ハイソな私
突然ですが、皆さん、 「絵は好きですか?」
とある日、私は絵画に対する造詣を深めてきました。その体験が、非常に「為になる」ものゆえ、是非皆さんにも聞いて欲しいです。しかもこれはきっと絵画に興味がなくても関係するお話です。
第1話
渋谷のイシバシで弦を買いました。もうすぐライブなのでたまには新品の弦で弾こうかなと思ってました。前の日は部室で練習。その後みんなと飲みがあって、終電をやり過ごしたために拓哉さんの家で厄介になっていました。寝不足で体は重く、ベースを担いでいたのでイシバシまでの距離が疎ましく思えたのですが、他に弦を買うチャンスがなさそうなので無理して足を運びました。
弦を買った後、これで休息が始まるとおもいつつ帰路に就きました。ジャンボマックスのパチンコ屋を横目に
ONE OH NINE 30's の付近でビラ配りのおネェちゃんを見かけました。疲れているときは視線が正直です。気づくとビラを受け取り、
「この地下に画廊があります。無料です。どうぞ。」
エスカレータを下ってしまいました。ヒロ・ヤマガタとかミーハーな話をしていたので、苦痛な場所ではないだろうし、絵もまんざら興味がないわけでもないし、休息の前の心の安らぎにと、少し見ていくことにしました。もう一つ、トイレをどこかで借りようと思っていたので好都合という考えもありました。
適当に絵を見ているとさっきのおネェちゃんが声をかけてきます。
「おいくつですか?」
「ギターやってるんですか?」(ベースだってば)
とか、たわいもないことを聞いてきます。まんざらでもない気分の奥で、だんだん疑問がわいてきます。
これはひょっとして、怪しげなセールスではないだろうか?
「ここの絵は全部シルクスクリーン版画なんですよ」
「どうやって作るか知ってます?」
おネェちゃんはどっかへ消えたと思うとまたすぐにやってきて茶々を入れます。「ここからまたバスガイドしま〜す」などと冗談混じりにくるのでこちらも 『じゃ歌も歌って』と儀礼上冗談で返します。
適当に見ているうちにもやはり 「これは」といういい絵があって、ちょっと佇んでいると「お気に入りですか?」と攻撃してきます。『いや、全く』とぞんざいに返しながら、画廊全体を半周したあたりで、一種異様な部屋になります。何人ものお客さんが一つずつ絵を前にして座っているのです。そして、各人の横にはそれぞれおネェちゃんが座って説明してます。お客さんの顔はみな一様に困ってます。これでわかりました。怪しげでもなんでもなく、
れっきとしたセールスなんです。
第2話
「これでだいたい全部見たんですが、最後にあえて一枚気に入った絵を教えてもらえますか?」
来ました来ました。まだ全部見てないだろ、と思いつつ
『おねえさんが気に入りました』
と言っても逃してくれません。
「あえて、一枚といったら?」
としつこいので適当にこれと言ってしまいます。
「え?」
おネェちゃんはわざとらしく止まります。
「これですか? 意外ですね。お客さんギターなんかもってすごく渋いの選ぶじゃないですか。これは普通の人は理解できないけどすご〜く値打ちモノなんですよ。」
はいはい、わかりました。
「これ、ここの照明じゃよく見えないんで、向こうの部屋で見ましょう。」
その絵をはずしてさっきの異様な部屋にかけ直します。ここで座ったらおしまいかなとも考えながら、この手のセールスに自分がどこまで耐えられるものかちょっと試してみたくなりました。たぶんに疲れて座りたかったせいもあります。
「これを描いたのはもうヨボヨボのおじいちゃんなんですよ。こんな絵が描けるなんてすごいですよね〜。」
「もうすぐ死んじゃうから彼の作品はもう増えないんです。」
その後幾度も説明を受けたおかげで覚えてしまった彼の名前はアイベン・ロール。画集にある彼の写真は確かにすぐ死にそうなおじいちゃんだ。
