懐ゲーを語るにおいて外せない雑誌たち

あの当時、パソコン雑誌といえばこんなんがありました。
例によってashenの個人的視点で書いてますので、悪しからず。

POPCOM(小学館)
80年代御三家の一つ。
最初は現代生活にコンピューターがどれくらい浸透しているかを中心とした
お堅い作りだったが、次第にゲーム攻略、各種プログラム掲載、マイコン解説漫画など、
読者層の低年齢化に伴う雑誌形態に。
三遊亭円丈師匠や立川談之助師匠をライターに起用したり、
オリジナルソフトとしてグラフィックツール「ダビンチ」やRPG「サバッシュ」を作ったりと
結構凄いことやってたんだけどねー。
小学館の雑誌だから、小学館のキャラは使い放題だったし。
でも今、考えると後期なんか企画がどうも二番煎じばかりだったような気がするんだよねー。
なんとなく休刊になっちゃったけど、記事がどれも中途半端で、
喜んでたのはグラフィッカー候補生だけちゅう。(CG関係の記事は充実していた。)
時代に乗り遅れた感じがするんだよねー。
でも創刊号から最終号まで8年付き合っただけに思いもひとしお。

LOGIN(アスキー)
未だ現役のこの雑誌をここで語るのは変かもしれないけど、
80年代の御三家(POPCOM、コンプ、LOGIN)だけに。
「いいものはいい」ゲームを紹介するだけに、早くから洋ゲーの紹介やなんかも進む。
(リトルコンピューター・ピープルやラクターの紹介とか。)
それが現在でも、UOやDiablo、AL in Nを普及させるのに絶大な影響力を持つ所以。
その後、アスキー人心の乱によるスタッフ大量離脱で編集長が高橋ぴょん太氏に変わり
月2回になる。が、この時期のログインはあまり受けがよくなかったらしい。
後に月一回に戻る。フツー売れなくなったら休刊だと思うが2回を1回にして続けるところは
さすが老舗。
とはいえ、あたしゃ最近は堕落日誌以外の記事を読んだこと無いんですけど・・・
ちなみに、ファミ通やE-LOGINはこの雑誌から分派した弟分でありんす。
べーしっ君は昔、ログインでパソゲーネタを扱っていたのでありました。

コンプティーク(角川書店)
やはり現役。創刊当初から、小難しい記事など扱わずにゲーム&芸能中心の雑誌づくりをしていたのは流石、角川。
(当時はなんと、ザ・テレビジョンの別冊としてスタートしたのだった。)
この雑誌が注目を集め始めるのは袋綴じでスーパーマリオの攻略法や18禁ゲームや18禁コミックの紹介を始めてから。
ゲームブックが流行出すと、すかさず欄外に18禁ゲームブックをつくったり、(オチは勿論袋綴じ。)
RPGが世に出始めてくると、いち早くRPGリプレイ記「ロードス島戦記」をスタート。
(そう、あのロードス島戦記は最初はD&Dのリプレイ記だったのです。
 スレインがパーンの死体にベントリロキズム(腹話術)で「うむむむむー」と喋らせるといったシュールなシーンもあったのです。)
その後、角川兄弟の乱(知ってる人は知っている)でスタッフのほとんどが「電撃王」に移籍というピンチを迎えるも、
それでもなんとか生き延びてしまった所はやっぱり角川。
でも、最近のコンプは「パソゲー美少女キャラ専門誌」になってしまった。大丈夫か、角川。
さらには、「パソゲー美少女キャラコミックマガジン誌」となってやたらと分厚くなって保管に著しく困ってるのだが。どうしてくれる、角川。

BASICマガジン(電波新聞社
やっぱり現役・・・ちゅうか、Windowsの時代になってもこのタイトルで続ける
すばらしい雑誌。(ファミリーコンピュータ通信はファミ通に名前変えたっちゅうのに。)
半分が読者からの投稿プログラム掲載というコンセプトで続けられているが、
やっぱりこの雑誌を有名にしたのは、かの山下章氏がチャレンジADVレスキュー(略称チャレアベ)を
スタートさせてからでしょう。毎月ADVを一本レビューさせ、肝心の謎を隠しつつ謎を攻略、
後に読者とのQ&A方式のコーナーもスタート。このコーナーにお世話になった方々は結構いらっしゃるんではないのでしょうか。

