わたしたちの公害調停が、ついに終結しました。
所沢周辺に47社64炉あった炉は、7社8炉を残すまでになりました。けれど、増え続けるゴミ流入、焼却停止後、破砕・圧縮の増加、ごみ山、等課題はいまだ残されています。
公害調停によって得られたこと(申請人の権利)を弁護団が報告、未だ残る課題、今後の運動の展開について、報告、討議します。皆様、お誘い合わせの上、ぜひ多数ご参加下さい。報告集会の後、懇親会も予定しています。
「埼玉県は首都圏産業廃棄物の中間処理を担っている」。
5年前に、「所沢に廃棄物処理施設が異様に集中している、焼却炉からの煙がひどい」、と苦情申立に行った場で、県の廃棄物対策課課長がこう発言ました。「なんで?いつから?それは誰が決めたの?だから?」この疑問は未だ解決されていません。
当時所沢周辺では行政が把握しているだけでも大小の民間産業廃棄物焼却施設64炉が操業をしていました。その一つ一つの操業の実態がひどいものであるのを見たとき、ダイオキシンを始めとする有害物質被害が深刻であることを実感しました。
それでも尚、焼却の許可を埼玉県は続けました。環境への不安を訴える住民の声に全く応えようせず、県は、2000年に、「北田商事」とごみ山火災を後に起こすことになる「新明」、2001年にくぬぎ山最大の業者「石坂産業」と次々に許可を出しました。これらに対して、各施設周辺住民が集まり、埼玉県が出した許可の取消を求める行政訴訟を起こしました。行政が最も大切にしてほしい仕事は、県民の環境と健康を守る事です。環境影響調査も行われないまま、周辺住民への影響を全く省みないずさんな許可は許されるべきではありません(書類上整っていれば許可せざるを得ない、と県は言っていましたが、その書類上でもずさんでおかしなことがたくさんありました)。
また、ずさんな処理を続ける業者に対して焼却停止を求める仮処分を申請、業者が操業停止をした所もあります。しかし、焼却をやめたところも、ゴミを受入続け、破砕や圧縮など他の業の許可を得るところも多く、処理量はさらに増えたところもあります。石坂産業は焼却をやめましたが、新たに埼玉県から破砕や圧縮の許可を得、処理量900t/日以上の大規模施設となりました。所沢周辺で、この様な施設は80施設以上、総量で約8000t/日の許可が出されています。
結局の所、5年経った今も埼玉県は東京の産廃を最も多く受け入れる県であることに変わりはありません。大量に流れ込んだゴミが埼玉県で「保管」されたり「中間処理」されたりしています。その内の何割かは粉塵として周囲に飛散したり、流出して水を汚したり、ごみ山に姿を変えたりします。ゴミの中に含まれる様々な有害化学物質が汚染を引き起こす可能性は高いのです。
行き場を求める首都圏産廃に圧倒されながらも、経済優先の社会から環境優先の社会へ変えていくのは私たち自身である筈です。
第一に変えていかなければならないのは行政の姿勢です。産業廃棄物処理業許可を垂れ流し的に出し続け、今も積み上がるごみ山を放置し、首都圏の産廃の中間処理を勝手に担ってしまった行政の責任を問い、繰り返させないためにも、行政訴訟や裁判などに今後も取り組んでいきます。
そして、破砕圧縮などの施設の有害物質対策にも取り組んでいくことが必要です。焼却の危険性はある程度社会的に認知され、対策が進んできましたが、破砕や圧縮の際に周辺へ飛散する粉塵や化学物質については、なんの規制もない状態です。多くの人がその危険を訴えていくことによって対策をすすめさせるしかありません。ドイツなどでは破砕など廃棄物前処理、保管施設は、密閉していること、周囲300m以内に住宅がないこと、等の規制があるそうです。住宅のすぐ脇で、屋外で、粉塵をもうもうと飛散させ、操業している各施設を見るたび、その粉塵や大気中への汚染物質、人への健康影響が本当に心配になります。行政訴訟や裁判などでもその危険性を指摘していきますが、より広範な運動が必要です。ぜひ、ご協力をお願いします。
2002年4月3日、所沢市南永井の産業廃棄物処理業者(株)新明が保管場に高さ約15mに積み上げた「ごみ山」から出火、大規模な火災を起こしました。敷地いっぱいに積まれた大量(約9000m3)の廃プラのごみ山火災被害の補償を求める裁判の続報です。
