山田太郎

山田と言うと「7割打者」と言う言葉が枕詞の様についてくるが、実際は、5割を僅かに上回る程度であった。本塁打も39本と、これくらいの高校生なら、毎年の様に出てくるが、特筆すべきは、その本塁打率2.9だろう。3打数に1本は打つと言う事は、つまり、1試合に1本は打って当たり前と言う計算になる。得点47中、自らの本塁打で39回も生還している事からも分かる通り、典型的な返す打者。その山田も、1年夏の頃は、本塁打は僅かに2本と少なく、主将・土井垣の影に隠れた存在だったが、分かる人には分かると言う好打者で、鳴門の牙・犬飼小次郎にして「大会No.1のミート男」と言わしめ、土井垣以上に警戒されていた。土井垣が去り、4番に座ってからは、その長打力が開花。どの年代でも、17割以上の長打率を残す爆発ぶりであった。その最たる時期が、山田フィーバーを巻き起こした2年秋〜春で6打席連続本塁打、7試合連続本塁打など、驚異の打棒を見せつけた。全国屈指の好投手・不知火、土門相手の県予選でも、ひけをとらない打撃で、高成績をマークしたが、三振は、南海権佐の金縛りによる3連続、スランプにまで陥った不知火からの4連続など、甲子園大会以上に喫していた。当時は、伝説的だった江川学院戦での5打席連続敬遠を含めた7個の敬遠四球は、勿論、チーム最多。致命的な鈍足と、明訓下位打線の壊滅的な低打率を考えると、全打席敬遠していれば、明訓を敗る事の出来た可能性のあるチームは多々あったと言えるだろう。その鈍足ぶりは、チーム最多の併殺打からも察する事が出来る。死球は2個食らっているが、必ず重傷で、まるで平気な岩鬼とは対照的だった。

 

打率
打席
打数
安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
得点
犠打
犠飛
四球
死球
三振
盗塁
併殺打
勝打
出塁率
長打率
通算
.526
132
114
60
6
6
39
98
47
3
0
13
2
21
0
3
22
.581
1.711

年代別

(学年表記は山田を基準としたもの。新潟明訓戦は3年夏扱い)

打率
打席
打数
安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
得点
犠打
犠飛
四球
死球
三振
盗塁
併殺打
勝打
出塁率
長打率
1年夏
.385
15
13
5
1
0
2
10
4
1
0
1
0
1
0
0
2
.429
.923
1年秋〜春
.615
34
26
16
2
2
9
30
13
0
0
6
2
4
0
1
5
.706
1.885
2年夏
.579
24
19
11
0
2
7
15
7
1
0
4
0
5
0
0
3
.652
1.895
2年秋〜春
.667
27
24
16
2
0
13
26
14
1
0
2
0
4
0
0
8
.692
2.375
3年夏
.375
32
32
12
1
2
8
17
9
0
0
0
0
7
0
2
4
.611
1.781

大会別

(県予選は春季大会、秋季リーグ戦含まず)

打率
打席
打数
安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
得点
犠打
犠飛
四球
死球
三振
盗塁
併殺打
勝打
出塁率
長打率
県予選
.452
39
31
14
0
1
10
27
13
2
0
5
1
11
0
0
6
.541
1.484
関東大会
.667
21
21
14
3
1
7
21
9
0
0
0
0
2
0
1
5
.667
1.905
甲子園大会
.500
68
58
29
3
3
20
46
23
1
0
8
1
8
0
2
11
.567
1.690