2002年4月3日 隣接する工場がごみ山と共に燃え上がる瞬間

ごみ山はいつから積み上がっていたのか?〜成長するごみ山。

2000年春 焼却をやめ収集運搬の許可のみとなる。廃プラスチックはコンテナ保管と明記される許可。。しかし、既に、廃プラが場内の真ん中に積まれ始める。
2001年春 既に廃プラの山の高さは3mを越え、コンテナ保管など、問題外。住民の苦情が多くなる。
2001年秋。埼玉県は春から秋にかけ、口頭で指導をし続けた、というが、逆にごみ山は成長し続ける。埼玉県の指導とは一体何?

2002年3月末 火災直前。ごみ山の高さは15mを超え、山からは湯気がたちのぼっていた。その姿は異様としか言いようがない。大量の廃プラスチックの山が積み上がっていた。埼玉県はこの時点でも、ゴミを片づけさせるための法的根拠のある改善命令さえ出していなかった。

ごみ山の実態

2001年5月。積み上がるマットレスと廃プラとベビーフード

奥の山はマットレス。手前山はベビーフードの山。ベビーフードは全て封が開けられ、腐敗している。ここから大量の蠅とネズミが発生。カラスが周辺に持ち出して飛散。悪臭も酷い。これが2年近く放置された。場内足の踏み場もないほどゴミに埋め尽くされている。マットレスは、今回の延焼の被害にあった工場との境の塀にもたれかけられ、大量に積み上げられていた。これらは、全て、保管基準に違反しているし、許可の条件とされた、コンテナ保管からはほど遠い状態。

火災連続写真へ続く