火災の延焼により、隣接の有限会社 三王精密ネジ製作所(本間峯雄社長)が全焼。工場内の製造機械数十台も焼け、使い物にならなくなるという、多大な被害を受けました。工場再建に要する費用回収の目途は全く建っておらず、火事跡場を片づけることもままならない状況です。昨年11月25日、有限会社 三王精密ネジ製作所が、火災を引き起こした(株)新明、ゴミを排出した企業、新明に対して効果のない指導しかしてこなかった埼玉県等の原因者に対し、9千万円の被害補償を求める損害賠償請求の裁判を提訴しました。第1回公判は、2003年1月31日に開かれ、排出企業(日本通運(株)、(株)オリンピック、和光堂(株)、(株)ノバ・マネキン、(株)インテリア・タマ、五光産業(株))らが出廷。原告被害陳述などが行われました。
所沢周辺でも、各地にごみ山が積み上がっています。処理を全く確認することなくゴミを委託した大手企業、ずさんな処理を続け、ごみ山を積み上げる業者、それに対して、なんら法的な措置をとらず、漫然と見過ごす埼玉県。これらの責任を問い、この地域にごみ山が積み上がるのを、2度と許さない姿勢を示す意味もある裁判です。この被害は新明には限りません。ごみ山の中には、何が入っているか分かりません。いつ火事が起こっても不思議ではありません。自然発火、崩壊、様々な有害物質の飛散、流出等、の危険があるのに、何の環境汚染・災害防止措置もとられない状態なのです。一旦、火災が起これば、甚大な被害を及ぼします。被害が起こってからは遅い、と今回の火災で強く憤りを感じています。ぜひ、ご支援をお願いいたします。
次回公判は「進行協議」とされ、2003年4月18日午後1時からです。
裁判の進行状況については今後、随時報告していきます。
訴訟支援のためのカンパを引き続き募集しています。
振込先:郵便振替口座00580-3-76145
「ごみ山被害対策市民の会」
振込の際に、「ごみ山火災被害者訴訟支援カンパ」と明記の上お願いいたします。
連絡先:北浦恵美 ekitaura@tk.airnet.ne.jp FAX:042-943-7582
●第2次訴訟 提訴の報告
昨年9月6日に埼玉県が石坂産業にあらたな許可を下ろし、その取り消しをもとめて2回目の提訴を73名の周辺住民が、昨年12月2日、さいたま地裁にておこないました。
◎請求の趣旨は
埼玉県が平成14年9月6日付けでなした石坂産業株式会社に対する産業廃棄物処分業の変更許可処分(許可番号1120007368)を取り消すこと。
・変更許可の内容は、廃プラスチック・繊維くずなどの破砕(日量計13トン)と廃プラスチック繊維くず・紙くずの圧縮梱包(日量125トン)の追加です。
◎訴えの主旨(要約)
1. 石坂産業の破砕施設は、書類上処理能力を日量5トン以下とすることで、許可を得ず設置した違法な施設である。
2. 石坂産業は操業開始以来、ずさんな焼却などによって灰・粉塵を飛散させ周辺環境を汚染してきた。また、無許可の施設・届け出の虚偽・無許可埋め立てに関わるなど、法を遵守する姿勢がなく「業務に関し不正または不誠実な行い」をする恐れがあるため、この許可は違法である。
3. 本件許可処分が処理施設密集による重大な環境汚染が判明しているくぬぎ山地域におけるさらなる環境汚染施設を認める暴挙であることによる違法である。
4. あらたに始まる大規模なプラスチックの圧縮梱包処理によって、周辺住民が、杉並病のような被害を受ける蓋然性がある。
●裁判報告と今後の進み行き
昨年12月25日に二次訴訟の第1回公判が行われました。この日は原告陳述を行い、これまでの石坂産業のひどい操業や住民の受けた健康被害や行政の許可のずさんさなど、今回の二次訴訟を起こすまでの経過を述べました。今後は、第一次訴訟との併合が考えられています。これからは、破砕・圧縮梱包などが環境に及ぼす被害について訴えていかなくてはなりませんが、処理により発生する粉塵や化学物質については、まだ行政の規制対策がありません。この被害を実証していかなくてはならないのですから大変厳しいものになりそうです。でもこの問題は、今後の廃棄物処理と環境汚染を考える上で避けて通れないものですから粘り強く続けていくことが大切です。
北田商事の許可取消を求める行政訴訟も継続中です。北田商事は、昨年6月以来、焼却を停止、実質的には操業をしていませんが、廃棄物を受入、汚泥や排水などからと思われる悪臭はひどい状態が続いています。裁判の手続では、双方の主張はほぼ出揃い、これまで、こちら側からの焼却能力虚偽、ずさんな営業実態などについて、許可を与えた埼玉県は殆ど反論ができていない状態です。今後、専門家証人や、被害者証人を申請し、証拠調べをしていくことになります。
