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渡辺 岳夫(わたなべ・たけお)

作曲家。
1933年4月16日生。
東京都出身。武蔵大学経済学部卒。仏スコラカントルム音楽院卒。
1989年6月2日没。

父は、作曲家・渡辺浦人('94年没)。劇演出家・渡辺浩子は妹('98年没)。

父が音楽家であったことから幼少時から音楽に親しむ。しかし、作曲家になろうとは思わず、大学も経済学部へ。学生時代は「親孝行のつもりで」父の仕事の手伝いをするかたわら、ジャズバンドでドラムを叩いたり、学生演劇に熱中したりしていた。学生時代より芝居が好きで、卒業したらドラマの演出家になりたいと考えるようになる。
その一方、在学中に世界民族音楽会議の代表のひとりとして渡欧を経験。また、丁度日本に入ってきたデイブ・ブルーベックのジャズに衝撃を受け、音楽の仕事にも興味を持ち始める。
家族は音楽の道に進むことを希望していたが、卒業後TBS(当時KRT)に入社。演出部でプロデュース、演出を経験するうちに、ドラマを音楽で支える劇伴にひかれるようになった。しだいに劇音楽をやりたいという思いが大きくなり、「劇伴に一生を捧げよう」と決意してTBSを退社。音楽家に転身する。
退社後、音楽を本格的に勉強し直すため、パリ・スコラカントルム音楽院に2年間留学。クラシックを本格的に学ぶ。
帰国後、父・渡辺浦人の手伝いをしながら劇伴音楽の勉強をし、映画やラジオ、テレビドラマの劇伴を書くようになる。デビュー作については諸説あるが、ニッポン放送のラジオドラマが「初めてギャラをもらった仕事」という。

以後、民放のテレビドラマを中心に数々の劇音楽を作曲。映画音楽とも微妙に違うテレビドラマ独自のスタイルを作り出し、以降の劇伴音楽に大きな影響を与えた。もともと芝居の演出家を志していただけあって、その音楽は、単なる情景描写や情感描写の音楽ではなく、人間ドラマにぴったり寄り添った「音で綴ったドラマ演出」。渡辺岳夫の音楽が、「テレビドラマの劇伴音楽のひとつの典型を作った」といわれている。

作品のジャンル、作風は幅広く、「大奥('68)」「新選組血風録('65)」のような時代劇から「巨人の星('68)」のようなスポ根もの、「アルプスの少女ハイジ('74)」「キャンディ・キャンディ('76)」に代表される少女向けアニメ、「非情のライセンス('74)」「白い巨塔('78)」などの大人向けドラマ、大ブームを引き起こしたSFアニメ「機動戦士ガンダム('77)」など、ひとりの作曲家の作品であるとは信じられないほど。

しかし、渡辺岳夫の音楽には、一聴して渡辺岳夫と気づかされる特徴がある。小編成でも楽器の音を最大限に生かした音作り、チェンバロ、マンドリン、マリンバなどのお気に入りの楽器の音色、そしてなにより、「岳夫節」「なべたけ節」と呼ばれ愛されている、独特のメロディラインである。

美しい音楽、やさしい音楽を書く作曲家はいるが、渡辺岳夫の音楽は、そういう形容では表現しきれない魅力にあふれている。
たとえば「大いなる旅路('72)」主題歌冒頭のえもいわれぬ音運び。「家なき子('77)」主題歌「さあ歩きはじめよう」サビの切ないまでの願いに満ちた調べ。
疲れた心を浄化してくれるような胸に迫る音楽は、劇中人物を「そばにいて支えてあげたい」という人間への熱い想いから生まれたもの。
音楽を表現する言葉としては不適当だと思いつつも、「ヒューマニズムあふれる」という形容を使わずにはいられない。

渡辺岳夫の作品の中には、いくつか転機になった作品がある。
まずは、脚本・結束信二、音楽・渡辺岳夫の「新選組血風録('65)」。以後コンビで、「用心棒シリーズ('66-68)」「大奥('68)」「あゝ忠臣蔵('69)」「燃えよ剣('70)」など、数々の時代劇の名作を作り出す。
テレビアニメに本格的に取り組むきっかけになったのが、「巨人の星('68)」。大人向けのドラマ音楽と変わらぬアプローチで、「テレビまんが」を「テレビアニメ」に発展させる手助けをした。
そして、最大の転機となったのが「アルプスの少女ハイジ('74)」である。
当時、渡辺岳夫は、「1週間に渡辺岳夫の曲がテレビから流れない日はない」とまで言われる売れっ子だったが、一方で、作品が荒れていくことに不安を感じていた。テレビアニメ初の海外録音を行ったこの作品は、渡辺岳夫が自費で2度にわたるヨーロッパ取材を敢行、音楽への情熱を注ぎ込んだ渾身の1作である。
「ハイジ」以後、テレビアニメにおける渡辺岳夫の仕事は、質的にも量的にも絶頂期を迎える。
'79年の「機動戦士ガンダム」は、それまでのロボットアクションもの音楽のイメージを大きく変える作品で、「ガンダム」のヒットとともに、渡辺岳夫の名がアニメ誌をにぎわすことになる。しかし、名前が売れることは氏の本意でなく、「もはやガンダムの音楽はファンのもの」との言葉を残して、「ガンダム」からは離れていく。

