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稀代の名二塁手「猛牛」千葉茂氏、自宅で急死!
「猛牛」の愛称で親しまれた元巨人の名二塁手・千葉茂氏がこの日の朝、東京都新宿区の自宅で死去した。9時半頃、なかなか起きて来ない千葉氏を起こしに香澄夫人が部屋を訪れた時には既に、息を引き取っていたとの事で死因は不明。千葉氏は1週間前のOB会にも出席しており、前日も元気そのものだったと言う。享年83歳だった。愛媛県出身。中高年の盲信的信者にとっては、巨人の背番号「3」と言えば、名手・川相を初めとする藤田政権残党殲滅政策等、嫌がらせのみに知謀を発揮するヘッポコ采配で鳴らした茂雄だが、その茂雄の前に12年もの間、「3」をつけていたのが千葉氏。1938年、松山商から巨人入りした千葉氏は、ドン川上氏,青田昇氏らと共に、巨人の第2期黄金時代を形成。元々は外野手だったが、三原修氏が抜けた後にコンバートされ、史上に残る名二塁手として活躍。しぶとい右打ち,ファールで粘っての四球,堅実なバントと、まるで名手・川相を彷彿とさせる玄人好みのプレイでファンを魅了し、7度のベストナインを獲得。1959年には近鉄の監督に就任したが、この時、近鉄は千葉氏の愛称「猛牛」に因み、マスコット名を「パールス」から「バファロー」(後に「パファローズ」)に変更したと言う逸話も。1980年には野球殿堂入りを果たしている他、カツカレーを発明した男としても有名だ。通算成績は1512試合で打率.284 1605安打 96本 691打点 155盗塁。尚、この千葉氏の死に対して、茂雄は「忘れられないのはV9が終わって監督に就任した時に『これからは育成の時代だ。いい選手を育ててくれ。俺達は勝ち負けを問わない』と、いつも前向きに励ましてくれた事です」と思い出を語ったが、実際には「育成を放棄して、既に出来上がった選手の引き抜きばかり行ってまで勝ちに行く」と言う千葉氏の助言から背き続けていた事を露呈したに過ぎなかった。
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