次回公判は石坂、北田とも、3月26日(水)2時からさいたま地裁にて行われます。ぜひ、傍聴、ご支援をお願いいたします。
【公害調停終了後の諸問題】
4年にわたって続いた公害調停もやっと終わり、いくつかの焼却継続業者を残してはいるものの、公害調停当初の最大の目的である焼却炉の廃止はほぼ達成されました。弁護団の皆様の惜しみないお力添えと、4000人を超える申請人の方々の支援のおかげと、心から感謝申し上げます。しかしすでにお伝えしているように、まだゴミ山問題と破砕・圧縮溶融の急増という課題が残っています。市民の調査では埼玉西部地域のゴミ山は50個もありますが、その中で特に問題性の大きい新明・常陸・武蔵野(旧武蔵野解体)・長島総業のゴミ山については、個別に周辺住民が県へ対策を迫っています。
【ゴミ山問題、周辺住民が個別に奮闘】
ゴミ山問題については、公害調停の中でも俎上に載せ焼却以外の問題性として強く訴えてきましたが、調停委員会は一時的に興味を示したものの問題は据え置かれ、結局解決に至らないまま、住民の指摘どおり2002年4月、三芳町の産廃業者である新明の火災が起きてしまいました。
新明の火災後、燃え残ったゴミ山については、市民の強い働きかけで県が動き、排出者を特定して撤去させることができました。現在、新明に対しては損害賠償請求訴訟、常陸については柳瀬周辺の住民の方々が県に対して対策を強く求めています。また武蔵野のゴミ山は、敷地内への廃棄物の不法投棄を周辺住民によって告発された後倒産したため、土地所有者が法的な義務はないものの道義的責任から一部を搬出・処理しましたが、残存する廃棄物の今後についてはまだ検討中です。
【長島総業で致死レベルの硫化水素発生と内部の発熱】
三芳町の産廃業者である新明が火災を起した直後、廃棄物による災害の専門家の三宅先生(横浜国大)、若倉さん(神奈川県産業技術研究所)にいくつかのゴミ山を視察していただき、硫化水素の測定や発熱状態の調査への示唆をいただきました。これを手掛かりに、長島総業のゴミ山について昨年11月独自調査した結果、硫化水素については発生濃度約500ppmと致死濃度レベルであり、発熱状態については地表からわずか20cmの地中の温度が61℃(外気温は11℃)にまで上がっていたため、ゴミ山内部ではかなり激しい反応が起きていることが推察されました。またゴミ山頂上付近には亀裂が入っており崩落の危険も出ています。
【行政の鈍い対応】
環境省と埼玉県にはこの長島総業の調査結果をもとに、昨年末からゴミ山の問題性をさらに強く訴えてきていますが、今のところ行政による積極的かつ綿密な調査はなされていません。それどころか県による長島総業の追調査では発生濃度が敢えて測定されず、周辺あるいは発生地点でも地表から1.2mの高さでの測定のみ行うなど、きわめて意図的な調査が行われ、「周辺環境への影響はないが今後監視を続ける」「赤土の覆土による硫化水素の吸着をすればよい」など、根本的な解決とは程遠い対応でした。
【今後も粘り強い運動を】
しかしながら長島総業のゴミ山が環境省のゴミ山リストに名前が挙がったとの情報や、埼玉県が来年度6億円のゴミ山対策費を計上したとの報告から察すると、僅かながら事態が動き始めたと考えられます。今後も専門家の先生方のご指導をいただきながら、粘り強く県を動かしていく必要があると考えています。
「くぬぎ山」の中には焼却の煙は1本もなくなり、再生事業も始まろうとしています。でも、破砕や圧縮梱包等は依然行われ、粉塵も騒音も続いています。又、缶やゴミの投げ捨て、不法投棄などが沢山あって、散策を楽しむ状況にはなかなかなれません。
300年前、三富開発の開拓者が作り上げた「くぬぎ山」は首都圏に残された貴重な平地林です。この里山は、山地や北方の林とは違って、放っておくと照葉樹林となり、入ることの出来ないジャングルとなって病虫害がはびこってしまいます。下草や小さい木を切り、落ち葉を集めて堆肥を作り有機栽培に利用すれば良いのですが、林の中には機械は殆ど入れません。農家の人手だけでは林の手入れはとても難しいのです。
私達は毎月第3土曜日に「くぬぎ山」のゴミ拾いを行い、毎回軽トラック1〜2台分のゴミを集め、市町に連絡して処理してもらっています。きれいにするとゴミの投棄は減るのですが、しばらくすると元に戻ってしまいます。「くぬぎ山」はとても広いのでいたちごっこです。