「こんなおじいちゃんが絵書くなんて不思議だよね。」
いや、この手の爺ちゃんこそ芸術肌の頑固一徹の雰囲気が漂う、と思いつつも彼女の通り一遍の説明を聞き流す。
「こんな絵を飾ってみたいと思いません?」
ほら来た。確かに飾るぶんには異論はないが、素直に買うわけにはいくまい。
『いいえ、ぜんぜん。』
「絵に興味ないんですか?」
『ないです。 』
こんなやりとりをしている横で、別のお姉さんが叫び始めます。
「何でだまってんのよ! この絵好きなんでしょ?!」
なんだなんだ、と思って見ると絵を前に凍っている私と同様の男性に、怖い表情のお姉さんが罵声を浴びせます。くわばらくわばら。しかし私ものんきに構えてられません。
おネェちゃんは聞いてきます。
「この絵、何色ぐらい使ってると思います?」
派手な絵が多い中、私が選んだのは割とモノトーン系のもの。黒・グリーン・白とその中間色でほぼまとめ上げられたその絵は一種水墨画の様な情緒がありました。おそらく30〜50色の版で作られたものでしょう。
『6万色』
「まじめに答えてください。」
おネェちゃんがちょっと怖くなってきました。
「あ、○○さん、これ何色くらい使ってるんでしたっけ?」
「え、これですか?」
おネェちゃんは別のおネェちゃん2号を呼び止めました。この人は結構トシです。この人がビラを配っていたならこんな画廊には来ませんでした。おネェちゃん1号は去っていきます。
第3話
「こんな絵飾りたいと思いません?」
『全く思いません』
横の方でまた別のおネェちゃんの声がします。言葉の切れ端に 「85万」と聞こえました。なるほど、ちょっと無理すれば買えそうな金額設定がコツなんですね。
「絵を飾るのは当たり前なんですよ」
『僕の歳では飾りませんよ』
「最近は若い人も飾りますよ」
『そりゃ今も昔も若い人で飾る一部の人はいますよ』
「え? あなた昔を知ってるんですか? 50年前とか生きてたんですか?」
おネェちゃん2号はヘリクツババァでもありました。私もヘリクツに弱いわけではないのですが、スピードがつかない分不利です。途中省略しますが、彼女のヘリクツ的論理構築はすばらしいです。
「絵に興味ありません?」
『ないです』
「それはまずいでしょう。欧米なんて必ず絵が飾ってありますし、お客さんみたいな知的レベルの高そうな人は絵の観賞をたしなまないと。まあ、頭の悪い人とかは別ですけど。」
こちらのプライドを利用するあたりやはりプロです。
「音楽やってるんですか? 音楽やっている人は感性の人なんですよね。絵も同じく芸術ですから。」
『でも、絵画には原理的に時系列がないでしょう。』
「・・・そういう難しいことは言わないで、この絵は技術的にも優れているんですよ。」
おネェちゃん2号に「じけいれつ」 という単語が通じたかどうかは定かでない。
「この絵を飾るとしたらどんなところがいいですか?」
だから飾りたくないって。ここで私も攻撃に転じることにしました。
考えてみると私は非常に有効な武器を持っていたのです。
『音楽好きですか?』
「ええ、好きですよ。もちろん。」
『ギター弾きませんか?』(ベースだけど)
「え? 私はいいです。あなたが弾くのを聞きます。」
『いや、弾かせてみたいんです。おもしろいですよ。ちょっと待ってください。』
「あ、いや、いいです。それよりこの本ちょっと見てください。」
そういって画集を手渡すとおネェちゃん2号は消えて行きました。ちょっと勝ち誇った気分で画集を眺めたりします。この後はどんな反撃があるのでしょう。
第4話
また横で別のおネェちゃんが叫びます。
「"はい"って言いなさい! "はい"って。すすめられたから買うっていうのが悔しいんでしょ! 素直になりなさい。 もうノドのとこまで出かかってるんでしょ。」
男性客はそのまま無言です。すごいです。彼女にあの勢いをつけさせる正当性って何?
