裸人倶楽部の歴史
○は、個人設定及び蓬莱タイムス等に掲載された事柄。
●は、リアクションの結果。
1967年9月17日 | ○絶 倫太郎、京都に生まれる。 |
不明 | ○丹波のヌーディスト団体・「肉体の門」に入団。 そこで「啓蒙裸人主義」を発展させた「浪漫裸人主義」を編み出す。 |
1988年未明 | ○「肉体の門」解散。水晶道場で40日間の荒行を見事に達成。 |
1989年未明 | ○絶 倫太郎、蓬莱学園に転校。三年 癸巳組に編入。 性愛研に入部するも、当時の顧問・部長との方向性の違いから 自らの思想を実践するための団体を興す事を考える。 |
1990年一月 | ●学園掲示板に「早朝乾布摩擦大会」の告知を出す。 |
1990年二月十一日 | ●はちろう神社において早朝乾布摩擦大会を実践。 寄り集った三名に洗礼名を与え、裸人倶楽部を結成。 自らは『裸体の御子』聖マッスルを名乗る。 |
1990年三月 | |
1990年四月 | ●「スポーツナウ!」(蓬莱テレビジョン)において、 新手のスポーツ宗教として紹介される。 ●学園掲示板に「早朝筋肉裸人体操」の告知を出す。 |
1990年5月5日 | ●はちろう神社において「早朝筋肉裸人体操」が実施される。 途中、校内巡回班に聖マッスル捕縛されるも証拠不十分につき、 反省房に拘置の後、釈放。 (この顛末はラタイによる福音書として残されている。) |
1990年5月未明 | ●聖マッスル氏、「スポーツナウ!」に出演。 裸体の教えを「裸体の形而上学と美学の視点」という形で語る。 |
1990年6月4日 | ●校内巡回班見回り8番組隊長・鴨沢 芹、先月の顛末の責任を取って 切腹を行うも、内戦の砲弾により粉微塵に。 この現場には薔薇菊も出かけており、切腹を思い留めるよう懇願した。 |
1990年6月未明 | ●聖マッスル氏、「Let's HEAR!」(旧FM蓬莱)に出演。 ○教団広報紙「浪漫」発行スタート。(〜11月) |
1990年7月 | ●ウホホ族のアナベベ、裸人応援団を率いて本土に遠征。 全国高校野球大会東京都東地区予選に参加する野球部を応援する。 そのかいあってか、野球部は甲子園へのキップを手にする。 |
8月 | ●薔薇菊体師、革自戦に野球拳を布教する。(宇津帆新町にて) ●ウホホ族のアナベベ、甲子園にて野球部を応援、ついでに 印子真理教徒を改宗させる。 ○スパイ研部長、入信する。(洗礼名「裸皇」) |
9月 | ●蓬莱スタジアムにて教祖の誕生日を祝う。 ●アナベベ、全国女子高校野球大会にて女子ソフト部を応援。 ●哀憐蝶、文化祭にて派手に布教活動を行う。 |
10月 | ●教祖、黄昏のペンギンに誘拐される。 ●アナベベ、哀憐蝶、ルツーリ、学園にて野球応援。 ○教祖、90年度ミスター蓬莱授賞。 |
11月 | ●はちろう神社に「大裸神像」建立、「マッスルマーチ」登場。 ○教祖誘拐の一件、蓬莱タイムスにて報道される。 |
12月 | ●教祖、砂漠にて裸神を見る。 ●大裸人像、はちろう神社に建立。 ●アナベベ、ルツーリ、野球場にて布教活動。 ○1年間の活躍をまとめた「必殺・裸体大全」発刊。オフイベで無料配布! |
1991年 | ○教祖、臨時講師試験に合格。臨時講師として教壇に立つ。 |
初春 | ○はちろう神社が校内巡回班の管理下に置かれる。 信徒は追い払われ、大裸人像は東部珊瑚礁に移転。 |
1992年2月 | ○「神の塔」事件勃発。 「大裸人祭」が生徒会の協賛によって行われる。 一部信徒による「はちろう神社奪回作戦」失敗に終わる。 |
8月 | ○「裸人清貧論争」勃発。その結果、過激分派・裸人密教が派生する。 |
9月〜10月 | ○「7週間軍政」勃発。これを無傷で乗り越えたため、 「裸人倶楽部」は新興宗教団体「裸人教団」として学園内に地位を確立する。 |