昨年からは林の手入れ、落ち葉掃きと堆肥作り、畑を借りてじゃがいもや小松菜等を植えること等を始めました。石坂産業の南西の畑には沖永良部島の鉄砲ゆりを1600株植えました。開花の予想は6月です。ぜひ、見に来てください。ポットや切花での販売もする予定です。
農作物の販売をする店も持とうと計画しています。マイナスからプラスへ、自然を守り、自然の中に入り込む私達の活動に皆さんも参加してみませんか。
活動日:
毎月第3土曜日 10時〜 くぬぎ山ゴミ拾い
随時 畑手入れ作業
連絡先、森942-2528、井草042-942-2292★5月ころには「くぬぎ山フルートコンサート」を計画しています。
調停終了を期に、いつもは裏方である広報編集の作業を通して、この4年間をふりかえってみたいと思います。
広報は、調停発足の当初から大きな課題でした。4000人を超える申請人に調停の進行状況を伝える手段が不可欠だったからです。また関心のある方々やマスコミに、調停の状況を伝えるという側面もあります。一方で、公害調停では、調停作業を円滑にすすめるため、その内容を第三者に公表しないとする「非公開原則」もあり、「調停の進行を妨げない範囲で、可能な限り調停進行の状況を伝える」ことを第一としました。不用意な記述が許されないだけに、広報担当は毎回緊張しておりました。
広報を申請人全員に毎回配送する予算的余裕はとてもないので、手配りネットワークを併用し、さらにFAXネットやメールネット、ホームページなどハイテクも活用してみました。必ずしも十分に成功したとは言えませんが、新しい試みとしてユニークだったと思います。
広報担当のメンバーは、調停実務や調査、地域活動をいくつもかかえていたり、仕事に追われる自営業者だったりと、全員がなにかと忙しく、編集会議の時間をとることすら難しい状況でした。そんな時に活躍したのがE-mail。場所や時間を選ばずに原稿の確認や打ち合わせができるので、広報編集には不可欠の手段でした。
今回の広報は22号ですが、実際には第1号の前に創刊準備号(0号、02号)がありました。「どうして?」と思われるでしょう。調停の申請から実際の開始までに半年以上もかかったのですが、その間、腕をこまねくことなく、広報を通して、調停の早期開催に向けたアクションを呼びかけ、また状況を報告・解説していたからです。
0号(99.2.21)を見ると、「ダイオキシン公害調停の調停委員決定! しかし、調停日程未だ決まらず!」とあります。またテレ朝のダイオキシン報道に関連して「所沢の農業を守るためにも」という見出しも見えます。02号(99.5.9)では、「県審査会の遅い対応に抗議! 調停開催の日はいつ?」と、調停の早期開催を訴えています。同時にすすめる会の実態調査の結果や、大きなゴミ山の写真も掲載され、その危険性が訴えられています。この2つの創刊準備号で、現在の広報のスタイルやすすめる会の方針が固められていったといえます。また手配りネットも着々と準備されていきました。
創刊第1号(99.7.3)は、「ついに調停開始!」の大見出し。7月17日の第1回調停への参加呼びかけが目的のため、申請人全員に発送されました。広報2号(99.9.9)を見ると、第1回調停に参加した申請人は101人。会場の熱気が伝わってきます。広報3号(99.10.21)ではゴミ山の危険性を大きくとりあげ、違法業者だけでなく、埼玉県の責任も厳しく言及しています。広報5号(2000.3.18)には北田・新明の行政訴訟の記事が載り、調停だけでなく裁判や調査活動など、様々な手段を通して、問題の解決にねばり強く取り組んでいった様子がわかります。第8号(200.11.17)では、すすめる会の自主測定で(株)クマクラ周辺土壌から基準の5倍のダイオキシンを検出したことが報じられ、これを期にクマクラは廃炉に追い込まれています。
広報は埼玉西部地域のさまざまな環境問題を取り上げ、原因を糾明し、裁判や運動の報告・交流の場、あるいはデータベースともなってきました。申請人のみなさんの地道な活動を反映したものといえますが、こうして振り返ると、今回の調停の意義をあらためて実感いたします。
FAX・E-mailで広報誌が送信されます。
事務局では広報誌配布をポストボックス及び手配りボランティアに頼っていますが、作業軽減のため、FAXやE-mailによる通信ネットを利用していきたいと考えています。
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FAX専用 042-943-7582 北浦まで