これまでの経過・・・
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1995〜
焼却炉からダイオキシン!
95年摂南大学の宮田教授がくぬぎ山焼却炉密集地帯の土壌分析調査を実施し、ダイオキシン汚染が問題に。埼玉県でも96年の冬にくぬぎ山周辺地域の大気と土壌のダイオキシン測定を実施。大気の汚染(2.0pg/m3)も明らかになった。子どもたちは大丈夫なの?と多くの市民が不安に思い始めた。
1997〜
所沢周辺で民間焼却炉が64個も!
地図に落としてみて、びっくり。当時、所沢周辺の民間焼却炉は大小合わせて64個もありました。ダイオキシン条例も制定されたけど実効性は??
薄黒い煙があちこちからたなびくのを見るたび、不安は募ります。
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なんで所沢に!?
なんとかならないか、と調べていくうちに、これらの焼却炉の大半が、首都圏のゴミを受け入れ、処理していることが解りました。所沢は、いつの間にか首都圏のゴミの便利な中間処理場となっていたのです。焼却場だけでなく、あちこちに大きなゴミの山も!。。。
私たちの町はゴミ処理場じゃない!
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1998〜
焼却STOPを求めて市民4000人が
公害調停を申請。。。
求めることは、焼却を止めること、汚染実態を明らかにすること、もとのきれいな土に戻すこと。たくさんの焼却炉に許可をどんどん出してきた埼玉県にもう許可をしないで、とも求めています。現在も継続中。。。
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◆1999〜
野菜騒動!?
1999年2月マスコミ報道をきっかけにして所沢産野菜価格が暴落。市内農家が大きな被害を受けました。所沢ダイオキシン問題が全国的に有名に。。。
所沢の野菜は新鮮でおいしい!のに、なんでこんな被害を受けなきゃいけないの?多くの農家が怒りました。
安全でおいしい野菜をつくるために、焼却炉はもういらない!
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◆2000〜
ダイオキシン措置法ができたけれど。。。
ダイオキシン措置法が出来て、規制がかけられましたが、既存施設に対しては甘かったり、と、なかなか対策は進みません。所沢市では、私たちの税金で、焼却炉撤去に補助金を出すこととし、計13炉の撤去に対して約3億円近くが使われました。
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◆2001〜
のこされた煙と土壌汚染と。。。
いろいろな行動の成果で64炉のうち、42炉が操業を停止、操業を続行しているのは16社22炉と1/3に。しかし、くぬぎ山の1炉が12000pg/gの土壌汚染を引き起こしていた事が市民調査で明らかになったり、と問題はまだまだたくさん残されていて。。。
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◆そして、いま。2002
地域を知り、地域の問題を考え、地域の環境を共によくしていくために
ダイオキシン汚染の象徴のようにとりあげられてきた「くぬぎ山」は、所沢北部にある豊かな雑木林です。1970年代以降、虫食いのように切られ、ゴミが押し寄せ、被害を受け止めつつ、くぬぎ山の木々はまだ頑張っています。
「くぬぎ山再生事業」に予算が付きました。どんなものとなるのかまだ分かりませんが、市民の手で、土壌汚染の回復、ごみ山の片づけ、きれいな空気をとりもどすために、何が出来るかを考えていきたいものです。
「関心を持たないこと」が、「地域の環境を悪化させる」、このことを私たちはこれまでの経緯から学びました。知らない間に、首都圏のゴミ処理場にされてしまってはたまりません。
二度と繰り返さないために、地域の環境に関心を持ち続け、共に行動し続けていきたい、と考えています。
こどもたちにきれいな水と土と空気を手渡し、いのちとくらしを守るために。。。