SASUKE組とは?
SASUKE曰く
「ぬるま湯につかってしまったみちプロを正しくするために結成された集まり。」
ザ・グレート・サスケがSASUKEになるまでの経緯。
世紀末版
1998年にサスケは長い間の悩みであった膝の手術をするため、長期欠場することになりみちプロをしばらく休業することを決意。
それに対して海豚が音頭をとって選手組合を結成。
サスケ欠場後もみちのくを半年間運営しつづけた。
(後から考えるに、この時点で海豚は後の某西の団体の運営をシミュレートしていたといえるだろう。それは別の話となるのでここでは省く。)
欠場の間の選手会経営で、一種の連帯感が生まれた。鬼のいぬまの洗濯という奴で、
ヘッドがいない間の「ウルサイ奴がいない心地よさ」というものを選手達は体感してしまったのだ。
(サラリーマンの方々なら上司が出張ないし長期休暇でいない間の解放感をご存知でありましょう。)
そのため、半年後にサスケが復帰してくると(復帰戦で怪我してまた欠場してしまったこともあるが)
選手達との間にミゾができていた。
一人サスケが浮いてしまったのである。
このことは「ふく面ワールドリーグ選考予選」中、
海豚の「サスケ、お前はもうみちのくにイラン!」発言に現れている。
ここで、サスケはイニシアティブを握るためにヒール転向という大技をやってのけた。
それとSASUKEになるもう一つの理由であるが、当時みちのくには海援隊DX離脱以降、ルードがいなかった。
リンピオとルードの抗争といった解り易さはみちのくプロレスにおいて、不可欠である。
というわけで、一人浮いてしまったサスケはSASUKEとなり、ルード軍団SASUKE組を結成するに至る。
BACK
新世紀版
青いマスクが封印されてから、2年あまりたった2001年。
きっかけは、みちのくに帰ってきたディック東郷がリンピオからルードに回帰し、新軍団F.E.Cを結成したことから始まる。
この結成劇は、当時のみちのく勢力を塗り替えるほどの勢いを持ったものだった。
(折原、正規軍に転向・外道のみちのく復帰など)
連日、抗争を続ける両軍であったが、正規軍に今一つ分が悪かった。
そんなとき折原が青いマスクをサスケに勧め出す。「青いサスケが帰ってくれば、俺も大親友を呼んでくる。」
そして、9月シリーズの名取大会。
防衛戦勝利後、FECにいたぶられ、マスクを剥がされバックに消えたサスケ。
だが、その後突如現れたのは、脚立を担いだ青いマスクのSASUKE!
以前と異なり、観客の大歓声の中、あっという間にFECを蹴散らすとSASUKE組復活を宣言。
ところが、試合後に赤いマスクを被ると、その事をすっかり忘れてしまう。
そういったやりとりが幾度と起こるが、
10月のディファ有明大会で遂にサスケ・ザ・グレートが来場、試合中に青いマスクを被せる。
そして遂に翌日のニューワールド仙台大会で、メインにSASUKE&グレートが登場、破天荒な試合で東郷&石井組を打ち負かす。
ここに、以前のコンセプトとは異なり、「毒を以て毒を制す」とばかりにSASUKE組が復活の狼煙を上げる。