※追記
時代の流れには逆らえずについに、この春(2003年5月号)にて休刊となりました。
最後までプログラム投稿コーナーを止めなかったその姿勢、まさに天晴れな最期でございました。
かの巨大掲示板では大量にベーマガとその当時を偲ぶオサーンの書き込みが幾スレッドにもなったという・・・(泣)
Farewell to "Micom BASIC Magazine".

テクノポリス(徳間書店)
創刊当初はグラフィック系のお堅い雑誌だったらしい。
が、有名になったのはゲームの改造・解析プログラムコーナーを始めたことと、
いち早く18禁のゲームをメインに扱いはじめたことでしょう。
(矢野健太郎氏のゲーム攻略漫画は好きでした。)
後に「美少女ゲーム」という言葉を登録商標にして、各方面から(表だってではないけれど)大顰蹙を買い
それが原因かどうか知らないけど、いつのまにかフェードアウト。
ま、徳間さんは、アッチの方面ではハバきかせてるからいいんじゃないですか。

PCマガジン(ラッセル社)
NECのパソコンの記事を専門に載せ続けていたNECの提灯御用雑誌。
とはいえ、ゲームのリスト解析および公開など役に立つ記事は多くありました。
(あたしゃEGGYをこれに載ってたリスト公開でしこしこ打ち込んで遊んだあるね。)
また、60や88が落ち目になっても一生懸命カバーしていたその姿勢は感心。
その内、NECのパソコンが98オンリーになって「PC98マガジン」的な内容になってきたところで
いきなり休刊。一説によると、クリスマスウィルスのリストを公開(一部)して顰蹙を買ったのが原因らしいが・・・
ちなみに、覚えてるのが当時Ver 2.0だったMS-Windowsの特集。
その特集をお題にした投稿コーナーでは、もうみなさんボロクソにWindowsを叩いてDOSを賛美しておりました。
後に、そのWindowsに取って代わられるとは露ほどにも思わずに・・・・・(世の中なんて、そんなもんですわw)

電撃王(主婦の友社)
・・・てまだ生きてたっけ(おい)。
時代的に懐ゲーには合わないけど、まぁ一応。
コンプの項で挙げた角川兄弟の乱で、弟子飼いの角川メディアオフィス社からスタッフの9割が脱退。
「隠れサトウ」でお馴染みの佐藤氏を社長にメディアワークス社を創立して作ったPCゲーム雑誌。
(他にも電撃シリーズは5冊くらいありましたなぁ。そうそう、CMに電撃ネットワークを使ってたっけ)
例えて言うなら全日本からほとんどの選手が離脱してノアを作ったのと同じようなもの。
だから、基本コンセプトはコンプとおんなじ。(コンプから引き継いだ記事やマンガばっかだったし。)
だがそのうち、角川で一番エライ人春樹氏の逮捕により、追い出された弟の歴彦氏が戻って角川を継ぐことになり、
コンプとの対立概念が薄くなる。
で、コンシューマーを含む総合ゲーム誌になったところで、あたしゃ読むのを止めました。
そういえば、この雑誌で『イヌボン木村=中村うさぎ』だということを初めて知ったっけなぁ。