100万枚売った「キャンディ・キャンディ」や海外でも愛唱されている「ハイジ」など、ポピュラリティーあふれる曲想は、いまも新しいファンを生んでいる。アニメソングでは小林亜星やいずみたくと並ぶメロディメーカーで、歌謡曲の分野でもヒットメーカーとして通用したに違いないと思わせるが、芸能界の生臭さを嫌い、あくまで劇伴音楽にこだわった。

80年代後半は、テレビの単発ドラマを中心に活躍する一方、初心に還るかのように、舞台音楽に情熱を燃やし、いくつかの舞台では音楽監督を務める。
「劇伴は一生の仕事」と語り、いつかシンフォニーを書くことを夢見ながら、劇音楽を書き続け、生涯、劇伴音楽家であることを貫いた。
享年56歳。 '99/1/19


主な作品
(ほんの一部)

●テレビドラマ

●こども向けドラマ

●テレビアニメ

●劇場用映画

●その他の作品


関連サイト:

コメント:
渡辺岳夫の音楽に魅せられたのは1977年。「家なき子」と「ザンボット3」の音楽がきっかけでした。
以後、岳夫節を追いかけているのですが、渡辺岳夫の曲もさることながら、渡辺岳夫という人物自体にも魅力を感じているのですね。
氏の仕事の全貌を紹介する記念館を作ることが夢。 (猫)'99/1/19


渡辺 俊幸(わたなべ・としゆき)

作曲家。
1955年生。愛知県名古屋市出身。青山学院大学卒。米バークレー音楽院卒。

父は、作曲家・渡辺宙明。
大学入学と同時に、フォーク・グループ「赤い鳥」のドラマーとしてプロ活動を始める。
さだまさしのいたフォーク・グループ「グレープ」のサポート・ミュージシャンを経て、さだまさしのアレンジャー及び、音楽プロデューサーとして活躍。さだ作品の編曲者として氏の名前を記憶する人も多い。
'79年より渡米し、米バークリー音楽院にてクラシック、ジャズの作編曲技法と指揮法を学ぶ。また、アルバート・ハリスに師事し、ハリウッドスタイルのオーケストレーションと映画音楽の作曲技法を学ぶ。
帰国後、テレビドラマ、アニメーション、映画の音楽を多数担当。現在、売れっ子の劇伴作曲家のひとり。

アニメーション作品は「銀河漂流バイファム('83)」から。父・渡辺宙明が得意にしたロボットアニメのジャンルもいくつか手がけているが、作風はまったく違う。
どちらかというと、弦や木管を使った美しいオーケストレーションが氏の持ち味。ドラマでも、ファミリーものやラブストーリィでしっとりした曲を聞かせてくれることが多い。「北の国から」の近作では、さだまさしとともに劇伴を担当している。
かと思うと、「モスラ('96)」では本格特撮映画らしい重厚な響きを聞かせてくれた。映画音楽の技法を本式に学んだだけあって、映画音楽らしい音楽を書ける貴重な作曲家である。 '99/1/17


主な作品
基本的に劇伴のみ。

●テレビドラマ

●テレビアニメ

●劇場用映画

●オリジナルビデオ作品ほか


渡辺 宙明(わたなべ・みちあき)

作曲家。
愛知県名古屋市出身。東京大学文学部心理学科卒。
(生年月日は企業秘密とのこと)

本名は「みちあき」だが、「ちゅうめい」の愛称で親しまれ、自らも筆名として「ちゅうめい」を名乗っている。
同じく、特撮ヒーロー番組、ロボットアニメで多くの名曲を書いた菊池俊輔とともに、ヒーローソングの2大巨匠と称されるひとり。ロボットアニメと等身大特撮ヒーローものの音楽イメージは、渡辺宙明と菊池俊輔が作り上げた。

中学生時代ハーモニカを吹き始めたのがきっかけで音楽に目覚め、映画が好きだったことから、映画音楽の作曲家をめざすようになる。
大学で音楽を学びたかったが、家族の反対で断念、心理学科に進む。しかし、在学中から独学で音楽を学び始め、團伊玖麿、諸井三郎に師事。
卒業後、CBC(中部日本放送)のラジオドラマの劇伴でプロ作曲家としてデビュー。1956年「人形佐七捕物帳 妖艶六死美人」ではじめて念願の映画音楽を手がける。以後、新東宝の映画作品の多くに曲を提供。
新東宝時代の作品では、中川信夫、石井輝夫とのコンビが特撮ファンには馴染み深いところ。中川信夫の代表作「東海道四谷怪談('59)」「地獄('60)」や石井輝夫の「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)('57)」が氏の作である。
新東宝以降は、日活、東映、大映などの映画作品を担当。大映の「忍びの者」シリーズは代表作のひとつ。声明を取り入れた音楽で注目された。

