円(推定)。譲歩案として、出来高に加え、出来高満額の際に2000万円(推定)のボーナスを与える譲歩案も挙げたが、約1時間に渡る交渉も結局、物別れ。竹田常務は「どちらかが譲歩するしかないが、球団にはその気はない」と語り、これ以上の譲歩はしない意向を示した。一方、橋岡弁護士は「正直言って慌てていません。2月1日? 絶対にそこまで(に決着をつけたい)…とは考えていません」と語っており、井川は自費キャンプも辞さない徹底抗戦の構えでいる事を示唆。次回交渉は今月下旬に行われるが、ここで決裂すると、自費キャンプに突入する可能性大だ。