「あ、その絵とか好きなんだぁ。」
私の方にもおネェちゃん3号登場です。目元や鼻のラインに気合いを感じさせるメイクをしたウォーターフロント系のおネェちゃんです。歳は22〜3でしょう。しかしここのおネェちゃんはみんな短いスカートです。これも業務方針なのでしょうか。
「この絵、ヨボヨボのおじいちゃんが描いたんですよ。」
その話はさっき聞きました。彼女らの教育担当はそれしか言ってないのでしょうか。
「音楽やってるんですか?」
『もお〜、何度もいわないでよ。みんないっぺんに連れてきて。』
「これ何色くらい使ってると思います?」
『・・・』
疲れもたまっているので気に入らなくなったら答えないことにしました。するとおネェちゃんちょっとヒステリックになってきました。
「あ、それも聞き飽きた? ごめんね。こんな絵飾ってみたいと思わない?」
思いません。ここでふと思いつき、ハタと態度を変え、こんな攻撃をしてみました。
『デートしませんか』
「・・・、やだ。」
よっしゃ、ちょっとひるんでます。 「有効!」といったところでしょうか。
『なんで?』
「イヤだから」
おネェちゃんは冷たく答えます。
「ふーん、いつもそんな風にさそってんだぁ。」
ケイベツした目で言います。まあ、この際どう見られても良しとしましょう。
「この絵はすばらしいのよ。飾ってみなさいよ。」
『イヤです。飾りたくないから。それよりデートしませんか?』
「い・や・だ。あたしがあんた呼んだんじゃないわよ。この絵はあんたが選んだんでしょ。」
確かに、そう言われるとアナロジーをつくには限界があります。でも、ここは戦法として論理性は放棄しましょう
『ま、いいからデートしましょう。』
「イヤだっていってるでしょ。しつこいなあ。」
『しつこいのは、お・た・が・い・さ・ま。』
そういって彼女の目の前で人差し指をチッチッとやります。こんなゼスチャーが自然と出てきたのは初めてです。私自身もこんなことされたらムカツキます。
「じゃ、いい、この会社説明読んで。」
そういってパンフレットを渡し、おネェちゃん3号も消えていきました。
第5話
しかし、これだけ説明のおネェちゃんが回転するのも向こうの戦術なんでしょう。ココ山岡のケースでは次第に偉い人が登場すると聞きます。もう下手な攻撃は通用しないのでしょうか。会社説明のパンフをサラサラと眺めるとこの会社の社長の写真があります。いかにもインチキ臭い顔です。
「こんにちは」
おネェちゃん4号登場。まだ10代かもしれない割と端正な女の子です。と言うかかなりかわいい。気分はもはやキャバクラ感覚です。
「先輩にちょっと代わってと言われたんです。」
物腰も割とおっとりしていてさっきまでの海千山千を感じさせません。
「この絵、ゴルフ場みたいですよね。」
幼稚な発言をしてくれます。
『いや、それを言うならスキー場でしょ。こんな斜面じゃゴルフできないよ。』
「スキーやるんですか?」
以後、延々と絵とは関係のない話が続きます。『彼氏は?』とか、『いつから働いてるの?』とか、もうほんとにキャバクラです。そんな問いにも非常に素直に対処してくれます。聞けば先月の終わりに入社したばかりで、社長面接1回のみで即日採用が決まったそうです。
一方、前日からの寝不足と、彼女のゆったりとした話のペースにすっかりリラックスしてしまい、途中大あくびをかましてしまいます。
「あ、うふふ・・」
『ん、どうしたの?』
「のどちんこが見えた。」
『え? 何が見えた?』
「のどちんこ」
『え?』
「・・・、のどちんこ・・・・」
『え?』
「・・・・・」
いつものセクハラおやじ全開です。とりあえずこのおネェちゃん相手なら絵を売りつけられる心配はありません。
話が止まるとおネェちゃん4号は落ち着きをなくします。
「遅いなあ、先輩。ちょっと待ってて。」
一人残されました。まわりを見るとお客さんがだいぶ入れ替わった様です。買ってしまった人もいるのでしょうか?
さっきの男性客もいません。
「まだ手が空かないみたい・・・。」
残念そうにおネェちゃん4号が戻ってきます。
勝った。。。
確信しました。どうやらコイツに売りつけるのは難しいと判断してくれたのでしょう。適当にあしらうために、どうせ成績の期待できない新人をあてがったようです。彼女にちょっと同情です。しかしもはや安心しきった私はその後も延々キャバクラ遊びを堪能しました。
ところで、当初の「トイレを借りる」予定を思い出しました。これまで便意をすっかり忘れていたようです。
『トイレどこ?』 おネェちゃん4号はトイレを案内しようとしましたが、あいにくそのフロアは女性用しかありません。
「2階にあるみたいです。」
ここで2階までいって戻ってくると区切りがつきません。まだちょっと話してもいいかなとも思いつつ、
今日はこの辺でカンベンしたろ。
と、帰ることにしました。おネェちゃん4号は素直に返してくれます。途中おネェちゃん1号と目が合い、軽く会釈すると困惑していました。エスカレーターに乗るときも、ほらほら、帰っちゃうよ、いいの?、むざむざ返して、と偉そうです。
久しぶりのシャバです。やはりベースが重く気分壮快とまではいきませんが、とりあえず幸せな気分です。 時間にして2時間。最後のおネェちゃん4号と1時間くらい話していたので、これでお酒が出るなら8000円といったところでしょうか。実にハイソな休日、薄曇りの午後でした。
「ハイソな私」 完
(C)1997 Kenzo Kasahara
あとがき
これは97年3月頃の出来事をほぼその直後にまとめたものです。文中の画廊は現在(98.10)はありません。(ただしチェーン店は近くにあるようです。)文中にはありませんが、入店してすぐに住所・氏名・職業などを書かされました。多分その時職業欄に「学生」または「無職」と書いておけばよかったのでしょう。