60年代からテレビ映画の音楽にも手を染め、'64年「忍者部隊月光」で子ども向けヒーローものをはじめて作曲。「シャドウマン('65)」「ある勇気の記録('66)」「五番目の刑事('69)」などのテレビドラマを手がけたあと、'72年「人造人間キカイダー」に登板。同年の「マジンガーZ」とともに、いよいよ宙明サウンドの炸裂が始まる。
以降、「グレートマジンガー('74)」「鋼鉄ジーグ('75)」などのロボットアクション・アニメや「キカイダー01('73)」「イナズマン('74)」「秘密戦隊ゴレンジャー('75)」などの特撮ヒーローもので、数々の名曲を書き、ファンの熱烈な支持を得る。
ほかに代表作は、「アクマイザー3('75)」「マグネロボ ガ・キーン('76)」「秘密戦隊ゴレンジャー('75)」〜「大戦隊ゴーグルV('82)」の初期戦隊シリーズ、宇宙刑事シリーズ('82〜'84)など。

氏の作品は、宙明節・宙明サウンドと呼ばれ、燃えるヒーローソングの王道として熱狂的なファンを生んでいる。
その作風は、パワフルかつワイルドでありながらソウルフル。ロックやジャズのリズムにブルージーなコード進行で、曲の印象以上に音楽的には難しい要素が詰まっている。一説には、実家が資産家であったために、お金の心配をすることなく、低予算の作品で音楽的な実験を続けていたのだとか。
影響を受けた作曲家は、クインシー・ジョーンズ、ラロ・シフリン、フランシス・レイ(意外)ら。しかし洋楽志向ではなく、日本人の心の琴線に触れるサウンドが魅力。
アクション番組の音楽を書く作曲家は数多いが、宙明作品の、力強い中に哀愁ただようメロディ、情感の高まりを誘う独特の溜め、歌手の声までをも楽器のように使いこなし、伴奏とメロが一体となって突き進むアレンジメントは、余人には真似のできない技である。

しかし、アクション路線ばかりが渡辺宙明の魅力ではない。「好きな楽器はハーモニカ」との言葉に象徴されるように、イタリア映画音楽のような哀愁を帯びた曲調も氏の持ち味のひとつ。「猛と舞のうた(マグネロボ ガ・キーン)」「誓いのバラード(スパイダーマン)」「強さは愛だ(宇宙刑事シャリバン)」など、番組のクロージングを飾った数々の名曲にその魅力があふれている。劇伴にハーモニカをフィーチャーした「野球狂の詩」は自らも好きな作品だとか。

オーディオマニアを自認し、70年代初期から電子楽器を取り入れた音作りを始めている。「大鉄人17('77)」、「バトルフィーバーJ('79)」などは、当時の新しいサウンドを積極的に取り入れて、新境地を示した。80年代には、米バークレー大学留学から返ってきた息子・俊幸氏の持ち帰ったコード進行をさっそく劇伴に応用してみたり、「宇宙刑事シャイダー」の「不思議ソング」では教会音楽の音階を使ってみたりと、常に新しい音を模索している。
シンセサイザーがはじめて日本に入ってきたとき、2台しかなかったうちの1台を買ったのが冨田勲で、もう1台を買ったのが渡辺宙明であったという。「キカイダー」のプロフェッサー・ギルの笛の音は、その日本初のシンセサイザーで作られたもの。
長いキャリアの持ち主だが、その若々しい実験精神が、氏の曲をワンパターンにせず、いつまでもファンに元気を与え続けている理由だろう。
ちなみに、氏はUFO研究家としても(一部で)著名である(オカルト否定派)。

80年代以降は、テレビシリーズの劇伴の仕事が減り、代わって挿入歌作曲、OVA、イメージアルバムなどの仕事が増え始めた。
最近も、「マジンカイザー」「スーパーヒーロー作戦」などで、変わらぬ宙明節を聞かせてくれて、ファンを喜ばせている。'99/1/15 ('00/1/29)


主な作品:
(ほんの一部)

●テレビドラマ

●特撮テレビ映画

●テレビアニメ

●劇場用映画

●オリジナルビデオほか


関連サイト:

コメント:

渡辺宙明といえば、無敵のアクション・ヒーロー音楽の王者。
一般には、「宇宙刑事シリーズ」以降、渡辺宙明の名が広く知られるようになりましたが、私・腹巻猫の宙明サウンドへの目覚めは「ジャッカー電撃隊」。そして「バトルフィーバーJ」で完全にノックアウト。
氏のファンは業界やプロ作家の中にも多く、渡辺宙明ご指名で作曲を担当した仕事も数多いのですが、中には過去の作品の焼き直しを依頼したような仕事もあり、その手のものには、一部のロートルファンは食傷気味。新時代の宙明サウンド(劇伴も)が聴けることをファンは待ち望んでいます。

ところで、'98年夏に発売されるはずだった宙明研究本「渡辺宙明の世界」はどうなったのか? (猫)'99/1/15


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