劇伴コラム

もう一度スクリーンミュージックを

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私の手元には、10年以上前にラジオから録音した映画音楽のカセットテープが30本ほど残っている。もっとあったのだが、あまりに古いテープは劣化して聴くことができなくなり、処分してしまったのだ。入っている曲を順不動に上げてみると、

「トムソーヤーの冒険〜リバーソング」「栄光への脱出」「渚にて」「シンジケート」「夜の大捜査線」「炎のランナー」「チャイナタウン」「ファイナル・カウントダウン」「シャイニング」「ニューヨーク・ニューヨーク」

すべて、関光夫氏の映画音楽番組からの録音である。

1998年は映画人の訃報が目についた年だったが、中でも私・腹巻猫が一番感慨を覚えた訃報が、映画音楽研究家・評論家の関光夫さんの逝去であった。

関光夫氏は、本名小林光夫、NHK-FMの映画音楽番組を担当し、戦後の映画音楽ブームに大きな影響を与えた。現在映画音楽を聴きつづけている30代以上のファンの多くが、氏の番組で映画音楽の魅力に目覚めた経験を持っていることと思う。
日本での映画音楽のブームは、59年代後半から60年代前半がその第一波。「エデンの東」や「タラのテーマ(風とともに去りぬ)」「80日間世界一周」「男と女」「ブーベの恋人」など、映画音楽のスタンダードと呼ばれる曲が、一部の映画ファンだけでなく一般のリスナーにも人気となり、映画音楽のオムニバスアルバムなどが売れるようになる。しかし、この時期聴かれていた映画音楽は、実はサントラではなくカバー演奏がほとんど。サウンドトラックを聴くというよりも、ムード音楽やイージーリスニングとして聴かれていたわけである。
この時代には、マカロニウエスタンとディズニー映画という、映画音楽における2大潮流もひそかにブームになるが、それらは映画音楽というよりも、独特なのジャンルとして聴かれていた。
そして60年代末から70年代。本格的な映画音楽ブームがやってくる。「明日に向って撃て」「2001年宇宙の旅」「ゴッドファーザー」「エマニエル夫人」「燃えよドラゴン」「タワーリングインフェルノ」など、それまでとは一味違う映画が次々と封切られ、その音楽も話題になった。過去の映画音楽の聴かれ方と大きく違うのは、サントラLPが売れ始めたことである。テーマ曲だけでなく、映画に使われた音楽をアルバムとして聴きたいというファンが現れてきたのだ。

NHKの関光夫氏の映画音楽番組は、戦後すぐからスタートしたそうである。当時は生放送。洋楽が容易に入手できない時代で、映画音楽などなおさらのこと。オリジナル音源が放送できるようになったのは放送開始から数年たってからだという。私が氏の番組を聴き始めたのは70年代前半、「刑事コロンボ」や「エクソシスト」が評判になる頃だから'73〜74年頃だった。
氏の語り口をひとくちで言うと、「やさしくわかりやすく」。映画音楽を聴いたことのないリスナーにもわかりやすいように映画と作曲家の情報を丁寧に紹介し、音楽をたっぷりフルサイズ聴かせるというスタイルだった。曲におしゃべりがかぶることや、フェードアウトで曲を切ったりすることのない、理想的な音楽番組だったのだ。
まだ小学生だった私は、映画館にひとりで行くこともなく、今のようにホームビデオが普及している時代でもなかったため、映画といえば、テレビの洋画劇場で見るくらい、映画音楽に触れる機会は、そのテレビと関氏の番組だけだった。
70年代は、レコードメーカー各社がこぞってサントラ盤をリリースした時期で、関氏の番組では、それらのレコードから魅力的なメロディが次々と紹介されていた。テーマ曲ばかりでなく、エンドタイトルや印象的な劇中曲まで。
映画音楽は魔法のようだった。それまで耳に聞こえていた音楽とはまるで違う何かがあった。歌謡曲やポピュラーやクラシックやジャズなどにない何か。私はたちまちのめりこんだ。
当時、うちではまだオープンリールのテープレコーダーを使っていて、私はラジオやテレビから音を録るのを、ビデオデッキほどもあるでっかいテープレコーダーでやっていた。関氏の番組のエアチェックもそのテープレコーダーでやった。テープが買えなくて、親が録音したテープを無断で消して録音したりもした。
番組で聴いて印象に残った曲を今でも覚えている。モリコーネの「テオレマ」、ゴールドスミス「猿の惑星」、ドルリュー「イルカの日」、バリー「さらばベルリンの日」、ジャール「将軍たちの夜」、チプリアーニ「黒い警察」、バカロフ「サマータイム・キラー」…。
私は関氏の映画音楽番組で、はじめて音楽に目覚めたといってよい。いまだにサントラを買い、「劇伴倶楽部」なんてサイトをやっているのも、もとはと言えば、小学生のときに聴いた氏の番組がきっかけである。

映画音楽ブームの第3波は、70年代後半にやってきた。「スターウォーズ」「未知との遭遇」「スーパーマン」などの特撮映画のヒットでシンフォニックサウンドが見直されたが、その一方で、ポピュラーソングを多く使った映画が増え、サントラも、劇伴中心ではなく、ポピュラーのコンピ盤の趣が強くなってきた。
80年代、私は大学生になったが、関氏の映画音楽番組はまだ続いていた。放送枠を変え、タイトルを変え、あの語り口はそのままに、映画音楽の紹介を続けていた。最初に上げたカセットテープは、この頃に録音したものである。80年代前半はあまりぱっとした映画があった記憶がないが、それでも、「ファイナル・カウントダウン」「ある日どこかで」「タイタンの戦い」など、いくつかの魅力的なスコアにめぐりあうことができたのは、氏の番組のおかげだ。

関氏の番組は、レギュラーではなかったようだが、90年代も放送されていた。私は社会人になり、ラジオを聴く機会はほとんどなくなっていた。関氏の逝去は'98年10月、享年76歳。

世の中一般の人は感じていないと思うが、日本は今、サントラブーム第4波の真っ只中である。
この10年ばかり、世界各国で昔のサントラがCD化され、新作も次々とCD発売されている。そして、米"SOUND TRACK"誌の最新号を見ると、日本はサントラ盤の新規リリース数では、実にアメリカに次いで世界第2位なのだ。実際の話、ここ数年の国内のサントラ盤リリースラッシュはただごとではない。もとはといえば、「黄金の七人」をはじめとするトロバヨーリなどのイタリアン・サントラがブームになったのがきっかけかもしれないが、ブームはオールド・サントラファンをも巻き込んで拡大しており、10年前は考えられなかったようなレア盤、お宝盤が次々とリリースされている。
しかし、若いファン・新しいリスナーにとっては、どれから聴いていいのかわからないような状況であるのも確か。こんなときこそ、映画音楽の楽しみ方をわかりやすく教えてくれる関氏の番組があったら、と思ってしまう。

なぜ私は劇伴(またはサントラ)が好きなのか。最初に好きになった音楽が映画音楽だったからである。ではなぜ好きになったのか? たぶん、それは音楽に「物語」が聞こえるからだろうと思う。そんな映画音楽の魅力を教えてくれた関光夫さんに感謝。ありがとう。
いつか、私の好きな映画音楽を紹介するページを作りたいと思っています。

'98/12/29

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