遊撃手(ラポート社)
やっぱり思うのは「早すぎたパソコン誌」だったなということ。
創刊号からいきなりウィザードリーIのマップ掲載(当時WIZが遊べたのはappleのみ)に加え、
光栄のRPG「ダンジョン」、ファルコムのRPG「ぱのらま島」T&Eの「惑星メフィウス」の大批判記事。
ゲームの紹介もほとんどがappleの海外ゲーム。
載せてるコラムも海外SF小説の紹介とかクラスマガジン級のモノ。
なにしろ、執筆陣が糸井重里、みうらじゅん、泉 麻人、蛭子能収、喜国雅彦・・・
と、当時のパソコン誌では考えられないメンバーばかり。
当然、「ゲームのプログラム掲載は必須」・「ゲームの記事はヨイショが常識」と思っている当時のユーザー層からは大反発。
後期になってだいぶ国産ゲームを扱いだした、と思ったら
「金を損したゲームベスト10」なんて企画やっちゃってシンパ共を余計に煽る煽る。(メーカーも煽る煽る。)
で、結局8冊出して休刊。
が、やっぱり惜しい雑誌と思っていた人はいたらしく。
後に、システムソフトをスポンサーに(ロードランナー攻略に毎回結構なページを割いてもらってた縁で?)
「Bug News」としてコンセプトはそのままで生まれ変わる。
今、考えるとMac系の匂いをプンプンさせていた雑誌だったなぁ、と。
あの当時もう少し日本にapple信者が多ければ、この本がNEC信者のゲーマーに叩かれることもなかったろうに。

おまけ
DOS/V創世記を支えた雑誌

・DOS/Vマガジン(ソフトバンク)
DOS/V雑誌の老舗。初期の購入者のほとんどはPC98ユーザー
というDOS/Vへの玄関口でもあった。
AT互換機の最新事情を紹介するという創刊時からのコンセプトを変えることなく
月2回発行へと進化する。
DOS/V雑誌の大御所。
ただ、その分内容が濃く難しくなったので初心者にはお勧めしない。
週アスに馴れてからの併読をお奨め。
気がついたら買い物ウォーカーのいのうえさきこの漫画しか見てない自分に気がついた。

・DOS/V USER(宝島社)
初期の頃はDOS/Vのハードや洋ゲーの紹介がメインだった。
(それでも、海外からの洋モノCD個人輸入の方法なんかも紹介されてたが。)
季刊のあと5冊を得て94年4月から月刊化。
次第に「宝島らしさ」を爆発。真面目な記事を扱う反面、洋ピンアダルトCDの紹介や
アイドルのグラビアをおまけCDに入れるなどだんだん弾けてくる。
その内、おまけCDの方が内容が濃くなっていき毎月2枚組の大サービス。
遂に、付録CD-ROMをメインとした構成に模様替え。
これがプラスに働いて意外に長持ち、大健闘。
江夏豊の「どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーすぶい!ゆーざー!」
のCMを覚えてる方もいらっしゃるでしょう。
Vマガと並んで未だに「DOS/V」の名をタイトルに構える雑誌。

・DOS/V Fan(徳間書店)
DOS/Vのゲームとハードをメインに扱う。
いち早くDOS/Vゲームの攻略をやってくれたのは有り難かった。
(アローンインザダークとシンジケートの攻略ではお世話になりました。)
が、付録ディスクにウィルスを混ぜるというポカをやり(たいしたものじゃないんですけどね)
そのせいかどうかわからんが8冊で休刊。
コンセプトが曖昧だったから長持ちはしなかったと思うが・・・
バショウハウスのJ.D加藤氏が何故かWYSWIGの記事を連載していたのも驚き。

・GAME BLAST(ソフトバンク)
94〜95年当時の主流機(PC-98、DOS/V、Mac、TOWNS)のゲームを扱った雑誌。
あのソフトバンクが出すちゅうから、どんなのかと思いきや・・・
うーん。イマイチ。ありきたりのソフト攻略記事にソフトハウス訪問に・・・と、
どこの雑誌でもある企画ばかり。なのだが、ワタシは創刊から休刊まで一緒に心中した。
と、いうのも、他の雑誌じゃ絶対載らないDOS/Vゲームの攻略記事が結構載ってたからなのだ。
特に、当時ハマっていた軒轅劔(けんえんけん・台湾製の中華ファンタジーRPG。)の攻略があったのは
メチャクチャ有り難かった。
まぁ、あの当時でエロゲー抜きで雑誌続けるのは無理だがね。
休刊直後にWin95が出たからもう少し遅く出ていれば事態は変わってたかも。

BACK